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20数年ぶりに即応予備自衛官として部隊に復帰した話

はじめに2024年1月1日、能登半島地震で被災された方に心よりお悔やみ申し上げます。

ことの始まりは2019年2月一通の封書が届いたことから始まった。
差出人は「防衛省自衛隊地方協力本部」

自衛隊???んん?? 
とっくの昔に任期途中で辞めた人間に??驚きだった。
封書を開封したら2019年、即応予備自衛官の年齢上限が拡大し現在施行している。興味ありますかという内容のアンケート書類だった。

2011年3月、東日本大震災で震度5強を経験し、電気は一日で復旧したが水道が2週間以上断水の経験をし、毎日の様に指定された給水所に水を取りに行く生活を経験した。ちなみに給水担当は愛知県の消防と自治体の方々だった。

震災から2カ月経過し宮城県一関市が陸前高田市のボランティア募集をしており、実際に現地を見て津波の被害の甚大さを目の当たりにした。
現地に災害派遣で入っている消防、警察、自衛隊車両だらけの町をみて有事とはこういう事なんだなと感じることとなった。
(陸前高田市は関係者以外は通行不可。一関市からボランティアバスで移動)

5月になるとほぼ世間は日常を取り戻し、自分自身は趣味のサーフィン為、週末は都内で友人と合流し神奈川、千葉方面に毎週高速道路を使っており、その際、東北に向かう消防、警察、自衛隊の長い車列、上りは災害派遣から帰隊の車列が毎週、目に入ってきた。   
全国から各自治体や公務員の方々が被災地に入り支援をしているんだな。
と感じられ、半年がたち震災関連の報道が徐々に減少していても復興支援車両の車列は徐々に減少はしていたが毎週隊列を組んでいた。

この経験から何か自分も社会の役にたてることはないか?と考えはするが、
喉元過ぎれば熱さを忘れるという言葉通り自分の中では風化していった。

世界情勢は2008年に「フラット化する世界」という本が世界的な大ベストセラーになり、小さな紛争はあっても1989年ベルリンの壁崩壊後、1990年湾岸戦争、2001年NYテロなどあったが平和ボケしている日本人の感覚としてはまあ平和かな??という感覚を持つ時代だった。
先進国首脳会議はG7からロシアも参加したG8が2013年まで続いた。

普段、私は日本株トレーダーとして生計を立てており、国際政治動向、時事ニュースも当然マーケットの材料になるので普段からチェックしており、

日本国内のニュースでは
2010年  尖閣諸島中国漁船衝突事件
このニュースは大々的な報道だったが、中国は自国の都合が悪いときは新興国、都合がいいときはアジアのリーダーズラをし、2014年頃に南沙諸島に人口島を建設していると知り、先進国と肩を並べたと大国ズラをする中国の姿勢は野心をむき出しにし、苛立ちを覚える都合がいい奴らだなと感じていた。
典型的な一例をあげるとアジアインフラ投資銀行(AIIB)や中国が掲げる巨大経済圏構想「一帯一路」などである。


また、ロシアは
2008年 北京オリンピック、グルジア侵攻
2014年 ソチオリンピック、クリミア併合
し、

2018年10月
ペンス米国副大統領の新冷戦を予感させる中国批判演説で、これをきっかけに一気に米中対立の構図が鮮明になっていた矢先の2019年、即応予備自衛官の年齢上限拡大による、自衛官に興味ありますかというアンケート書類は、大いに興味がある以外に〇を付ける理由はなかった。

前置きが長くなり時事ニュースと相場の件が入り混じってしまうが、
ネット上で株の売買が完結し、一生困らない銭を稼いでは大損しまた盛り返すなどして相場で飯を食う生活が15年以上経過し、2008年絶望的なリーマンショック、2011年東日本大震災と二度の暴落の経験し、金の為だけに相場やり続けるのもな~ともやもやする日々を過ごしていた矢先だった。
何事においても成長の伸び代が見えてくると飽きてしまう性格の為、20代で投機家として生涯相場のみで食っていくと心に誓った情熱はちょうど薄らいでいた時期だった。

続く

















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