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10月④ 霧の立つ茅場は村の冬じたく(栃木県日光市栗山地区)

              写真「里山の冬じたく」(撮影:薩摩嘉克)                    

 「茅」あるいは「萱」と書いて「かや」と読みます。ススキなどイネ科の植物の総称です。
 この茅を乾燥させるために円錐状に立てかけたものを「茅ぼっち」といいます。

 栃木県日光市の栗山地域(旧栗山村)では、かつて、集落を囲むように草原が広がっていました。この草原が「茅場」なのです。

 ただ、地元の人々は親しみを込めて、それを「カッパ(茅場)」と呼び、そこに生える茅や草を、屋根材はじめ牛馬の飼料や敷き草、畑の緑肥として利用してきました。

 その茅を、秋が深まると刈り取り、三角形に整えて草原に立てて乾燥させます。
 あらためて記すのですが、それが「茅ぼっち」、それらを立てる草原が「茅場」です。
 山里の冬じたくを象徴するその風景は懐かしく美しいものです。

 そんな茅場は長期にわたって人手が加えられ、管理されてきました。で、貴重な草花の宝庫としても親しまれてきました。
 が、茅そのものの需要が減少し、その風景が失われそうになったのです。

 そこで21世紀のはじめごろ、「日光茅ボッチの会」が設立されました。
 そして、茅ぼっちのある里山風景と茅場に咲く草花を守るために活動しているのです。

 山間の傾斜地に、草をたばねた三角形が並んでいる。
 その写真を目にした瞬間、札幌郊外で牛飼いの手伝いをしながら過ごした半世紀余りも昔の夏を思いだした。

 朝4時に起きて牛の体を洗い、乳をしぼる。
 激しい空腹に朝飯がうまかった。それが済むと、昼飯と3時の休憩をはさんで夕方の搾乳まで、もっぱら冬じたくである。

 サイロに入れるデントコーン(トウモロコシの一種)畑の雑草を取り、トラクターが刈り取った牧草を広げては小山に積みあげ直して干し草をつくる。全身の筋肉が、みしみし音を立てそうな、きつい肉体労働であった。

 もっとも、ここ栃木県日光市(旧栗山村)の山間部、田んぼのない土呂部地区の傾斜地を覆っているのは牧草ではない。冬に牛の飼料や牛舎の下敷きとして使うススキである。
 秋が深まった季節に、それを乾燥させるために、三角形に束ねて立てたものを「茅ぼっち」という。
 
 ところで「茅」もしくは「萱」と書いて「カヤ」と読むのは、チガヤ、スゲ、ススキなど、屋根を葺くイネ科の草の総称であった。
 その語源には「刈り屋」「上屋」などの諸説がある。が、じつは朝鮮半島で屋根材を意味する、同じ音の言葉に由来するらしい。

 そういえば高度成長期以前、カヤは屋根材だけでなく、炭俵の材料にも使われていた。
 翌年、良質のカヤが育つように、カヤ野を焼き尽くす習俗もあった。

 それにススキといえば、ハギ・クズ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・アサガオ(じつはキキョウ)とともに、秋に可憐な花を咲かせる「七草」のひとつである。
 もとはサトイモの、くだってはイネの豊作を祝う「月見の宴」になくてはならない飾り物ともなった。

 ある風景が呼び起こす、それにまつわる記憶の数が多いほど、その文化は豊かだといえるのではないか。
 山間の村の冬じたくの厳しさを思わせる、おびただしい数の茅ぼっちが並ぶ風景に、そんな想念がかきたてられる。

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