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9月④ 石垣が区切る田んぼや稲を干す(宮崎県日南市坂元)

                 写真「石垣の里」(撮影:薩摩嘉克)

 今回の写真とは何の関係もないのですが、仏教はインドの大地で誕生した思想体系です。
 が、現代のインドに仏教徒はほとんどいません。
 2001年の国勢調査の結果によると、80パーセント余がヒンドゥー教徒で、仏教徒はわずか1パーセント未満――イスラム教徒やキリスト教徒、シク教徒より少ないのです。

 そこで話が、米のご飯に移ります。
 1962年には日本人が1年に約120キロの米を食べていました。これが米消費のピークです。以来半世紀余り、2016年には半分以下の55キロにまで減少しているといいます。

 ついで思い出すのは2013年、ユネスコ世界無形文化遺産に「和食:日本人の伝統的な食文化」が登録されたという事実です。

 むろん現代の「和食のカテゴリー」にはラーメンやうどんなども含まれるようです。
 しかしながら「米のご飯」を完全に無視して「和食」を考えるのもむつかしいだろうなと思います。

 ぼちぼち新米が出てくる季節がやってきました。
 とはいえ、未だ晩稲が黄金色に輝いている田んぼも残っているようです。

 そんな季節に、九州は宮崎県、日南市坂元の石垣に支えられる田んぼと稲掛けの並ぶ風景を紹介しながら、こんなエッセイを書いてみました。

 いわゆる先進国で米の消費が減っているのは日本ぐらいだ。
 従来は小麦が主な穀物だった欧米で米の消費が増えている。美味で栄養豊富だからだ。

 米なら1升(1.8リットル)で必要な蛋白質が補給できる。
 それを昔の農民は平気で平らげた。だから、それほどは食べない人も、味噌と少々の野菜があれば栄養が充足できたのだ。

 が、小麦だけなら10キロのパンを食べなければならない。
 いかな大食漢にも無理な量だ。小麦文化圏では肉や乳の摂取が不可欠だったゆえんだ。

 が、余りに大量の動物性食品の摂取は健康によくないという。で、「ヘルシーな日本料理」に人気が集まる。その中心に米の飯がある。

 ところで、米を実らせるイネは本来、アワやヒエなど、生産性の低い雑穀の仲間だ。それが長江中流域という湿潤な気候と勤勉な人々に出会って、小麦を凌駕しかねない作物になった。

 ただし、その栽培には手間がかかる。
 耕せば出てくる石ころを、長大な歳月をかけて耕した約30段もの石垣が支える山間の70枚に及ぶ水田に、整然と稲掛けの並ぶ日南市坂元の、秋の収穫風景などを見ると、そこに至るまでの丹精のほどがよく分かる。

 その米を日本人は「おねば」まで味わいつくす仕方で炊く。むろん今日その作業は「自動炊飯器」にまかされる。
 それが昔は、東南アジアなどと同じく、長粒米を好んだアメリカに渡って、彼らを日本人のような「短粒米好き」に変えはじめた。

 昔から人間だけでなく、作物や道具などの「文化」も「旅」をしてきた。その速度が現代は著しく速い。
 で、気がつくと、インドの仏教のように、それが誕生したり隆盛を極めたりした場所に見つからない」といった不思議が発生することもある。日本の米がそうならない保証はない。

 そうなのだ。やっぱり丹精を込めて作る味も栄養価も優れた米の飯は何物にも替えがたいのだと思う。
 豊かに実った黄金色の稲穂を干す稲掛けの並んだ田んぼの風景を見ながら、それを育てる場所と技術だけは失いたくないと心から思う。

 この記事とは、余り関係がないのですが、ぼくは、こんなキンドル本を出版しています。
 無論、Kindle Unlimited なら、無料でダウンロードできます。お読みいただけると、大喜びします。
 21世紀になって、好ましいことの少ない日本の現状を、少し別の角度から考えてみるキッカケにならないかと思い、こんな本をまとめた次第です。


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