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3月③ 潮ぼとけ下の苦患を癒やす春(三重県志摩市古座浦の潮仏)

                写真:古座浦の潮仏(撮影:阪本紀生)

 20年以上も昔のことです。三重県鳥羽市浦村で開業したばかりの「タラサ志摩ホテル&リゾート」に出かけたことがあります(現在は「大江戸温泉物語 TAOYA志摩」になっています)。

 たくさんある湯船が海水で満たされていました。
 当然、海水は真水より比重が大きいので、円筒の長い棒状のスポンジを首筋に当てて上を向くと、身体全体がぷかぷかと浮かびます。
 なんだか無重力状態に置かれたようで、心身がリラックスするような気がしたものです。薄暗い部屋での蒸気浴も気持ちのいいものでした。

 なんでも霧状の海水を呼吸するのが健康にいいのだということでした。

 そのころから日本でも「タラソセラピー(海洋療法)」が一種のブームになったようです。
 で、今も先鞭をつけた三重県の浦村にある施設をはじめ、沖縄や香川や島根などの府県にも、タラソセラピーの受けられる施設が営業しているようです。

 あらためて考えてみると、不思議はないのかも知れません。
 というのも学生時代、白浜にあった大学の臨海実験所での実習の合間に訪れた白浜温泉の湯が塩辛かったことを思い出しました。海辺の温泉ゆえ、海水が混じっていたのでしょう。

 そういえば温泉ではない普通の銭湯にも海水を用いている場合のあることを堺市の出島海岸通で目にしました。名づけて「湊塩湯」――調べてみると今も入湯料は450円。普通の銭湯と同じでした。

 で、ネット上で「塩湯」を検索すると、温泉県の大分をはじめ富山、さらに東京にも「塩湯」を売り物にする温泉や銭湯のあることが分かりました。
 そんなことに思いを馳せながら、こんなエッセーを書いてみました。おひまなときに、ご覧ください。

 原初の生命は海で誕生した。人の胎児を育む子宮の羊水成分も、ほとんど海水と同じ塩分濃度の弱アルカリ性液体である。
 という意味で「人は海から生まれる」とも言える。

 古代ギリシャで始まった海水を利用した「タラソセラピー」という健康法や治療法が今なお親しまれているのは、そのためだろう。
 最近では深層から湧きでた海水の塩分を除去して飲料水や化粧品に活用する試みが広がってもいる。

 ところで海は、主として月の引力の作用で干潮と満潮を繰り返し、月は29.5日のリズムで地球を一周する。それはまた女性の生理の周期と一致する。

 太陽に比べると地味だが、このように生命に及ぼす月の影響は小さなものではない。

 そういえば「運の良い」を意味する「ツイている」というときの「ツキ」をはじめ、「何かに憑かれる」「着く・付く・就く」、さらに「疲れる」の語源も「月」にあるという。

 その月の運行に左右される潮の干満に、姿を現したり、隠したりする珍しい地蔵尊が三重県志摩町の御座にあって「潮仏」と呼ばれている。

 もとより地獄の救済を引き受ける地蔵尊は、のちに現世利益をもたらす菩薩として民衆の信仰を集めた。
 そのサンスクリット名は「クシティガルバ」――「大地の子宮」を意味しているのだそうだ。

 なるほど、だから潮仏は、女性の下半身の病や妊婦の安産に「霊験あらたか」だとされるのであろう。

 ともあれ、この石仏は、あるとき老人の午睡の夢枕に立って、
 「我海水の浸すところに在りて諸人の為に常に代りて苦患を洗浄せん。必ず高所に移すなかれ」 
 と、のたもうたという。

 そうなのだ。最近になって古代ギリシャ起源のタラソセラピーが流行する以前の大昔から、海の潮が人の健康に役立つことを、実は日本人は熟知していたのである。

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