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#3 祖父が拓き父が育てたりんご畑。 受け継ぐ3代目が胸に抱くのは「守る決意」

力丸果樹園
力丸てつさん

JR水郡線谷田川駅のほど近く、国道49号線から須賀川方面へ折れる細い山道をたどっていくと、やがて広々としたりんご畑が目の前に現れます。東に宇津峰山の頂を見上げ、西に安積平野を見下ろす、この美しいロケーションで果樹園を営むのは、力丸さんご一家。40年余り前、代々生業としてきた養蚕からりんごと桃の栽培にシフト。現在農園を仕切る哲さんは、果樹農家としては3代目にあたります。

阿武隈高地の山すそに位置するこの地域は山あり谷ありで、もともとは広い農地を確保するのが難しい地形でした。しかし1975年、国の農地開発事業により石川町母畑に灌漑用の千五沢ダムが完成。ダムから須賀川を通り郡山まで約20kmにも及ぶ水路が引かれ、力丸さんの土地にも配管が通されました。すでに養蚕は斜陽の時代。哲さんの義理のお爺様は果樹農家への大転換を決意し、この土地を拓いたそうです。

現在、力丸果樹園はりんご1ヘクタール、桃70アールという広大な果樹園に成長し、毎年私たちにおいしい果物を届けてくれています。りんご畑の6~7割を占める主要品種の「ふじ」が逢瀬ワイナリーのシードルに使われるなど、その品質はお墨付き。しかし、ここに至るまでの力丸さんご一家には、さまざまな経験とご苦労の積み重ねがあったようです。

新幹線の工事現場で働きながらりんごを育てた父

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力丸果樹園は、哲さんの奥様のご実家。2人は高校の同級生だったそうです。哲さんは卒業後、農業機械の販売・修理を手掛ける会社に就職。その後2007年に結婚し、力丸家に入りました。

「実家がりんご農家だということは知ってましたけど、ただ“果樹やってんだよな”ぐらいの感じで。妻は4姉妹の次女なんですけど、小さい頃から姉妹の中で一番仕事を手伝っていたそうで、両親も“継ぐのは次女だろう”という話をしていたらしいです。

私は長男ですが、弟が2人いますし、親に結婚の話をしたら“いいよ”ということだったんで(笑)。実家は須賀川ですが、ここから車で10分ぐらいの距離。遠くへ行くわけではなかったですしね。」


農地が整備された当初の谷田川には、生産者の組合ができるほどりんご農家が多かったといいます。すぐ近くを水郡線が通っているため、谷田川の駅で果物を乗せて茨城方面へ出荷していた時期もありました。哲さんは結婚後、奥様のご両親から、果樹栽培を始めた当時の苦労話を聞いたことがあると言います。

「なにしろ凸凹な土地を整地するところから始まっていますので、祖父は大変だったろうと思いますね。今でも、木の植え替えをするために土を掘り起こすと浅いところと深いところで土の質が違う場所があって、“ああ、ここは土を盛ったんだな”とわかります。

整地が終わって、“じゃあ今度は木を育てよう”と言っても、果物の栽培というものは植えてすぐお金になるわけではありません。実がなるまでに最低3年はかかりますし、なっても1本の木にせいぜい2~3個がいいところ。まともに収穫しようと思ったら10年は見ないといけません。その間、なんとかしてお金を稼がなければいけないということで、父は当時まだ開通前だった東北新幹線の工事現場など、外に働きに出ながら木を育てたそうです。


哲さんも結婚後2年間は農業機械の仕事を続けながら畑を手伝う日々を経験し、3年目に就農しました。見よう見まねでのスタート。しかしその毎日は、発見も多く非常に楽しかったと振り返ります。

「木も生き物なので、世話のしかたが一本ずつ違ってきます。“こうやればこうなる”という経験が必ずしも通じないところに、かえって興味を持ちました。結婚前から趣味で鉢物の植物を育てていて、弱い枝の処理の仕方を本で勉強していたことも役に立ちましたね。畑に出て木を扱ってみると、勉強した内容そのものだったんです。“そうだよな”って自分の中でものすごく納得できて、さらに仕事がおもしろくなりました。」

「おいしい」の声を増やすことで風評を払しょくしたい

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しかし就農から2年、いよいよ本格的に農園の中心を担おうかという3シーズン目の春に、東日本大震災が起こります。

「うちの出荷は毎年7月、桃から始まるんですけど、6月に入った頃、県外のお客さんから“まだ農家をやってるの?”“今年も桃を作ってるの?”という電話を何本かいただきました。農業をやめる人がいるという報道もあったので、心配して連絡をくださったんだと思うんですけど、自分たちの本当の姿は県外にはまったく伝わっていないんだと実感しました。放射性物質の検査体制もまだ整っていない時期でしたが、茨城に検査をしてくれる会社があると聞いて、そこに検査を依頼し、問題がないことを証明する書類を出荷する時に同封して送ったり、お得意様には “今までと変わらず作っています”とはがきで案内したりしました。

それでもやっぱり1年目は、“福島のものは…”と言って買い控える人が多かったです。売上が半分になりました。半分は出荷して、半分は廃棄。うちの果物は贈答用として買っていただくことも多いんですけど、やっぱり贈り主としては先方の気持ちを考えてしまいますよね。悪い噂があるものは贈れないという気持ちは当然だと思います。

でも一方では、贈り物でもらったうちのりんごを食べて、“おいしかったから今度は自分で注文します”と言って連絡をくださったお客様もいらっしゃって、ありがたかったですね。贈った方のおかげで、悪いイメージがプラスに変わったんだと思います。風評を払しょくしていくには、こういうお客さんの声を少しずつ増やしていくしかないんだろうなと、今も思っています。」

味も生産量も、目指すのは「現状維持」

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現在、力丸果樹園では20数種類、約700本のりんごを育てています。8月下旬の津軽に始まり、秋映あきばえ、ジョナゴールド、陽光ようこう、シナノゴールド、王林おうりんなど、約2週間おきにさまざまな品種を出荷し、11月中旬からは「ふじ」の出荷が始まります。

「うちのりんごを気に入ってくださっているお客さんからは、“味が濃いね”とか“身がしまってるね”という声をよくいただきます。ここは郡山の市内より標高が100mぐらい高く、320~330m程度あります。甘いりんごを育てるには寒さが不可欠ですが、ここは標高のおかげで昼夜の寒暖差が大きく、そのことで甘さが増し、また色も良くなるんです。

品種については、ずっと収穫時期を繋いでいけるように考えながら選んでいます。試験的に植えて、4~5年経った時点で“いけそうだ”ということになったら、その品種を増やすような感じです。私自身は震災の翌年に初めて植え替えをしましたが、それがやっと大きくなり、収穫できるようになってきたところ。私自身、経験が短く、結果までたどり着いていない木が他にもたくさんあるので、まだまだ勉強中です。」


就農して9年目。今や郡山における果樹生産の未来を担う存在とも言える哲さんですが、果樹農家としてのこれからの夢をうかがうと、少し意外な答えが返ってきました。

「夢は大きいほうがいいんでしょうけど、私が目指すのはあくまで現状維持なんです。今はまだ両親も主力メンバーとして元気に働いていますけど、年齢的にいつまでも負担をかけるわけにはいきません。その中でも今の収穫量を維持できるかということですね。

もうひとつは、せっかくおいしいと言ってくださるお客さんが多いので、味を落とさずおいしいものを作り続けるという意味での現状維持。手がまわらなくなることで品質が落ちてしまっては、お客さんに申し訳ないですからね。」


現状維持。あまり前向きに聞こえない言葉のように思えますが、哲さんが語るそれは、30余年にわたり育んできた谷田川のりんごのおいしさと美しい色づきを、これからも守るということ。果樹生産にかけるポジティブな決意を、哲さんは「現状維持」という言葉に込めて伝えてくれました。

畑では奥様とお母様が、出荷を目の前に控えた「ふじ」の世話をしています。やがてお歳暮シーズンを迎える、力丸さんご一家にとって1年で最も忙しい時期。今年も「ふじ」は果樹園いっぱいにたわわに実り、おいしさをその実に蓄えながら、全国に旅立つ時を静かに待っていました。

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(写真:奥様(中央)、お母様と)

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力丸果樹園
福島県郡山市田村町谷田川字蟹沢163
TEL/FAX 024-955-4887
※FAXでご注文を受け付けています。事前にお電話の上、以下の注文書をダウンロードしご記入・送信してください。

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<力丸さんのりんごが買える場所>

愛情館
福島県郡山市朝日2丁目3-35
Tel 024-991-9080

■ベレッシュ
福島県郡山市八山田西1丁目160
Tel 024-973-6388

■おはよう市場(朝市)
福島県郡山市豊田町3-1 郡山総合体育館 西側駐車場
Tel 024-958-3214(郡山市おはよう市場運営協議会 会長自宅)
開催日時
4月~9月…毎週日曜日 午前5時~7時
10月~12月…毎週日曜日 午前5時30時~7時30分

取材日 2018.10.29
Photo by 佐久間正人(佐久間正人写真事務所
Interview / Text by 髙橋晃浩Madenial Inc.
著作 郡山市(担当:園芸畜産振興課)


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