野田クリスタル(野田ゲー)とこ〜んぽた

自分は野田ゲーがなければ今の活動は無いと思っています。それぐらい野田ゲーに思い入れが深いのです。今回は野田さんや野田ゲーとの出会い、そして今に至るまでをお話しできたらなと思います。

野田さんを知ったのは2017年のM-1グランプリ。
まだ小学生でお笑いに全く興味がなかった頃なので特にネタを見たりはせずにネットサーフィンをしながら見ていたのですが、横目で見ていた画面には上裸の人がいました。それが野田さんです。この時は特に何も思っていませんでしたが、2018年以降のえみちゃん待っててね〜!でピンとくるぐらいには印象に残っていました。
そして2020年、とある動画を見ます。それがブロックくずしての動画です。
元々自作ゲームが好きでメイドイン俺などを好き好んでやっていた自分からすれば、このクオリティのゲームを作れることに尊敬していました。が、この時はまだそれが野田さんだということはしりませんでした。
この時からお笑いにだんだん興味を持ち始めていて、勇者ああああなども見るようになってきました。R-1のファイナリストを見るに野田さんがいて、ゲームのネタをすると聞き、そこでブロックくずしての作者が野田さんだと知りました。
そこから決勝をひたすら応援し、見事優勝を果たし、この時緊急事態宣言下で外出自粛をしていた自分はオールまでして朝の番組にでる野田さんの姿を見ているのでありました。
単発ラジオも面白くそこから野田さんではなくマヂカルラブリーとして推している自分がいるということがわかりました。
この時からクラウドファンディングの告知はありましたが、自分はアルバイトすらできる年齢じゃなかったので出資は断念しました。
そして野田ゲーParty、野田ゲーWorldと購入していくことになりました。
最初はただひたすら一人で遊ぶだけだったPartyからネット対戦できるWorldになり、少しずつオンライン対戦に潜る事が多くなりました。
そこで転機が来ました。野田ゲーチャンネルで行っていたつり革チャンピオンシップで予選、最終戦ともに1位をとりその日のデイリーチャンピオン(?)にならせていただくことがありました。野田ゲーマーの皆さんはとても暖かく、チャット欄でもたくさんの祝福の声、Twitterでのたくさんのフォロワーをいただきました。
そこから惰性杯などの非公式大会にも招待していただき、今に至ります。
野田ゲーがなかったら自分はここまで知名度を上げることも推しの芸人に名前を呼ばれることもなかったと思います。
改めて野田さんや野田ゲーを知れて、そこから野田ゲーマーの皆様とお会いできたことをとっても嬉しく思っています。
本当に感謝しかないです。ありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。

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