今日も道具に頼って通じ合う『silent』【勝手に寄稿】

扁桃炎になってしまって、寝込んでいる間、昨年流行ったドラマ『silent』を見た。

まだ中二病が治っていなくて、見れていなかったが今季のドラマ『いちばんすきな花』が面白すぎて、同じく生方美久さん脚本の『踊り場にて』を視聴し、『silent』も一気見してしまった。

中途失聴者の男性と、聴者の女性を中心にしたラブ・ストーリー、だと思って見始めたが最終的にはそういうお話ではなかった。

言葉や手話は、大切な人間と通じ合うための道具でしかなく、通じ合う手段など、この際どうでもいい。という話だったと思う。決して、ポルノ的な話ではない。

風間俊介さん演じる手話教室の先生のキャラクターが居酒屋で言うセリフが印象的だった。

大学時代、就活のネタのためにノートテイク(ろう者のために講義ノートなどを取るボランティア)をしていた彼は、とある出会いをきっかけに手話を学び、仕事にした。

なぜその仕事に就いたのか尋ねられた彼が「ろう者とコミュニケーションを取ってもっと理解したかったから。でも、手話はコミュニケーションの手段でしかない。言葉の意味がわかってもその人の思いはわからない、ろう者にも聴者にも色んな人がいて、それぞれの思いは唯一で、特別だ」と答える。

ドラマ冒頭で破壊される価値観として、「手話を勉強する人は優しい」というものがある。手話というものがろう者のための道具であり、聴者には要らない。それをわざわざ学んで仕事にするなんて善意スタートの行動としか思えない、みたいな考え方だと思う。彼は登場一発目からそういうものの見方はやめろ、と教えてくれる。

それは彼が様々な人と出会いコミュニケーションを取った結果、分かったことだった。別に優しいから、自己満足したいから手話をやっているわけじゃない、ろう者だって別にやりたくて手話を使っているわけじゃない。

自身が置かれた状況で、大切な人間と、特別で唯一な想いを通じ合わせるために手話を使っているだけだ。本作も決して障害を使って誰かを感動させようとしているわけではなく、本質的なテーマを届ける適切な道具として使っただけだ。

ラストの黒板シーンでもわかるが、状況や人に応じて、手話・文字・表情とコミュニケーションを使い分けた演出をしており、通じ合うことが目的でその道筋なんてどうでも良いというのが伝わる。

また、もうひとつ素敵なテーマがある。

目黒蓮さん演じる中途失聴者の佐倉想が筆談をしている際に「再会しなければよかった」という文字を書くシーン。

これは、病気をきっかけに疎遠になってしまった川口春奈さん演じる青羽紬と再会し、様々な想いが駆け巡って溢れ出してしまったセリフだ。

一見悲しいセリフだが、続けて「でも、再会してよかったとも思う」と申し訳なさそうにノートに書く。ふたりの再会によって、良いことも起これば苦しいことも起こったのだ。

このアンビバレントな気持ちは誰もが抱いたことがあると思うし、物事は常に吉凶禍福。嬉しいことも、悲しいこともその裏には苦しいことや素敵なことを孕んでいたり繋がっていたりして、その積み重ねの上に今の自分の生活や気持ち、人間関係が形成されている、ということを再確認させてくれる作品でもあった。

自分自身も言葉を使って仕事をする者の端くれとして、これからも大いに道具に頼って生きていくが、それがたかが道具であること、されど道具であることを実感しながら丁寧に大事に使用していきたい。

あと、生方美久さんがぐう天才なので、これからもずーーーーーーーっと作品を楽しみに生きます!

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