ここがヘンだよ電ファミニコゲーマー 〜場外乱闘編〜

前回の記事の続きです。全文無料ですが、気に入った人は記事を購入してください。資料代くらいは、まかなえるといいな……。

【0】はじめに

先日、ゲンロン編集部が発行した書籍『ゲンロン8』に、ゲーム系ウェブメディア・電ファミニコゲーマー(以下「電ファミ」)が物言いを付ける、という出来事がありました。
電ファミの指摘、およびそれに対するゲンロン編集部の反応は、以下のページにまとめられています。

▽『ゲンロン8』共同討議へのご指摘に対する返答
https://genron-tomonokai.com/genron8sp/hentou/

さて、この中の1991年頃のカプコン作品に言及した部分(表の番号でいえばNo.8〜No.13までの項目)ですが、大きな問題があります。
今回の記事は、その問題点を指摘していこうという趣旨です。
(ほかの項目からもところどころ危なっかしい匂いがしますが、ぼくにとっては「専門外」の分野なので触れません。ほかに人に任せた)

【1】『ゲンロン8』の当該部を確認してみよう

まず、『ゲンロン8』の当該箇所の記述を見てみましょう。
少し長いですが、引用します。
※なお、本記事では電子(Kindle)版の『ゲンロン8』を参照していますが、以下のページでも記事を読むことができます(https://genron-tomonokai.com/genron8sp/no1/)。

 九一年というのは、ゲームのグローバル化がスタートした年であると。さやわかさん、どうですか。
さやわか 九一年以前にも洋ゲーという言い方で海外ゲームを楽しむ向きはありました。もともとゲームは日本よりも海外のほうがマーケットも大きく、また初期のゲームファンはApple II用などの海外製PCゲームを楽しんでいた。ただ八〇年代にはファミコンが登場して国内ゲーム市場が大きく発展し、ゲームが一気に輸出産業として認知されていく。九一年は、それがさらにグローバル化に向けて舵を切っていったタイミングです。
『ストリートファイターII』自体が海外市場を意識して開発されたタイトルです。もともと海外から『ストリートファイター』(カプコン、八七年)の続編の要望があった。それでカプコンは類似作品を作るんだけど、それが横スクロールの『ファイナルファイト』(カプコン、八九年)だった。しかしそれは海外市場が求めていたものではなかったので、あらためて一対一で戦うスタイルの『ストリートファイターII』が開発された。つまり日本向はけに作ったものが、たまたま海外でも当たったわけじゃない。この作品がいわゆるベタな日本を描いているのも、海外市場を意識しているからこそでしょう。
 ともかく、九〇年代にはたしかにマーケットはひとつになった。でも他方でコンソールごと、プラットフォームごとに文化が分かれていく時代でもありますね。そういう意味では、グローバル化を成功させたメーカーのひとつがセガだったのがおもしろい。グローバルになってみんなが任天堂を遊ぶようになるの思ったら、そうでもなかったわけです。
井上 任天堂は九〇年代の前半は強かったですね。九二年に『ストリートファイターII』がSFCに移植されて、『ファイナルファンタジーIV』(スクウェア、九一年)や『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(エニックス、九二年)といった人気JRPGも出る。
黒瀬陽平 プラットフォームにおいて任天堂が圧倒的に優位であった一方で、ソフトに目を向ければ、むしろ、『スーパーマリオブラザーズ』(任天堂、八五年)を中心とした任天堂イズムのようなものに対して、多様性のあるいろんなジャンルのゲームが出てきたように感じます。

(※引用者註:発言者の「」=「東浩紀」さん、「井上」=「井上明人」さん)

要点を大ざっぱにまとめると、「ファミコンの登場により、国内のゲーム市場が広がり、輸出産業として評価されるようになった」、「『ストリートファイターII』(以下、『スト2』)は国外を意識して開発されたタイトルであった(ので、カプコンひいては日本のゲームメーカーが海外市場を意識し始めた証拠の一つとして挙げられる)」といった感じ。
ほかにも重要な論点はありますが、今回の記事とは関係ないので、ひとまずおいときます。

さて、これを踏まえた上で、電ファミがどういう「指摘」をしてるか、どういう問題があるのかを、順次見ていきたいと思います。

【2】電ファミの「指摘」を見てみよう

一連の「指摘」に対し、さやわかさんは『ALL ABOUTカプコン対戦格闘ゲーム1987‐2000』(電波新聞社)をソースとして挙げ、一蹴しています。
ぶっちゃけそれで終わりの話ではあるのですが、もう少し詳しく見ていきましょう。

〈9〉について

電ファミは、さやわかさんの以下の発言に物言いを付けています。

『ストリートファイターⅡ』自体が海外市場を意識して開発されたタイトルです。

電ファミの指摘を見てみましょう。

編集部の知る限りでは、カプコンもしくは西谷さんから意識していた旨を聞いたことがありません。過日の電ファミによる西谷さんインタビューhttp://news.denfaminicogamer.jp/interview/171212でも、『ファイティングストリート』のダメだったところを正すために、まず『ファイナルファイト』で当たり判定などの研究修正、そしてその対戦化という流れが窺えます。そのため、原稿内後述の「類似作品」という表現に強い違和感を覚えます。
『ストII』そのものはアーケード日本版の発売後、結果的に海外向け移植をしていますが、各国代表キャラクターのピーキーな設定や、ベガ、バルログ、バイソンの名前の入れ子状態などからも、開発者は決して海外を意識していないということが窺い知れます。

80〜90年代のアーケードゲームを多少知っている人であれば、おかしな記述を複数見つけられたと思います。
順番に見ていきましょう。

編集部の知る限りでは、カプコンもしくは西谷さんから意識していた旨を聞いたことがありません。

聞いたことがないのは、「尋ねてない or 調べてないから」というだけの話ですね。
『スト2』が海外からの要望を受けて作られたのは有名な話で、複数のインタビュー記事において言及されています。
たとえば、『ストリートファイターアートワークス 覇』、およびその改訂版である『ストリートファイターアートワークス 極』(カプコン)に掲載されている対談記事「安田 朗×西谷 亮」では、以下のように語られています。

——『ファイナルファイト』前に、もう『ストII』の企画はあったそうですが?
安田 キャラクターも作り始めていたんですが、ROMが足りなくて『ストリートファイター(1)』よりも小さい容量で作らなきゃいけなかった。それであきらめたんです。
西谷 当時はファミコンのために、世界中のROMが足りなくなっていたんですね(笑)。
——それで、『ファイナルファイト』の企画になった、と。
西谷 当時、『脱獄』『ダブルドラゴン』と、横スクロールのベルトフロアゲームはあったんですが、キャラが重かったり仕様がイマイチで。
安田 でも、海外で売れてたんだよね。
西谷 とにかくちゃんとしたベルトアクションを作ろう、と思ったのが『ファイナルファイト』のスタートですね。当時『天地を喰らう』も出ていたと思うんですが、3ラインとか、個人的には「ありえない仕様だ」と思っていたので、ラインは無くしました。
(中略)
——『ファイナルファト』が大ヒットして、『ストリートファイターII』に取りかかるわけですが、企画は西谷さんだったんですか?
西谷 ROM の状況も良くなっていたし、海外から続編の要請があったと聞いてます。
安田 『ファイナルファイト』のヒットで『ストII』に人材をまわしてもらえて、「これは勝ち戦だ!」と喜んでました(笑)。

このへんの経緯については、シャドルー格闘家研究所 ROUND 1:安田朗さん 前編などでも触れられています。

また、『ドリマガ』(ソフトバンククリエイティブ)Vo.20に掲載された、船水紀孝さんと西谷亮さんの対談でも、このあたりの話が出ていました。残念ながら実物が手元にないのですが、ネット上に要約をアップしている人がいたので、リンクを張っておきます。
http://archive.li/vUIEN
(※大筋の内容は押さえているようですが、原文そのままの書き起こしではなく、細かい間違いもあるので、取り扱いには注意してください)

「対戦部分はアメリカなどの海外を意識して作った」、「日本では対戦は流行らないと思っていた」などの証言が出ています。
まぁ、アメリカ市場を意識していたのは、疑う余地がないですよね。

次。電ファミの指摘を再び引用します。

過日の電ファミによる西谷さんインタビューhttp://news.denfaminicogamer.jp/interview/171212でも、『ファイティングストリート』のダメだったところを正すために、まず『ファイナルファイト』で当たり判定などの研究修正、そしてその対戦化という流れが窺えます。

『ファイティングストリート』は、『ストリートファイター』の移植版の名称です。ここで移植版の名称を出す意味がわかりません。
電ファミが引いている自サイトの記事でも、『ファイティングストリート』の話は注釈に少し出てくるだけ。
西谷さんが初代『ストリートファイター』の曖昧さを気持ち悪く感じ、『ファイナルファイト』『スト2』はそうならないように留意していた、という話は各種インタビューで言及されています。
しかし、その手の話をしている際に『ファイティングストリート』に言及しているケースを、ぼくは見たことがありません(というか、言及する必要性はないですよね?)。
この『ファイティングストリート』がどこから湧いて出たのか、本当に謎。

はい、次。電ファミの指摘から引用です。

『ストII』そのものはアーケード日本版の発売後、結果的に海外向け移植をしていますが、各国代表キャラクターのピーキーな設定や、ベガ、バルログ、バイソンの名前の入れ子状態などからも、開発者は決して海外を意識していないということが窺い知れます。

いやはや、勝手に窺い知らないでほしいですね。
ふつう、それは妄想といいませんか……? 少なくとも「開発者は決して海外を意識していないということが窺い知れます」と断言するのは、相当無理があると思います。

おおかた、ニコニコ大百科のいい加減な記事でも読んで、うっかり信用してしまったのかなと思いますが……。
メディアの人なら本当に気をつけてほしいです。

あと、どうでもいい話ですが、ここで「入れ子状態」という言葉を使っているのもヘンです。
「日本版と海外版で、キャラの名前が入れ替わっている」ということが言いたいのでしょうけど、普通それを「入れ子構造」とは言わないと思います。
そこは単に「キャラの名前が入れ替わっている」、あるいは「日本版と海外版でキャラ名の混乱が見られる」などの平易な言い方をすればいい場面で、なぜわざわざ不正確な語を使うのか!

意図がまったく分かりません。背伸びしてなんか難しげな言葉を使ってみたかったのか、それとも単に言葉の意味を勘違いしているのか。
いずれにせよ、見ていてこっちが恥ずかしい気分になるので、気をつけてほしいと思いました。
(※これはあくまで推測ですが、関西方面の方言「てれこ」のことを「入れ子」を勘違いしているのかもしれません。いずれにしても恥ずかしい)

〈10〉について

『ゲンロン8』の「海外から続編の要望があった」という趣旨の記述に対し、電ファミは「初耳です」という衝撃のコメントを付けています。

『スト2』が海外からの要請に応じて作られたという話は、先に引用した『ストリートファイターアートワークス』をはじめ、さまざまなインタビューで言及されています。
『スト2』について調べようとすれば、必ず行き着くと言っていい情報なのですが……。

で。
ここで、電ファミが以前に掲載した「『ストII』で格闘ゲームを生んだ伝説の男、西谷亮が挑むジャンルの再構築──『FIGHTING EX LAYER』にアリカが社運をかけて臨む理由」という記事を見てみましょう。
この記事の中で、電ファミのインタビュアーが、以下の発言をしています。

── 一方、西谷さんの過去のさまざまなインタビューを拝読すると、じつは「こっちのほうがいい感じだったからこっちに決めた」などの、理屈ではなく感覚を重視しているような発言もけっこうありますよね。

「西谷さんの過去のさまざまなインタビュー」を読んだそうですが、その中に『スト2』の開発経緯について触れた資料はなかったのでしょうか……?

あまり人を疑いたくはないですが、「過去のさまざまなインタビュー」を読んだというのは、本当なのでしょうか……?

〈11〉について

初耳です。僕が西谷さんから聞いた話もそれです。『ファイナルファイト』で変形するコリジョンのテストをしており、ここで書かれているのは当時から流布している伝説でしかないと思います。

ごめんなさい、ここ何書いているのか分かりません。
意味が分かる人、教えてください。

「それ」は何を指しているのでしょうか? 「ここ」とは?
「当時から流布している伝説」とはなんのこと……?

〈12〉について

次は、さやわかさんが『ファイナルファイト』を指して、

海外市場が求めていたものではなかった

と表現した部分について。
電ファミは以下のような指摘を入れています。

・初耳です。
・https://www.gamespark.jp/article/2013/11/01/44380.html
おそらく日本の売り上げも含めてると思いますがファイナルファイト148万本売れてますね。スト2の方が圧倒的なのは確かですが。

初耳なのは電ファミが不勉強だからですが、ここはさやわかさんの発言にも問題があります
「海外市場が求めていたものではなかった」は誤解を招く表現です。これでは、『ファイナルファイト』が海外市場で受け入れられなかったように読めてしまいます。

正確なニュアンスとしては、海外の人から「本当にほしかったのは対戦格闘ゲーム『ストリートファイター』の続編」と言われた、程度の話なんですね。
さやわかさんはだいぶ言葉が足りない。

このあたりのニュアンスがわかる参考資料として、『月刊ゲーメスト増刊 1991 ALL CAPCOM』(新声社)掲載の「徹底肉薄!! これがカプコンだ!! 食い物と馬とクラッシュ!! これがカプコン開発陣!!」を引用します(この記事は『ザ・ベストゲーム2』(新声社)にも再録されています)。

 ぜんじ ファイナルファイトの後はストリートファイターを作られたわけですよね。
 NIN そうですね。ファイナルファイトはそもそもストリートファイターの続編を作ろうといって始まったものなんです。でもそのころ、ダブルドラゴンがはやっていて、そのタイプのゲームに変更したわけです。
 そしてアメリカ向けにファイナルファイトを作ってアメリカに出張に行ったら、「ストリートファイターみたいな対戦もののほうが売れたのに」と言われて、あれれ?って感じで。

(※引用者註:「ぜんじ」=ゲーメスト編集長(当時)の「石井ぜんじ」さん「NIN」=当時カプコンに在籍していた「西谷亮」さんのこと)

先に挙げた『ドリマガ』Vol.20の対談記事にも同じ趣旨の記述があります。

電ファミのツッコミは的を外していて、あまり意味がないですね。

あとどうでもいい話ですが、電ファミの編集部はGamesparkの記事じゃなくて、カプコンの公式IR資料を貼ったほうがいいんじゃないかと思いました。
http://www.capcom.co.jp/ir/finance/million.html

〈13〉について

さやわかさんの、

つまり日本向けに作ったものが、たまたま海外でも当たったわけじゃない。この作品がいわゆるベタな日本を描いているのも、海外市場を意識しているからこそでしょう。

という発言に、電ファミは以下の指摘を入れてます。

上記のことから、結果ここに違和感を覚えます。
カプコンが開発中から明らかに海外市場を意識した制作を始めるのは、2004年の『モンスターハンター』が北米では受け入れられなかったことを踏まえた、MTフレームワークの導入後の、稲船期の『デッドライジング』(2006年)あたりからであり、それ以前はご発言との逆を行きますが、『バイオ』>当たり、『モンハン』>ハズレなどに代表される「いいものを作れば、海外だろうが当たるときは当たる」という思想のもとに作られていると考えられます。

うーん、まぁ……。妄想でしょうね……
カプコンが「「いいものを作れば、海外だろうが当たるときは当たる」という思想」を持っていた、というのは否定できないのですが、海外の市場を意識してなかったかと言えば、そんなことはないんですよね。

ここで、『ゲーメスト』Vol.83(1993年1月号)に掲載された、「1991 オールカプコン 発売記念 開発者からのコメント集」というコーナーを見てみましょう。
シューティングゲーム『1942』について、岡本吉起さんは以下のように語っています。

1942
 開発にあたって、感情移入のしやすいシューティングゲームを作るということが第一の目的でした。そこで、第二次世界大戦を舞台にしたものが生まれたのです。
 また、このゲームの開発期間から海外にも目を向け始め、プレイヤーを米軍のP-38にしたのもアメリカの市場をにらんでのことです。
(OCAPOM)

1980年代の時点で、アメリカの航空機を操作して、旧日本軍をモチーフにした艦船や航空機をぶっつぶしていくゲームを作る程度には、海外(アメリカ)市場を意識していた……というわけです。

ついでに、先掲の『月刊ゲーメスト増刊 1991 ALL CAPCOM』(新声社)掲載「徹底肉薄!! これがカプコンだ!! 食い物と馬とクラッシュ!! これがカプコン開発陣!!」の記述も挙げておきます。

 POO ありがとうございます。天地を喰らうはエンディングに赤い字で、第2弾乞うご期待って書いてありますよね。あれで天地を喰らうが東南アジアでも非常に好評だったんですよ。ほんとに。それで東南アジアからパートIIを作ってくれとものすごく催促されて天地を喰らうIIを作りました。
 かる エンディングは日本語ですよね。日本語読めるんですか?
 OCAPOM 日本語が読めないと商売できないらしいですよ。三国志は中国人の華やかな時代の話でしょう。中国の人はマレーシアのほうまで商売してますから、東南アジアではものすごく売れました。その半面、アメリカ、ヨーロッパではちっともだめで…。
 ぜんじ アメリカで売れたのはファイナルファイトですか。
 NIN そうです。もともとアメリカ向けに作ったんですよ。アメリカで格闘ものが売れるので、アメリカで言われるヒットする条件をすべて守って作ったものなんです。できるだけ流れを止めないようにとか、MAPを出して今どこにいて、どのくらいまで行かなければいけないかわかるようにするとか。

(※引用者註:発言者はそれぞれ、「かる」=ゲーメストライター(当時)の「KAL」さん/「ぜんじ」=ゲーメスト編集長(当時)の「石井ぜんじ」さん/「POO」=当時カプコンに在籍した「船水紀孝」さん/「OCAPOM」=同「岡本吉起」さん/「NIN」=同「西谷亮」さんのこと)

『ファイナルファイト』がアメリカ市場でヒットしていたこと、もともとアメリカ市場を強く意識した作品であったことが語られています。
これでも「カプコンが海外市場を意識し始めるのは『デッドライジング』から」と言えるでしょうか……?


さて、ここで身も蓋もない話をしますと。
アーケードゲームの世界では、古くから多くのメーカーが海外市場を意識してきました。これはアーケードゲーム業界では「常識」と言っていい話で、電ファミもゲームメディアであるなら、さすがに知っておいてほしかったな、と思います。
まぁ知らなくても全然かまわないのですが、ごちゃごちゃどうでもいい「指摘」をする前に、「米国法人(カプコンUSA)ができたのはいつだろう?」とシンプルな疑問をもってほしいなぁ、と思うのでした……。
http://www.capcom.co.jp/ir/company/history.html

本記事の趣旨とは関係ありませんが、90年代以前のアーケードゲームメーカーが、海外の市場をどう見ていたのかは、調べてみるとけっこう面白いです。

たとえば、『雷電』シリーズで知られるセイブ開発の濱田社長のインタビュー。

雷電IVblog -第100回 セイブ開発 濱田社長インタビュー
http://raiden4.air-nifty.com/blog/2009/04/100-303b.html

『雷電』をリリースするにあたって、海外で綿密なロケテストを行っていたという話や、『雷電』以前にアーケード基板を2万枚売っていた、等の話はとても興味深いです。

近年の本では『ジャレコ・アーカイブズ』(実業之日本社)に掲載された、ジャレコ創業者の金沢義秋さんのインタビューも面白かった。

——オリジナルタイトルを発表するようになってすぐの1983年に、社名をジャレコに変更していますね。
金沢 それは、インベーダーブームが終わった時にこれからは日本のマーケットだけじゃだめだと思うようになったから。それでゲームを輸出するようになって、うちのオリジナルタイトルを外国人がたくさん買ってくれるようになったんだ。そしたら、「ジャパン・レジャーって、旅行会社か?」って言われることが増えてきたんだよ。それ以前からジャパン・レジャーという社名は外国 人からはわかりにくいって言われていたこともあって、 すでに海外では「ジャパン・レジャーコーポレーション」 の略称である「ジャレコ」をメインで使ってたんだけど、 日本でもジャレコに統一したってわけだ。

インベーダーブームの後にはすでに海外市場に注目していた、というのは興味深いですね。開発時に海外市場をどれくらい意識していたのか、詳しく聞いてみたいところです。

アメリカで旅行会社と間違われたって話は、単純に笑っちゃいますよね。ジャレコという社名は、海外とのつきあいから生まれたんですね。

確かに、「ジャパン・レジャー」と言われたら、日本人でも「旅行会社かな?」と思っちゃいそう。

ほかにも、面白いものはいろいろあります。
西谷さんやカプコン関係で、近年の書籍に掲載されたものといえば、『石井ぜんじを右に!』(ホビージャパン)のインタビューも興味深いです。
『ファイナルファイト』のロケテストでアメリカで行った西谷さんが、日米の楽しみ方の違いを知った話や、『スト2ダッシュ』で画面の配色がケバケバしくなったのは、海外市場を意識した配慮であった(続編モノは見た目が大きく変わっていないと、「どこが違うんだ?」と言われてしまう)ことなどが記されています。

【3】終わりに

さて、話がちょっと脱線しましたが。
とりあえず、『ファイナルファイト』『スト2』周りについての電ファミの「指摘」が、どれだけ杜撰で的外れかは、おわかりいただけたかと思います。
彼らは、ちょっと資料を調べれば絶対にやらないようなトンチキな話を、延々としているわけです。

最後に、電ファミに三つほど苦言を呈して、この記事の締めとします。

▼何か言う前に、まず基本的な資料にあたってくれ
電ファミが「初耳」と言っている情報は、先行書籍を軽く見れば分かることばかり。『ザ・ベストゲーム2』や『ALL ABOUT〜』のような古い本のインタビューを参照しなくても、近年発行された『ストリートファイターアートワークス』や『ストリートファイターぴあ』(ぴあ)にも、似たような内容の記事が載っています。
商業メディアなんだから、気になることがあったら近刊の書籍を軽く確認する、くらいのことはやってほしい。

ちゃんとした日本語で書いてくれ
素人のブログの記事じゃないんだから、意味がとれるようにしておいてほしい。No.11の指摘とか、なんなんだよアレ。

そもそも、なんでそんなに自信満々なんだよ
なんで「自分が知らない」=「そんな事実はない」みたいな思考になるのか? なんでそこで「自分の知識が足りてないだけでは?」と疑いをもたないのか……?
電ファミに、アーケードゲームのことなら何でもしってるアーケードゲーム博士でもいるなら話は別ですが、そうじゃないなら、もっと謙虚になってほしいところ。
謙虚さが1ミリでもあれば、あんな恥ずかしい記述をやらかさずにすむのに……。


まぁなんと言いますかね……。
一言でいえば「まじめにやれ」ですよ。

まじめにやれ、ほんとに。頼むよ。


●追記1:
さて。本稿で取り上げた電ファミの「指摘」が、妄想まみれでボロボロなのはご理解いただけたかと思いますが、ではゲンロンの言い分が正しいのかといえば、これも怪しいところだと思います。
「1991年にごろに大きな動きがあった」という説を強く否定はしませんが、その傍証の一つとして『スト2』を持ち出すのは、慎重さに欠けると思います。

1984年にリリースされた『1942』や、のちの『ファイナルファイト』にまつわる開発者の証言を読む限りでは、『スト2』以前から海外市場を意識した開発が行われていたのは疑いようがなく、『スト2』もその延長で作られたと考える方が自然だからです。
『スト2』を傍証として使用したいのなら、『スト2』が既存のカプコン作品に比べ、より海外を意識していたと推測できる材料を提示する必要があるでしょう。
対戦バランスを(当時としてはそれなりに)しっかり作り込んでいるのは、アメリカ市場を強く意識した証左と言えそうですが、既存の作品——たとえば『ファイナルファイト』——と比べてエポックだったかと言えば、ちょっと判断しがたいと思うんですよね。


●追記2:
ちょっと嫌みっぽいことを書いておきます。
ふだん、ゲーム史関係のいい加減な記事を見ると「正しい歴史が書かれていない!」と顔真っ赤にして怒っている一部の人たち(具体的な名指しは避けますが)に言いたいのですが、なんで電ファミが雑なこと書いても怒らないんですかね……?
本稿で取り上げた箇所は、例のリストでも最初のほうで、リストを開けば絶対に目に付くはずです。見た瞬間、「このリスト、ちょっと怪しいぞ」と警戒しないとおかしいと思うんですよ。
ゲーム史について一家言あるような人が、『スト2』の有名なエピソードをしらないとか、可能性的にかなり低いと思うんですよね……。

さておき。

まぁ怒らないまでにしても、軽くたしなめるくらいはしてもバチは当たらないと思うんですけど。

つーか、こういうときにしっかり批判しないと、「ああ、この人たちの言う"正しい歴史"って、打算とか党派性とか利害関係にまみれたものを言うのだな、ハハハ!」って笑われて、信用を失うと思うのですが。
少なくとも、ぼくならそういう人は信用しません。その手の人たちが語る「歴史」は、今後すべて疑ってかかります。

逆に、こういうときにキチッと節度を持った批判ができる人は偉いと思いますし、みんなもっと褒めた方がいいですよ。

●追記3:
ふと思い出したのですが。
『ファミ通DVDビデオ STREET FIGHTER SAGA 格闘武眞傳』(エンターブレイン)に収録されている、西山隆志さん(ディンプス)と船水紀孝さんの対談の、『ストリートファイター』の圧力センサー筐体に言及した場面があります。
例の有名な筐体の圧力センサー部分と筐体デザインはアタリが開発したという話が出てくるんですが、ここ船水さんがチラッと「日本人がやるってのは想定しないで作ってますね。当初は」と発言されてます。

本当にちょっとした発言なので、真意を正確に推し量るのは難しいのですが、1987年当時のカプコンの姿勢をうかがい知れる発言なのかな、と思いました。

ちなみに、『格闘武眞傳』には西谷亮さんと船水紀孝さんの対談も収録されています。
こちらでは、「『スト2』開発中は、対戦のことはあまり頭になかった」、「日本人は対戦しないと思っていた」、「だからアメリカ人の対戦ニーズを忘れて作り込んでしまい、あとで慌てることになった」といった趣旨の証言がなされています。
「会社の方針としては北米市場を意識していたが、作っているのは日本なので、開発中はその方針が忘れられることもあった」という現場の空気感が伝わってきて面白いです。

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