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10月① 茅葺きを丸く集めてイネ実る(新潟県柏崎市高柳町萩の島の円形集落)

             写真「萩の島の円形集落」(Wikipediaより)

 ロンドンやパリやローマなどの道は皆、ぐねぐね曲がっています。同時に中心から四方八方に放射状に伸びています。
 だから、道を1本まちがえると、目的地からどんどん離れていくことになります。

 街路が碁盤の目のようにしつらえてある京都に生まれ育ったぼくが、初めてヨーロッパに旅をして驚いたことのひとつは、そんなことでした。
 そういえば同じ欧米でも、近代になってから発達したニューヨークなどの街区は碁盤の目に近いようです。

 ところで、まるで話は変わりますが中国南部、福建省や広東省や江西省には、漢族なのに独特の文化を今に残す「客家」と呼ばれる人々が住んでいます。
 これらの人々は大昔の中原や中国東北部の王族の末裔であることが多いと言われます。そんな人々が戦乱などに翻弄されて、これらの土地への移住を余儀なくされたようです。

 そんな人々は土地の先住者から見ると「よそ者」であるため「客家」と呼ばれるようになったようです。そして先住者との軋轢も多かったようです。
 で、たとえば福建省の山間部では、内側にたくさんの家族が住める、防衛のための「土楼」という円形や方形の大きな建物を建てたわけです。

 もとが王族だったからか、彼らのなかからはリーダーシップを発揮する人が、たくさん輩出しました。
 太平天国の指導者・洪秀全、中国国民党の孫文、中国共産党の鄧小平、シンガポールのリー・クアンユー(李光耀)、台湾総統の李登輝、出身は台湾ですが映画監督の侯孝賢、タイの首相タクシン・チナワットなども客家出身だとされます。

 「まあ言うたら『アジアのユダヤ』やなあ。賢い人がようけ出た」

 こんな言葉をもらした大先輩の文明学者もいらっしゃいました。そんなことを思い出しながら、こんなエッセイを書いてみました。

 欧米の住居表示は、道に沿って定められた番号による場合が多い。が、日本では、道に囲まれた街区に、一定の規則によって番号が配される。

 背景には伝統的に、牧場での家畜の飼育が重要だった欧米と、水田での稲作に支えられてきた日本との違いがある。

 そもそも「田」という文字が「畦で区切られた田んぼの形」から来ている。それがそのまま「街区の単位」となった。それに対して欧米では、牧場に自然にできる、ぐねぐねと曲がった道が街区の骨格を形作ったのだ。

 さて、「車座」という言葉がある。これは多数の人が集まって自然にできる「円」に由来する。人と人とが同じ距離で向かい合えるし、人数によって大きくも小さくもできる。
 円は人間の集団にとって、もっとも馴染みやすい形だといえるだろう。

 げんに縄文の昔から、最古の村の形は円形であった。これを環状集落と呼ぶ。その形が、ここ新潟県高柳町の萩ノ島に残っている。

 写真では分からないが、田んぼを囲むように、鳶色の茅葺き農家が円形に並んでいるのだ。こうした話が、稲穂が黄金色に輝く季節を迎えて、人と人、人と自然の親しい関わりを教えてくれる。

 ところで環状集落は、今もドイツのハノーファに近いウェントランド地方や中国南部の客家にもある。
 前者は、ゲルマンの土地に進出したスラブ系の人々が、肩を寄せ合うように住んだのが始まりだという。
 後者もまた中国の北から南へ移住した人々が防衛のために円形の壁の内側に住居を建てたのであった。

 ところが日本では平城京以来、街路は「田の字」型になった。それは近代の都市交通の効率化にも役立った。

 が、「効率」より「ゆとり」が大切な現代、柔らかな「円」や「曲線」を巧みに取り入れた街の形が模索されてもいい。

 自然の恵みと人の営みが調和する稲田と里山と茅葺き農家のある風景とそれへの解説に出会って、そんなことを考えさせられた。

 この記事とは、余り関係がないのですが、ぼくは、こんなキンドル本を出版しています。
 無論、Kindle Unlimited なら、無料でダウンロードできます。お読みいただけると、大喜びします。
 21世紀になって、好ましいことの少ない日本の現状を、少し別の角度から考えてみるキッカケにならないかと思い、こんな本をまとめた次第です。


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