見出し画像

1986年ハワイ島の自転車旅行 マウナケアを自転車で登る


1986年の年末 自転車ロードレーサーでハワイ島を1周する。
羽田→オアフ→ハワイ島、
カイルア・コナ→ワイメア→ヒロ→マウナケア→虹の滝(続く)

スライド1

<まずは1986年の状況
当時、30才であった。そして、黎明期のトライアスロンに魅了されていた。
この年の6月に開催されたアイアンマン・ジャパン(トライアスロン)で、年代別で10番内に入れば、10月にあるアイアンマン・ハワイ(世界選手権)の出場権が得られる。しかし、急速にレベルがあがるトライアスロン、頑張ったが、入賞を逃す。そこで一般出場枠(抽選)に応募したがそれも落選。不完全燃焼だ。どうにかして欲しい。

画像2

<動機
アイアンマンが出られなくても、生きていくため仕事をする。なんだか空しくなる日々、そして1986年も12月に入った。
そんな折、トライアスロン仲間から、この年の11月に1週間の休暇を取り、ハワイ島をロードレーサーで1周し、マウナケア(休火山)のヒルクライムにも挑戦。そんな冒険話を聞いた。

マウナケアの自転車でのヒルクライムは、高山病に近い状態に陥り失敗したそうだ。マウナケアは4000mオバーの山で、また海岸線から登るため、海抜0mから一気に4000mを登る。これは苦しいに違いない。
マウナケアで撮った写真を見せてもらった。
空は上に移るに連れて青さを増し、成層圏と同じ色となり、宇宙空間とつながっているようだった。

マウナケア山頂は、大気のチリが少なく、東京天文台も含むNASAなどの大型天体望遠鏡が設置されている。
また、あの空中爆破したスペースシャトル、チャレンジャー号のハワイ出身の日系宇宙飛行士、ネルソン鬼塚の記念碑もあるそうだ。
「この空を見てみたい」そんな思いがわき上がった。

<計画しなければ
具体的な計画を考えた。
「3日間で、1周約500キロの島を走り、残りの1日間をマウナケアのヒルクライムに当てる、移動は2日間」
後は休みを取るだけだ。しかし、これが一番難しいかもしれない。
この当時のサラリーマンの遊びと言えば王道のゴルフ。事務所はタバコの煙が蔓延しており、無制限の残業。ストレスで連日酒を飲み、麻雀、風俗遊びで身体壊す。
翌朝、クモ膜下で死んでいたとか、神経をやられて会社で飛び降り自殺とか、今では考えられない環境で仕事をしていた。(大げさではない)
そんな会社で長期と言っても、1週間程度休めるのは、お盆と正月くらい。よって年末に有給を取り予定を立てた。当然ロードレーサーは持って行くつもりだ。
会社で課長に話をする。
「なにをしにハワイへ行くの?」
「自転車で島を1周とか、4000mの山を登ったり」
「登山???だったら申請が必要だよ」
「いえ、自転車で登るから、登山ではありませ」
「ふーん、まぁ気をつけて」
ロードレーサーもトライアスロンも知らない人がほとんどの時代、説明が面倒くさい。

<初めての飛行機と海外
実は、私は30才まで飛行機に乗ったことが無い男だった。趣味のモトクロスもトライアスロンも車で移動していた。だから海外旅行も初めてだ。
取りあえず、会社関連のツーリストへ連絡し、丸投げした。
年末年始のため、ホノルルまでのチケットが取りにくかったが、離島へのローカル線は、基本的に並んだ順で乗れるので心配はなかった。

<準備はどうする
「極力、最小限の設備を基準とする」
尊敬する野田知佑さんの教えを頭に浮かべて準備をする。

教え-------
不必要なものを選別するには、それなりの経験が必要で、この技術を身につけるにはトレッキングを中心としたキャンプ旅行をすることがベストな方法である。
野営時の便利さを追求して荷物を増やせばすれば、それだけ自分の背負うザックが重くなる。でも、ある程度の装備は欲しい。
結局、気軽な自由の身をとるか、重いザックのため行動範囲は鈍るがその分楽なキャンプを取るかの選択をせまられる。そして、ここからが旅行者の、生き方にまでに関わる葛藤が始まる。

ちなみ、この頃は、私にはトレッキングやバックパッカーの経験はない。しょうがないので、何時ものトライアスロンの遠征試合を想定して準備をした。
--------
そして、年末の喧噪の中、お袋の小言も、会社の上司への説明も適当に置き去り、私は南の島へと飛び立った。

<ハワイ島コナへ到着
ホノルルで、ハワイアン航空に乗り換える。自転車ケースを引きずりながら、うろついていると、白人の若い男が近寄ってくる。
「これ、バイク? いいねぇ、シマノ最高だよ!」と話かけてきた。
なんかフレンドリーだ。

ハワイアン航空の小さなプロペラ機へ乗り換える。バイクケースが大きいとかクレームはあったが、どうにか同じ飛行機に乗せてくれた。一人で動くと色々と面倒が多いなぁと思いつつ搭乗する。

機内の通路を歩く小錦のようなCA(今風)に、お尻を肩にすりつけられながら、ハワイ島のコナへ到着する。
ホテルはコナで1泊だけ予約していた。後はモーテルに飛び込みで泊まる計画。
このコナのホテル、椰子の木に囲まれて、コテージのような木造建築、ベランダに赤い小鳥が飛び込んできたりして、南国の風と大気、花の香りにつつまれた、いい雰囲気のホテルだ。
明日から、最悪「ここで野宿とする」となるかもしれないので奮発した。
それでも興奮していたのか、なかなか寝付けなかった。

<コナコーストを走る
翌日、友達から教えて貰ったハワイにある神社の神主さんに電話して、自転車を収納していたケースや梱包材を預かってもらった。
そして私は20Lのリュック一つで、ロードレーサーにまたがった。
メットをかぶり、ビンディングシューズを履き、レーシングパンツとジャージで本格的なスタイルで、コナを出発する。
ケースを預かってくれた日本人の神主さんが見送ってくれた。

海岸沿いを北上する19号線、海側ではない陸側には、コハラコーストの火山灰の黒い土地がうねるように広がっていた。長い直線道路沿いに木製の電柱が等間隔で立てられている。道路の先に霞む電柱の連なりを見ていると、アメリカ本土にいるように感じた。ハワイ島は大きくって広い。

カイルア・コナから走るこの道はハワイアイアンマンレースのバイクコースである。私は一人で黙々とバイクを漕いでいた。単調な道ではあるが、自分がアイアンマンレースのコースを走っていると思うと、気持ちが高揚してきた。

しかし、この道は90キロ近く何もない、あるのは高級リゾートホテルの入り口だけだ。入り口の先にホテルが遠くに見える。本当にこの地のホテルは凄いスケールだ。
50キロほど走った所で、急に眠気が襲ってきた。時差ぼけだと思う。私は自転車を止めて、道路脇で仮眠を取った。ちなみに交通量は殆どなかった。

キーッ、車の止まる音とエンジン音で目が覚めた。体を起こすと、自分の脇に止まったバンから白人顔をだし、「事故か? 大丈夫か?」と叫んでいる。
「問題ない、疲れたので寝ていた」と答えると、笑って走り去っていった。時計を見ると10分程度寝ていただけだった。

その後、ワイメアに向かう分岐点で、ハンバーガーショップの看板見つけて脇道にはいる。とにかくコンビニもガスステーションもない。なにか腹につめこまないと、この時点でボトルの水も空だった。

南国の木々の木陰の中、オープンテラスのハンバーガーショップだった。風雨で色あせしたウッドデッキ、白人のサーファーっぽい男が猫と遊んでいた。
ローカル感満載、かなりアウエー感を感じつつ、お店のミクロネシア系の女の子に、ハンバーガーとペプシを頼んだ。

待っている間、その男を見ると、猫を「へーイ、プッシー」と言って、なで回している。アメリカ映画ではプッシーは女性の性器を指す。
実は子猫もプッシーと言うのだが、知識不足の私はそれを知らず、ハワイのサーファーはなんだか嫌らしいなぁと感じていた。

<ワイメア パーカー牧場
ワイメアに入ると、だらだらとした登りが続く。これは、ボディブローの様に体力を奪っていった。
1600ft登った所から、廻りは牧草地となっていた。遠くに牛を追っているカーボーイが目に入った。パーカー牧場の敷地に入っていたようだ。後で調べたが、この牧場は個人所有の牧場としては、アメリカで1番の牧地面積を誇る。広く感じる訳だ。

画像4

ワイメアのガスステーションで水とまずそうなパンを買う。ガソステーションに隣接するコンビニはろくなモノを置いてない。
スタンドの周りにはピックアップトラックと牧場の作業者や、あくまでもイメージだが、田舎っぽいティーンエィジャーとおっさん達がたむろしていた。
この風情は、まさにアメリカ南部(行ったことはないが)の片田舎と言う感じだ。ここはハワイなのに不思議な感じである。

<ホノカアでは泊まれない
ここから20キロ程で、今日の宿泊予定地ホノカアに到着する。公衆電話を見つけ、25セント玉を握りしめ、事前に調べていたモーテルに電話する。
「満室!」
「まじか!」
途方にくれる。いきなり野宿か、しかしハワイでは野宿していのるのを警察に見つかると署につれて行かれると聞いていた。

私は考えた。時間は午後2時である。ここから、次の大きな町はヒロである。距離にしてここから約60キロ、コースはだらだらとした下りである。余裕で到着できるだろうと判断した。
また25セント玉を握りしめて、電話する。モーテルではなく、普通のホテルに予約を取る。
空いていた。
「午後6時にはチェックインする」と言いって出発した。

走り出すと誤算だった。凄い向かい風である。漕がないと進まない。
島の北側をまわり、西側の道にはいると強い風が吹いており、下り坂なのに下っていかない。自転車ごと何度も吹っ飛ばされそうになる。
また、朝から大した食事をしてないので、燃料切れを起こしそうだ。

その後は意識がハッキリしない中でハマクアコーストの美しい橋を何度か渡った。植物層が熱帯ジャングルのように変化してきている。夕暮れだ。危険なのでライトを付けた。暗い中、ようやくコナの反対側に位置する水の都ヒロに到着した。
チェックインはPM6:00ジャスト。
「どうだ、参ったか」変な達成感を得たが、夕食を取った後、ぼろぼろの状態で爆睡した。

画像6

<ヒロの街
翌日は予定を前倒し150キロ走ったので、休息日とし、ヒロの町を観光した。
朝、ホテルでは、ドーナッツとコーヒーが無料だったので、それを朝食とした。ロビーは古びたフローリングと籐の椅子、異常なほどのボリュームの蘭の花が飾られていた。その香りの中で、高齢のアロハシャツを着た白人の男性二人が、テレビのアメフト中継を静かに観ていた。

画像5

街をぶらぶらと歩く。
街の商店は2階だてと平屋が中心であり、1950年代のアメリカの片田舎町を思い出させる静かな時代から忘れ去られたような街だった。
前から品の良い女性が歩いてきたが、私を見ると、急いで道の反対側へ移動した。
「俺って、臭いのか、気持ち悪いのか」そのどれかだろう。

この一帯は、年間雨量が多いことから、シダ類と蘭系の花が山や谷に咲き乱れている。雨さえ降って無ければ、熱帯雨林の緑が冴えて美しい場所だ。
ただリゾート地として、一つ問題がある。いいビーチがないのだ。これは致命的である。
また、日系人が多いのも印象に残った。
「ここは、いい所だよ、貧乏でも暮らせるからね」とそんな事言っていた日系2世のばあさんが、この町での日本人の苦闘の歴史を強く印象づけていた。
明日は遠くに見えるパンケーキみたいな山、マウナケアに登る。見た目はパンケーキだが標高は4205mある。

<マウナケアへ向かう
樹林帯を抜けて1時間ほど登った。1500m近くの標高だろう。ほぼ海抜0mからの登りで、だらだらと斜度5%程度の坂が直線で続く。
空気が澄んでいるので、紫外線が強く、皮膚がじりじりと焼ける。みるみる日焼けしていく。日差しは強烈である。

マウナケアには山頂に多くの国際的な天文台があるので、車両が通行出来る道路が頂上まである。この道だが、一般車両は通行出来ないのでは、確認していないが、実際の登山道にはいると全く車は通らない。本当は自転車も通行出来ないなのかもしれないが、今の所大丈夫そうだ。

ひとりぼっちだ。風の音と自分の呼吸音しか聞こえない。景色は溶岩と細かい砂利。背の低い草も消えていった。荒涼としてきた。
舗装路はされていたが道は荒れていて、時折穴も空いている。登りの遅い速度なので、問題ないけど、下りでは気をつけないと、しかし段々とそんな思考も薄れていく。

2000m、この時点で、自分の考えの甘さを痛感した。ボトル2本では足りない。既に1本空、残り1本も半分ほどになっていた。補給食もパンが1個では足りない。とりあえず下りを無事にこなせる集中力と体力の保てるぎりぎりまで登ることにする。
心泊数が落ちない、本当にゆっくり登っているのに疲れる。昔、富士登山マラソンに出たときの事を思い出す。
後で知ったのだが、舗装路は2800mまでで、以降はオフロードとなる。このチューブラタイヤのロードでは走れない。予備タイヤも2本しかない。

ついにボトルの水が空になった。斜度も徐々にきつくなっている。おそらく2500mくらいだろう。決断した。
「戻ろう」
引き返すことにした。これ以上はサポートなしでは無理だ。
登った分だけ下りは強烈である。 時速70キロは出ている。
強烈なダウンヒルだ。ヒロのホテルまで下りが続いた。1時間近くダウンヒルの楽しさと恐怖を味わい、そのままセブンイレブンへ直行した。そこで、暑くて、喉も渇ききっていたので、アイスを食べたかったのだが、氷アイスはない、しょうがないので甘ったるいアイスを買う。
さらに喉が渇いたので、水も買う。
「これがアメリカか!」
スマホもデジカメも無い時代の話、今は車でのツアーもあるので、マウナケアの写真はネットでどうぞ。とても綺麗です。

<虹の滝
今回は失敗したが、今度はマウンテンバイクで、途中でビバークして挑戦したいと思っている。とにかく経験不足だった。
ホテルに帰ってから昼飯を食べた。まだ時間はあったのと、天気もいい日だったので、虹の滝まで自転車で向かった。虹は見えなかったけど、まさにハワイらしい場所であった。
とにかく、天気がよければ、本当にヒロは蘭の花が咲き乱れ、悩ましい香りに満ちたハワイらしい場所だ。

画像6

夜は、漁港の方で、マヒマヒ(シイラ)の料理を戴いた。この時シイラを初めて食べたが、美味しかった。
夜は長いけど、ホテルの部屋にはラジオしかない、当然スマホなんってない。
体に余力があると、夜は色々と考えてしまう。静かなホテルで一人きりで、寂しく孤独でもあったが、寝るしかなかった。
本当にひとりぼっちだ。世界の何処ともつながっていない時代。
明日は強風が常に吹いているというサウスポイントへ向かう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?