夜

青より赤い

その人は眼鏡をかけていて、いつもTシャツではなくて、きちん襟のついたシャツを着ていた。そのくせデニムを履いていて、実際はちゃんとしたいのかどうか分からなかった。

「息がつまる」

それがその人の口癖だった。身なりには最低限を気を遣ってはいたものの、特段おしゃれを意識する風でもなかったので、シャツにデニムを合わせるスタイルは彼なりのちょっとした反発だったのかもしれない。

ちゃんとしなくちゃいけないパリッとした感じと土まみれにしても大丈夫なよれよれのだらしない感じは一見ちぐはぐな印象を与えるように見えたが(というか私は実際にちぐはぐだと思っていたのだが)、その人にはなぜかそれが似合って見えた。

思えば色々とちぐはぐな人だった。冷たいものが大好きなくせにすぐにお腹を壊すし、痛いのが嫌いなくせに知覚過敏を気にせずにアイスをばくばくと食べ、そして案の定痛がっていた。

眼鏡をしているくせに実は頭が悪いし、大人しそうに見えて意外と行動力があった。優しそうに見えて、本当に少し優しくて、少し怖いところもあった。

おじいさんにぶつかっても謝らなかったし、病室で子供が騒いでいると睨んで黙らせたこともあった。可哀想になって後でその子達に飴をあげているとそんなことをしなくていいと怒られた。

「記念だから」

そういって私に駄菓子を万引きさせようともした。何の記念か分からないし、万引きは悪いことなので結局しなかったけど、そのことを思い出すと優しい気持ちになる。

外にもよく連れ出された。よく分からないトンネルの前に放り出されて、一人で肝試しをしてこいと言われた。プールに行きたいと言ったら、どこかの学校に忍び込まされた。

身をかがめてフェンスをくぐったせいで、私もその人も土まみれになった。その人のズボンは汚れているはずなのにやけに誇らしくて少し羨ましくなった。

夏も終わりの時期だったからかプールは少し濁って淀んでいた。でも闇の中で月明りを反射させるには充分な透明だった。

月の光は水面に反射しているせいか白というよりは青で。真っ青というには足りない弱いけどちゃんとした青で、それはその人によく似ていた。

月の白々しさとか、水の揺らめく冷たい青がその人にそっくりだった。だから優しいのにどこか冷たくて、怖いのだと思った。でもその美しさを見てしまうと私は本当に怖いと思っているのか自信が持てなくなった。

「息がつまる」

その人が最後に残した言葉だった。その人は夏の初めに現れて、夏の終わりに消えた。ひと夏の恋とか、そんな甘い言葉を思い浮かべたけど、しっくりこなかった。ちぐはぐな言葉はその人がいないとちぐはぐなままだった。

その人はどこかでまたちぐはぐなことをして、そして息がつまると何度も言って、そしてまたちょっとだけ悪いことをするのだと思った。その想像はとても上手くいき、私は少しだけ笑った。

私の笑う姿を見て母は驚いていたけど、気にせずひとりで笑った。どうして笑っているのかと言われても私には答える気はなかった。

(そんな質問は息がつまる)

心でひっそり唱えた。多分言葉に出してもそれは上手く響かない気がしたから。心の声はその人の声を再生して、とても鮮明に、でもどこか懐かしく響いた。

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