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108 なぜ人は旅をするのだろうか

    写真:「旅行者の銅像」@スペイン、オビエド(Wikipediaより)

 肌や髪や目の色、背の高さなど、人間の姿形は著しく多様です。
 が、ヒトという動物は一種類だけなのです。その学名はホモ・サピエンス――「賢い人」という意味です。

 東アフリカのサバンナで進化を遂げた人類は、最新の学説によると約18万年前にアフリカを出て世界中に広がったとされます。

 その間にタンザニアのオルドバイ渓谷あたりから南米大陸の最南端に至る約5万キロを移動したことになります。
 「グレートジャーニー」と呼ばれる壮大な旅でした。

 なぜ人類は、故郷のアフリカを出て旅をしたのでしょうか。

 共同体の人口が増えて食料が不足することもあったのでしょう。そんなとき一部の人々は新しい天地を求めて移住の旅を試みたのだと思います。

 ただし、未だ彼らの生業は、身の周りに広がる大自然から木や草の実や葉や根を採集し、海や川で魚介を漁り、獣や鳥を狩ることでした。

 が、やがて大河のほとりで穀物の栽培が始まります。その瞬間、人間社会に不平等が生じることになりました。
 それというのも、穀物を乾燥させると保存できるからです。と、それを貯めこむ人とそうでない人とが現れるようになったわけです。

 それが長期間続くと、富める者とそうでない者という階層差が生まれます。
 で、富める者は有閑階級として支配層を形成するようになりました。原初の国家が誕生したのです。

 こうなると、利害を異にする国家の間で、富や利権の争奪が始まります。それが、ときに戦争に発展します。
 こうなると、軍人たちは戦いのための旅を強いられるようになります。

 それだけではありません。社会の規模が大きくなると、それを安定させるために、さまざまな約束事が求められるようになります。

 その最も基本となる役割を、紀元前後に誕生し、のちに世界宗教となる仏教やキリスト教などが果たしました。
 こうして信者たちが、それぞれの聖地へと詣でるようになります。巡礼の旅が始まりました。

 宗教的な教えを身につけた人のほかにも、高度な技術や学問・芸術などを達成した人が出現したのでしょう。
 彼らのもとには遠くから、それを学びに人々が集まり始めまし。それは現代の留学の旅にも似ているのだろうと思います。

 このように、人が旅に出る動機は実に多様です。
 ただ、まとめてみると、通常なら関係あらざる何かに出会いたいという好奇心が隠されているように思います。

 それは生命の根源に由来するものでもあるようです。

 そこで……やや唐突ですが、たとえばゾウリムシです。
 彼らは細胞分裂によって無性的に増殖します。が、それを繰り返したり、環境が劣悪になったりすると、二個体が融合するのです。
 それは一種のセックスなのです。そしてゾウリムシは、みずからとは異質な遺伝子を取り込むことで生命力を再活性化します。

 むろん彼らに、心があるとはいえないのでしょう。
 しかし、みずからと異なる何かを求める指向性が存在することだけは確かなようです。これと似たことは、あらゆる生命現象にあてはまります。

 実際、あらゆる動物は、みずからとは異なる生物を、食物として体内に取り込んで生命をつないでいきます。

 人間もまた、穀物や野菜、肉や魚を食べずには生きていけません。
 結果、骨を除くと、身体を形成している物質は、ほぼ3か月ですべて入れ替わります。
 こうした見えない変化を受け入れることで初めて、生命の定常的な安定が維持されるのです。

 このことは、少し形を変えると、社会や文明にもあてはまります。

 たとえば19世紀半ば、210年余りに及ぶ鎖国のためなのでしょうか。日本は衰退の危機に直面していました。
 それを当時の日本のリーダーは、異質なる文明から学び、それを取り込むことで超克しようと考えました。で、岩倉具視を長とする使節団を、近代化が進む米欧諸国に派遣します。

 この旅の過程で学んだことは『特命全権大使 米欧回覧実記』という報告書にまとめられました。
 そこに記された先進諸国の文明を取り込み、現実化して日本は近代化を達成し、豊かな社会を実現したのです。

 個別の人間もまた、安定した日常に倦んだとき、ふだんと異なる自然や風景、異質な暮らしや珍しい文化への興味を呼び起こされます。
 で、旅に出かけることで、身に着いて疑うことのない暮らし方を揺さぶられてみようと考えるようです。

 それは「同じ」で安定している「意識」と「違う」ことを認知する「感覚」の相克の時間を過ごすことでもあると言えそうです。

 けっして大層な話ではありません。
 旅先で試みた料理や酒、土地の人との出会い、トラブル、すべてが日常とは異なる新鮮な刺激となって、失われた活力をよみがえらせてくれるのです。

 ただ、旅を終えて家に帰ると「やっぱり家が一番」――つい、そんな思いを抱くようです。
 が、同時に旅先での体験は誰かに伝えたいとも思います。
 で、身近な人を相手のおしゃべりが始まります。それを詩や文章、写真や絵などに表現しようとする人も少なくないのではないでしょうか。

 あるいは、体験した料理を試みたり、気に入って買った衣服に身を包んでみたりもするでしょう。
 旅の楽しみは、むしろ家に帰ってから実感できるのかもしれません。

 このマガジンもまた、ぼく自身が、みずからの旅の記憶を反芻することを文章として取りまとめたものにほかなりません。
 そんな楽しみに満ちた旅は、安定した平和のもとでしか実現できません。

 ところが、あいにく現代世界では、独裁や戦争、経済破綻から逃れ、生き延びるためだけに故国を離れ、少しはましだと思える土地をめざす、先への展望のない難民の旅が増えているようです。
 困ったものだと思います。

 そのうえ、この2年以上の期間、新型コロナの蔓延のために、旅に出ることがはばかられました。悲しいことです。

 だから……誰もが楽しみの旅に出かけられる世界の到来が望まれるところなのだと思います。

 この記事の内容を、より具体的に捉え直して記述した、こんなキンドル本を、ぼくは出版しています。
 無論、Kindle Unlimited なら、無料でダウンロードできます。お読みいただけると、大喜びします。
 お役に立つかどうかは微妙ですが、随所で、お笑いいただけると思います。


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