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12月① 大雪に耐える茅葺き屋根の下:京都嵯峨越畑のカヤ葺き古民家

 京都に余り高い山はありません。京都府の最高峰は京都市左京区と大津市の境に位置する971.3mの皆子山だとされます。
 これにつぐのが市の北西に位置する愛宕山(924m)や北東に位置する比叡山(848.3m)などです。

 これらの山々が市域の最外側だと思いがちなのですが、市域はその外側にも広がっています。たとえば愛宕山の北西に嵯峨越畑こしはたと嵯峨樒原しきみがはらという2つの大字で構成される「宕陰こういんという地名の場所があります。京都市街から見れば文字通り「愛宕山の陰」ということなのでしょう。

 この地区は愛宕山の陰に位置するうえ、まわりを山林に囲まれているので、その気候には毎日の寒暖の差が大きいという特徴があります。また、冬期には多量の雪が降り、水田も含めてあたりは一面の銀世界となるようです。

 そんな谷間の地に美しい棚田が広がっています。
 もっとも「日本の棚田百選」には選ばれていないのですが、「越畑・樒原」が「にほんの里100選」に選ばれています。

 なお、鉄道の最寄駅は丹波地方に属する南丹市にあるJR山陰本線の八木駅です。
 そこから自動車を使って30分足らず。そんな地域が京都市右京区に属しているのです。
 近いうちに訪れてみたいなあと思いながら、こんなエッセイを書いてみました。

 現代日本の木造住宅の耐用年数は四半世紀程度だとされる。そのたびに数千万円単位の資産が廃棄される。暮らしが豊かになりにくいのも無理はない。

 それに比べ、カヤ葺き屋根の葺き替えは一般に30年ごとだとされる。
 当然、建物全体の耐用年数はそれ以上である。しかも、たっぷり空気を含んだカヤ葺き屋根は断熱効果に優れ、音を吸収するので静かでもある。

 それだけではない。
 カヤ葺き屋根は傾斜が弱いと雨が漏る。逆に強すぎると、ずり落ちる。で、どれもが似た三角を形づくるのだ。

 それに時間の経過で濃淡こそ変化するが、色調は変わらない。昔の街や村の風景が美しいのも不思議はない。

 それが近代以降、瓦やトタンなど新素材の普及で変化した。
 昭和初年、そのことをフランス全権大使にして詩人でもあったP・クローデルが日本を離れる直前に公にした一編の詩に記している。いわく、  
 ――あゝ三角は飛ぶよ
 「美しい三角屋根が失われていく」というだ。

 以来一世紀近く、さらなる新素材の普及で、日本の家々の屋根は色・形とも、勝手気ままな姿をあらわにし、耐用年数も短くなった。
 屋根だけの責任とは言えまいが、屋内の静けさも求めがたい。

 ところが百万都市、京都の市内でも、少し市街を離れると、鬱蒼と茂る照葉樹林と田んぼの境に、300年余も昔に建ったものをはじめ、瀟洒なカヤ葺き屋根の古民家が残されている。

 ここでは、その典型として嵯峨越畑の河原家を紹介するが、ほかにも喧噪と多忙の都市生活者の「住んでみたいな」という憧れを誘う古民家は少なくない。

 と思っていると10年ばかり昔に、宮城県に日本で唯一の萱葺き専門の会社が設立されたというニュースを目にした。
 以後、似たような会社が徐々に産声を上げると共に大学卒の若者が就職するようになってきたという。

 かつて米や野菜の増産をめざす農業用地、さらには工業用地として開発されて消えていった、カヤ葺きの原料となるススキの原野が、時代が一回りした今日、再び各地で蘇りつつあることと、それは軌を一にしているのかもしれない。

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