茶道から感じたこと、その1

日本の生活に慣れ、お茶の稽古を始めてからちょうど1年が経ちました。毎回「扇子」を持ってお稽古していますが、茶道を通して感じたことはたくさんあり、まず1つピックアップして書いてみたいと思います。

扇子

中国では扇子はすごくポピュラーで、夏になると皆扇子を持って仰ぐし、カンフー映画の中では扇子を武器としても使います。
私も扇子が大好きです。生まれた故郷には「檀香扇」という白檀の香り付けした香り持ちの良い扇子があります。

お茶の稽古の時はいつも扇子を膝の前に置いて挨拶をします。扇子を使ったこの動作に私はずっと疑問をもっていました。
「どうしてわざわざ扇子を前に置くの?」

師匠曰く「相手と自分の境界線を作るため」ですが、では、どうしてわざわざ自分と相手の間に境界線を作るのだろう?

実はさらに興味深いことが隠されていました!

扇子は心の境界線の表現道具として使っています。

例えば、床の間や手前座を拝見する時は、まだ自分はその中に入っていないので距離を維持しています。それを扇子で表現します。

仮座で扇子を仮置きし、席が定まってようやく扇子を後ろに置きます。自分の心が茶席に入ったということを示します。

これって、心の動きを扇子で表現しているのではないのですか!?

手前ごとに扇子を前に置いて師匠に挨拶をする。30年以上の師弟関係でも、友のような間柄でも、手前ごとに挨拶をする。その挨拶で関係をいったん絶ち、教えられる者の立場という心境に立ち返ることができる。これは「心の動き」ですよね。

さらに、時間そのものは過去から未来まで連続的ですが、茶道ではそれをあえて切断しているのです。境界線を張って、始まりと終わりを区別することで人間の主体性を確立しています。

お茶事に参加して感じたのは、懐石から中立まで和やかな談笑が、鳴物にいったん断ち切られ、後入りから濃茶吸い切りまでの無言の時間、主客ともにじつに主体的な充実を分かち合うことができます。(私はいつも足と痺れを分かち合っています)

大げさかもしれませんが、茶道を通して統一された自分自身、自分らしい自分を実現できるかもしれません。つまり、自分が能動的な主体として思考し、行動することができることを茶道に触れたことで気づかせてくれました。これは私の推測です。いつその境地に行けるかわかりませんが(笑)

とにかく、茶室での時間、空間を学ぶことで、人間観そのものを練る機会を得ているような気がします!

もし人生の方向性に迷っている就活生がいたら、茶道を習うことでいいヒントが得られると思います。

そういう漫画が出たら面白いな・・・ 

#茶道 #就活 #日本 #文化 #人間 #扇子 #言葉 #美


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