夏の想い出
日本の夏は耐えられない。と日本の夏しか知らないのに思った。多分南国暮らしの外国人が、日本の夏は耐えられないとテレビで言っていたのを覚えていたからだろう。
しかし湊太に言わせればそれは「甘え」であるらしかった。
「あいつらは南国で毎日遊んで暮らしてるから根性ないねん」
彼らにしてみれば南国暮らしと言っても母国であり、バカンスではなくそれなりに仕事をして大変なのにと思ったが、テレビの中の、しかも記憶の中の曖昧な外国人だったので、かばってやる義理はないかとも思った。
それなり、というイメージがある時点で私たちよりは必死に働いていないだろう。
「暑い」
「お前さっきからそればっかやな」
私はさっきから何度も暑いを繰り返していた。その度に湊太は「お前さっきからそればっかりやな」と言う。私は心の中で湊太と同じセリフを呟く。少し気が晴れる。
暑さが耐えがたいものである原因は湿度にあるらしい。湿度は水気であり、水分であるはずなのに、そのせいで余計に暑いと思うと腹立たしく、その感情をぶつける場所がないことに余計に腹が立った。
私は空気中の見えない湿度を打倒すべく、必死に手を振り回した。手を動かしたことでエネルギーが生まれ、私の体はさらに熱を帯びた。だが、かろうじて起こった風が湊太に向かっていった。
「あかん、その風すら暑い」
「絶望って案外身近にあるんやな」
*
あまりの暑さにいっそ気を失ってやろうかと思ったが、人間の意識はそう都合よくできていなかった。むしろ暑くてたまらず、意識は暑いの一点に集中し、暑さ以外はほとんど何も感じなかった。
「そうや」
暑さに耐えることに飽きたのか湊太はがばっと起き上がった。湊太が何かを思いつくときは大抵どうでもいいことを思いつく。閃きという才能は若くしてすでに枯渇している。
「俺らが南国の外国人になったらいいやん」
暑さは人間から知力を奪う。
「就労ビザの申請が面倒やで」
私は渾身の力で応答したがすでに知力を奪われた後だった。
「南国行ったら働かんでいいやん」
「それはバカンスやからやろ。向こう行ったらレストランとかホテルとかあるやろ?人が働いてる証拠や」
私はさらに追い打ちをかけるべく続ける。
「南国の外国人ってなんやねん。外国行ったら私らは外国人やぞ。っていうか日本人やぞ。南国行って暮らそう思ったらこのくそ暑い中働いて金稼がなあかんやろぼけ」
暑さ人を暴力的にする。南国の人はどうして暴力的ではないのだろうか。
*
「日が落ちたらまだましやな」
辺りが薄暗くなった頃にようやく気温が下がり、まともに動けるようになった。部屋でぼうっとしていると遠くから音頭が聞こえてきて、暑さでいよいよ幻聴かと思ったが、そうではなく近所で縁日のお祭りがあるらしかった。
「暑いのは暑いけど、歩きにくいなこれ」
お祭りに行くということで気合いを入れてじいちゃんの下駄をはいた。浴衣を着ようかと思ったがどこにあるのかも分からなかったし、そもそもあるのかも分からなかった。出てきたところで正しい着方も知らなかった。
どうしてお祭り気分を味わいたかったので、Tシャツにジーンズという格好に下駄をはいた。
「お前、観光に来た外国人みたいやぞ」
下駄自体ははき慣れないもので、しかもサイズも合わなかったので非常に歩きづらかった。湊太のTシャツには大きく「侍」と書かれていた。
「あかん指のとこ痛い。あっ取れた」
長くはいていなかったせいか、鼻緒が取れてしまった。家からはちょうど半分くらいの距離で、帰れないことはなかったが、どうしようか迷う距離だった。
「貸してみ」
湊太は私から下駄を取り上げて、ポケットから出したハンカチを細く千切り、結び直してくれた。
「和柄やから似合うやろ」
ものの5分ほどで下駄は直り、新しい鼻緒は少し太くて不格好だけど、湊太の言うように和柄が妙に下駄とマッチして格好良かった。
「鼻緒(仮)やな」
「なんやねんそれ」
湊太は相変わらず能天気に笑った。会場に着くと薄っすらと汗をかいていて、すぐにかき氷屋に向かった。
湊太は南国気分が抜けなかったのか、ブルーハワイを頼んでいた。私はイチゴにしてもらったが、ブルーハワイの青は鮮やかで、とても美味しそうに見えた。
お祭りの最中はほどけることはなかったが、家に帰る直前に湊太の作った鼻緒はほどけてしまった。ほどけたことは湊太には言わず、こっそりと片足だけ裸足で帰った。
右足が汚れてしまったので、玄関からはけんけんでお風呂場に向かった。鼻緒を代わりを務めたハンカチの切れ端で足を拭うこともできたが、私はそれを大事に握りしめていたため、それは出来なかった。
了
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