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腐敗

思いのほか腐敗が進んでいたので一瞬驚いたが、すぐにそれもそうかと思った。というかその腐敗は目に見えるものではなくて、あくまで自分自身の捉え方によるもので、私自身が腐敗が進んだと感じたからに他ならなかった。

つまり私自身がその腐敗を進めているのであって、その腐敗は私の内側から来ているものであり、その腐敗の進行も私自身、であるなら私のそのものが腐敗のそのものであり、私が腐敗の進行を感じたものの腐敗とは一体何だったのだろうか。

恐らくそれは私を私と切り離して考えているからであって、それが私の腐敗であることに他ならなかった。

なぜなら私は極度に私を嫌う傾向にあった。私が社会、すなわち世から乖離、所謂、不適合、であり、そのことを酷く承知の上、つまりは納得しており、とどのつまりは私は自分が嫌いだということであり、というのも私は酷く自らの矮小さ、愚鈍さ、克明な醜さを恨んでおり、それを社会、すなわち世に輩出したわが世の父母、その父母を輩出したそのさらに父母、私の祖父母にさえ憎悪の念が堪えない所存であり、つまりはそれほど私は私自身を嫌い、世界の頂点に達するほどの憎しみをわが身に抱いていた。

最も憎悪の対象である、生き物、強いて言えば人間が、意思のままに動く自分であることは耐えられない苦行であり、それを自分とは切り離すことで私は何とか掻きむしりたくなるほどの自我を保っていた。

しかしその切り離し、こそが腐敗の始まりであって、自身に責任を持たないということは人間が腐るのだなあなどと言う事を煙草を吸いながら眺めていた。

初めのうちこそ自分が腐敗していくことを喜びさえしていた。なぜなら世界で最も憎悪の対象であるものが腐っていくわけで、それは特殊な性癖、サディズムなどの精神性を身に纏っていないとしても感じる喜びなのではないだろうかと思う。

しかしいくら切り離しては自分は自分であり、切り離した、といってもそれは精神の問題であって、というか精神が腐っているのだが、その臭いたるや我慢の出来ないものになった。

精神が腐敗すると臭気を発するということは初めて知った。それは今までに精神の腐った人を身近に感じたことがないからで、学校でもそのことは教えてくれなかったからだ。

精神が腐敗するとまず鼻がやられる。精神の腐敗臭とはそれほど暗澹としたものだ。次に耳が、そして目がやられる。圧倒的な臭気とはそれほど圧倒的に自己の機能を凌駕してしまう。精神、というのも問題なのかもしれない。

そもそも精神によって脳がやられればそれだけで人間の機能はストップする。精神とは脳と密接な関係にあって、かなり腐敗が進んでいるが脳だけは未だに健康、健全でいられていることは唯一私を褒めるべき事象だと思った。

ただここのところはさらに変化が生じ、祖父母の代まで呪った私に対する憎悪はすっかりと影を潜めていた。

それは腐敗による影響で、脳以外のほとんどの機能が停止、とまではいかないがほとんど正常に機能していないからだ。

私は私自身を腐敗させ、その全てを曖昧にしてしまうことで、自分を克服、つまりは克明に認識していた憎悪を消し去り、自分自身を受容していた。

つまり腐敗がいい方向に転じた、ということであり、社会、すなわち世ではこれを発酵といい、大層もてはやされる行為なのだ。私はこの発酵、により自身を曖昧に、そして受容出来るものに昇華していた。

しかし発酵、とは言え、腐敗には他ならず、さながらブルーチーズのように非常に癖のある趣であるために、私は私を完全に受容しきれてはいなかった。

受容しているには変わりないのだが、あくまで全部ではなく、所謂、先っちょだけだから、状態である。

この、先っちょだけだから、状態が今の私と私の距離であって、まあそれはおいおい距離を縮めていけばいいだろうと感じている。私が少しでも私を受容出来るということが大切なのだ。

停止しかけた聴覚に薄っすらと言葉が乗る。視覚もほとんど停止、つまり、闇の中に一筋の光、状態であるので確かではないが、恐らく社会、すなわち世から発せられたものだと思う。

私はそれが私の求める答えなのではないかという想いが急遽自身の中に発生したことを知り、大いに期待を寄せる。

「なんだあいつは腐ってやがる」

了。

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