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#7 経営力を身につけ前進を続ける9代目。 夢は“いつか片平をイチゴの里に”

有限会社うねめ農場
代表取締役 伊東敏浩さん

うねめ伝説発祥の地である郡山市片平町。采女神社や采女が身を投げたといわれる山の井清水、采女を見初めた葛城王を祀る王宮伊豆神社など、伝説にちなんだ名所が町内に点在しています。

その王宮伊豆神社にほど近い場所に、今回お邪魔したうねめ農場さんの立派なビニールハウスが立ち並んでいます。最も大きいハウスは1棟およそ80mという長さです。経営するのは伊東敏浩さん。農家としてご自身で9代目。一度お寺が火事になってしまったためそれ以前のルーツに確証はないといいますが、それよりも古くからこの地に根差した家系であり、元をたどれば武士の家柄だったと伊東さんは聞いているそうです。思えば、戦国時代の山城、片平城の城主は「安積伊東氏」だったとされています。

伊東さんご自身は、農業に従事して20年余り。ここ2~3年は組織化された経営手法を少しずつ農業に取り入れながら、片平の地でさまざまな試みを重ね、また新しいアイディアも温めています。伊東さんのこれまでの歩み、考える農業のかたち、ご自身が描く片平の未来について、お話をうかがいました。

スタッフは総勢26名。中には東京出身の20歳も。

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現在、伊東さんは、およそ五反歩(約1,500坪)もの面積のハウスでイチゴを栽培しています。祖父母の代までは養豚と米を小規模で手掛けていたといいますが、平成元年、お父様の代から米の専業農家として規模を拡大しました。その後、平成17年に始まった国の減反政策に伴い、田んぼだった土地をハウスに転換。今日の栽培体制の原形が出来上がりました。

「法人としてスタートしたのも、ハウスを始めたその時です。当時はちょうど有限会社制度がなくなるというタイミングだったので、急ぎ足で手続きをしました。その時から自分が代表になりましたので、法人としては自分が初代ということになります。」

現在、シーズンパートも含め26名を束ねる伊東さん。スタッフのみなさんは、片平町内だけではなく市内各地から通ってきているとか。その中には、東京出身の期待の若手もいるそうです。

「彼は東京の農業高校を卒業したあと新潟の農業短期大学校で勉強したんですが、猪苗代に農業を営む叔父さんがいて、それで農業に興味を持ち、福島県に携わりたいという想いを持ったようです。まだ20歳ですから、“学”と“現場”のギャップをこれから感じていくんじゃないかと思いますけど、知識はありますから戦力としては大きいですね。」

農業にはうまくいかない面もある。それが面白い。

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(写真:うねめ農場のハウスで栽培されているのは、福島県産品種のイチゴ「ふくはる香」です。)

「最初の4年ぐらいは、“とちおとめ”と“ふくはる香”の2種類を作っていたんですが、今ではふくはる香オンリーですね。とちおとめは少し酸味があって、ふくはる香はその酸味が抑えられているという味の違いがあります。とちおとめが本物のイチゴだという人にとっては、ふくはる香は異色だということになるんですけど、ただ甘いのではなくやさしい甘さなので、子供受けも良くて人気がありますね。いい品種だと思います。

でも正直、自分は最初イチゴをやることには反対だったんです。11月から3月にかけてはイチゴの作業だけなのでいいですけど、それ以降は田んぼに人をまわさなきゃいけない。両方に人手をかけるとなると、人件費もそのぶん上がってしまってしまいますから。これまでは父親にイチゴを担当してもらっていましたけど、高齢になってきたので、いつまでも父に頼るわけにはいきません。経営という面からどう人をやりくりし、どう売り上げを伸ばしていくか。そうしたことを考えるようになったのは、ごく最近になってからのことです。」

伊東さんご自身は、農業高校を卒業後すぐに家業に就く道を選択しました。「就職した経験がないから会社の組織というものがよくわからないまま経営してきた」と言いますが、多くのスタッフを抱え、経験を重ねる中で、組織の大切さに少しずつ気づいたといいます。

「法人化して13年。まだまだですね。ようやく経営者に産毛が生えてきたかなという感じです。人に使われたくなかったという気持ちがあって家業に入りましたけど、今となっては、人に使われたほうがどれだけ楽だったかと感じることもあります。

でも、農業と組織的な経営の関係には面白味を感じてもいますし、その面白味の中に可能性も見出しています。農業であっても他のどんな仕事であっても、お金にならなければ生きてはいけませんけど、農業には思い通りにはいかない面もある。そのギャップが、自分の中で面白味につながっています。最近は、失敗も楽しみの一つだと思えるようになってきました。

去年からは自分の右腕となるような社員も入って、業務の動きをある程度委ねながら動けるようになってきました。ようやく会社らしくなってきたかなといった状況です。」

六次化が飽和状態の中で、いかに手に取っていただくか

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そうした体制づくりは着々と実を結び、右腕的存在のスタッフの方を中心に、最近は六次化事業を積極的に推進している伊東さん。ふくはる香のやわらかな甘みを損なうことなく風味豊かに仕上げられたコンフィチュールに加え、大粒・小粒の2種類の味が楽しめる「うねめ納豆」も人気の商品です。

「原料となるものを作っているのであれば、それを使った六次化にも取り組んで、もう少し販路的な部分での拡大もしたいと考えました。コンフィチュールは商品化して3年ぐらい経ちます。

商品化については、“自分は何が食べたいのか”というところから考えます。納豆を作ったのもそんな理由です。六次化が飽和状態の中で、当たり前のものをどうやって手に取っていただくかという意味では、パッケージングについてもしっかり考えていきたいと思っています。」


さらに、歴史に彩られた地元片平町に根差した取り組みへの夢もお持ちのようです。

「うねめ伝説ってラブストーリーじゃないですか。まるでロミオとジュリエット的な。なので、例えば洋風なイメージの商品を作って、それとストーリーを合致させてみたいですね。そうすれば片平ならではの商品が作れるのかなと思っています。自分のところでだけはなく、うちも含めて片平に4軒あるふくはる香の農家仲間と連携しながらできればいいですね。

そして、いずれは片平をイチゴの里にしたいです。せっかく近くに高速道路のスマートインターチェンジもできましたから、観光農園事業でここに人を呼ぶようなこともできないだろうかと、行政の方々とも相談しているところです。」

今はまだ父から継いだレールを継いでいるところ

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昨年からは養鶏もスタート。いずれは畜産部門を大きくして牛を飼い、米を作り、その稲わらを牛の餌にし、牛糞で野菜を作る、という昔ながらのサイクルも復活させたいと語る伊東さん。最後に、法人化からの13年を振り返りながら、こう語ってくださいました。

「自分が今やっている仕事は、父が引いてくれた錆びたレールを、自分の後継者のためにさらに伸ばしているような感覚です。後継者がそれを磨いて、どんどん光るものにしていってくれたらいいなと。うちが栽培している作物には、もっと大きく光り輝く可能性があると思っているんです。だから今は、もっと輝かせるために、人や組織という問題点を洗い出し、レールを継いでいるところです。

価格の変動や震災などがあった中、どうやって生き延びていくかの方向性は見いだせてきたのかなと自分では思っています。この13年はひたすら突っ走ってきたような感じで、正直無理していたところも多々ありましたが、石橋を叩いていてもしかたがないので、これから常に前向きに前進していこうと考えています。」

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有限会社うねめ農場
福島県郡山市片平町字木藤田49-2
Tel 024-961-7580(事務所)
Fax 024-905-6070
※直売所あり。事前にお電話にてお問い合わせください。

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<伊東さんのイチゴや商品が買える場所>

■うねめ農場直売所(詳細上記)

愛情館
福島県郡山市朝日2丁目3-35
Tel 024-991-9080

■ベレッシュ
福島県郡山市八山田西1丁目160
Tel 024-973-6388

ほっとあたみ(熱海多目的交流施設)
郡山市熱海町熱海二丁目15番地の1
Tel 024-984-3101

取材日 2019.1.11
Photo by 鰐渕隼理(佐久間正人写真事務所
Interview / Text by 髙橋晃浩Madenial Inc.
著作 郡山市(担当:園芸畜産振興課)


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