プリンセス・クルセイド #6 【悪意の足音】 2

 ウィガーリーの王都エアリッタの郊外に、大きな屋敷が一軒建っている。屋敷は年月を経て十二分に古びており、周りを囲う石垣は所々で崩れている。しかしそれでも、その外観には気品が溢れ、木々がうっそうと生い茂る周囲の風景に不釣り合いな程だ。

 それほどの屋敷が、なぜ誰の手も入れられずに朽ち果てるのを待っているのか。また、誰も関心を払わないならば、なぜ今すぐに取り壊してしまわないのか。それを知るのは王都でも有数で、王室の関係者に限られる。さらに彼らの持つ門外不出の情報でさえ、信憑性はかなり疑わしいものとなっている。なにせその屋敷は、この国が成立する以前からこの土地に建っているのだから。

 歴代のウィガーリー王はこの屋敷の調査を幾度となく行ってきたが、結局は屋敷の過ごしてきた年月の長さを証明する以外の進展は得られなかった。それでも、歴代の王たちはこの屋敷を処分しようとはせず、むしろ保護してきた。表面的には朽ち果てる一方に見えるが、実際には過度に人目を引かないようにしながら、ギリギリのところで踏みとどませていたのである。理由はただ一つ。

「――まだ所有者ってヤツがいるんだよ」

 屋敷のリビングの片隅に置かれた背もたれの高い肘掛椅子に腰掛けながら、ジェダイトは最後に付け加えた。

「うそでしょ? この国が出来たのは確か300年前……だったかしら? まあ、とにかく昔よ。それよりもこの屋敷の方が古いのに、所有者が生きてるなんて……」

 ジェダイトの座る椅子にもたれかかっていた女性が疑問を差し挟む。彼女の髪は青く、口元には小さなほくろがあった。女性らしくしなやかな腰には聖剣が差されており、右の手の甲に赤い蠍の刺青が見える。彼女の名はアレクサンドラ。ジェダイトの配下であり、一番の側近だ。

「そんなことあるわけないじゃない。ヴァンパイアじゃあるまいし」

「別にここに住んでたヤツが今も生きてるわけじゃない。いや、実際はどうか分からんが……まあ、とにかくいわくつきの物件ってことだ」

「いわくつきでも……こんだけ大きな屋敷なら、かなりの金になりますよね?」

 ジェダイトの座る椅子の左手に置いてあったソファのほうから、別の声が聞こえてきた。

「お頭、ここをなんとか乗っ取って、売っ払っちまいましょうよ。そうすりゃアタシ達は一気に大金持ちだ」

 声の主は黒い髪をポニーテールにしてまとめた女性で、名前はシトリン。片方だけがノースリーブになった衣服から露出する肩口には、やはり赤い蠍の刺青を入れている。

「うへへ……金持ちかぁ。……あれ? そういえば私、こんな屋敷みたことあるよぉ。あれは……どこだっけぇ?」

 シトリンの声に答えるようにして、ソファの反対側から酷く泥酔した女性の呻くような声が聞こえてきた。彼女の右手には酒の入ったボトルが握られており、左腕にはやはり赤い蠍の刺青が入れられている。

「黙れ、ラリア! お前がヘマしたせいで、お頭に迷惑がかかったんだ! うまく逃げ出せたからいいものの、もう少しで何もかも台無しになるところだったんだぞ!」

 激昂するシトリンに、ラリアがしなだりかかった。

「それはもういいじゃんよぉ。でもさぁ……」

 ラリアはそこで一度言葉を切ると、酒を一口呷った。ボトルの底が、もたれかかっているシトリンの顔に当たる。

「おい、やめろよ……」

「なんで捕まらなかったのかなぁ。私……」

 ラリアは構わず、さらに酒を呷った。

「えへへっ、運が良かったのかもぉ……」

「プリンセス・クルセイドの掟のおかげね」

 答えたのはアレクサンドラだ。

「あなたは食堂でひと悶着起こしたけど、店を追い出されるだけで済んだでしょ? あれは掟で決められてるのよ。プリンセス・クルセイドの参加者は、闘いから排除されるまで身柄を保証されるの」

「まあ、さすがに殺しとかだと話は別だけどね。酔って暴れたぐらいじゃあ、捕まったりしないよ」

 ジェダイトの補足を虚ろな目で聞きながら、ラリアはまた酒を呷った。

「そいつはすげえなぁ……」

「話を聞いてるのか? ところで、この屋敷を見たことあるだって? またどうせ夢の中でだろ?」

「いや……それは違うな」

 訝るシトリンに、ジェダイトが口を挟んだ。

「私も水晶で闘いを見ていた。コイツの相手のチャーミング・フィールドは、確かにこの屋敷の廊下に似ていた」

「……それって、これのことよね?」

 アレクサンドラがいつの間にか手にしていた水晶をジェダイトに渡した。シトリンはソファから立ち上がってジェダイトに近づき、水晶を覗き込んだ。シトリンに寄りかかっていたラリアは、そのまま倒れ込んでソファの上に突っ伏した。

「……まあ、確かにここの廊下はこんなんでしたけど……」

「それにしてもめちゃくちゃな闘いだったわね。こっちも酔っぱらってるのかと思ったわ」

 アレクサンドラが腕組みをしながら呆れたように呟いた。ちょうど、薄紫色の髪の女性が、サイの上に乗ってラリアを踏みつぶしたところだった。

「ねえ、ラリア。この相手のこと何か覚えてないの?」

「う~ん?」

 アレクサンドラが水を向けると、ラリアが顔を上げた。

「……変な奴だったぁ……」

 そして虚ろな目をしながらそう答え、また一口ボトルを呷った。

「ダメね。まあ、最初から期待なんかしてないけど」

「しかしこの女……あれ?」

 まだ水晶を覗きこんでいたシトリンが首を傾げた。

「どうしたの?」

「いや、コイツどこかで……ああ、なんだ。大丈夫ですよ、お頭」

 シトリンは一人合点がいったように頷くと、着ている服のポケットをまさぐり始めた。そして取り出した財布を、ジェダイトに手渡す。

「この女は大した奴じゃありません。財布の中身もしけてました」

「……またスリをやってたのか?」

「へっ、これがアタシの特技ですからね」

 シトリンが照れた様子で頭を掻く間、ジェダイトは財布を確かめた。

「……空だな」

「……なぁ、シトリン。中身はどうしたんだぁ?」

 ラリアが酒臭い息を吐きながら、シトリンに尋ねる。

「まさか落としたんじゃないだろうなぁ……」

「てめえがどうしても必要なもんがあるってうるせえから渡したんだろうが! どうせ酒だと思ったけど、まさか一人で飲み歩くとは思ってなかったよ!」

「えぇ~……ちゃんとお土産も買ってきたじゃんかぁ」

 そう言ってラリアは、ついに空になったボトルを振って見せた。

「その土産を飲み干してどうすんだ!」

「そうガミガミ煩くいうもんじゃないよ……」

 激昂のあまりラリアに掴みかかったシトリンを、ジェダイトが窘める。

「金ならまた盗ってくればいいじゃないか。得意なんだろ?」

「……えっ? じゃあ、いいんですか?」

 シトリンの憤怒の表情が一瞬にして歓喜に染まった。その瞳は金貨のように輝いている。

「ああ、構わんよ。ただし……ヘマするんじゃないよ」

「分かってますよ、誰かさんじゃあるまいし。それじゃ、行ってきます」

 シトリンはジェダイトに一礼したのち、行きがけにソファで横になるラリアを一瞥してすると、勇み足でリビングを出ていった。

「ジェダイト……本当にいいの? 放っておくとアイツ、いつか痛い目見るわよ」

 シトリンを見送ってから、アレクサンドラが呟いた。

「ん? まあ、そんときゃそん時だ……」

 ジェダイトは関心が無さそうに伸びをしてから、椅子から立ち上がった。

「少なくとも、掟のお陰で捕まることはない。むしろこれで、こっちの現状を見せつけることができる」

「……へえ、結構考えてるのね」

 アレクサンドラが猫なで声を出しながら、ジェダイトに左腕をからませ、右手の人差指で彼女の唇を撫でた。

「そうやって敵を牽制するんだ。やるじゃない」

「ん? ……まあ、そんなとこだ」

 ジェダイトは曖昧に答えると、アレクサンドラの頭を撫でた。

「……あれぇ? アイツ今、私のことバカにしたのかぁ……」

 そしてまだ酔いがさめていない様子のラリアの戯言を聞きながら、ジェダイトは今後の戦況に思いを馳せるようにして妖艶に微笑んだ。

3へ続く


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