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個人的な教育の話16 交換ノート・リターンズ

 交換ノート・リターンズも2024年の春に終わった。最後まで実家にいた娘2が家を出て自立したので終了だ。
なんだか感慨深いものがある。

交換ノート・リターンズ

 娘2が小5から始めた第一回目の交換ノート。これは娘2がダークサイドへ落ちていきそうだったのをどうにかしたい。そんな思いで始めた。
一方このリターンズは娘2から始めたものだ。大人になった彼女、色々と言いたい事があったのだろう。

恐れはダークサイドへと通じる。恐れは怒りへ、怒りは憎しみへ、憎しみは苦しみへの道となる。
マスター・ヨーダ

交換ノート(第一回)
 交換ノート(第一回)、これは2009年2月から始まり2010年の12月頃に終わっている。
2009年、当時小学5年生の娘2がダークサイドへ落ちかかっていた頃だ。色々と悪事はあった。最悪だったはこの頃、遊んでいた子達だった。
このまま、この子達と地元の中学校へ進学したらどうなるか想像がつく。そのパターンは何時でも変わらない。
その子達の将来が見える。それは私の望む娘の姿ではない。

 その打開策を懸命に考えた。人は文章を書くと気持ちが整理出来る。そして本音がでる。そう思い、私は交換ノートを「家族で」始めた。家族がポイントだ。それぞれの意見、本音があるはずだ。

 この交換ノートで、娘2の気持ちは好転してきた。一番良かったのはその友達が引っ越したことだった。
しかし、2010年なると、生活を一変させるような大事件が起こってしまった。

 2010年の状況、小6の娘2は中学受験 中3の娘1は中高一貫校なので受験はない、高3の息子は大学受験だ。

娘2の病気
 6月、娘2が1型糖尿病を発症した。この病気は国内では1/10万人程度しか発症しない難病、不治の病である。治療方法はない、対処療法としてインスリンを投与し続けるしかない。
合成インスリンの等の医療費、3割負担で年間15万円以上かかるが、生き続けるには1000万円以上の治療費が必要となる。当然だが国は難病指定していないので補償はない。これには、ある種の不条理を感じている。

1型糖尿病
 1型糖尿病は、膵臓のインスリンを出す細胞(β細胞)が壊されてしまう病気。そうなるとβ細胞からインスリンがほとんど出なくなる。
1型糖尿病と診断されたら、対処治療としてインスリン製剤を投与するしかない。そうしないと糖尿病ケトアシドーシスなどで死に至る。
またインスリンを適切に投与しないと低血糖となり、これも脳障害や死に至る。
 常に血糖値をモニタリングし、食事毎にカーボカウントして、インスリンを注射する。それしか生き続ける方法はない。
医師は簡単に言うが、子供がその作業を適切にやるのは難しい。また学校などの対応も色々と問題となる。

 この病気の原因は未だに明確になっていない。トリガーとなるのは風邪のウイルス感染とも言われている。コロナで色々な後遺症が出ているが、風邪は怖い、万病の素だ。

 最愛の娘がこんな病気になって、普通の神経でいられる親はいない。当時は悲しくてしょうがなかった。そんな所へ、さらに悲しみがやって来た。
同時期に母親の癌が発覚した。多発性骨髄腫、ステージ4、余命は長くて1年程度と告知された。

多発性骨髄腫
 多発性骨髄腫は、白血球の中のリンパ球のうち、B細胞から分化(未熟な細胞が成熟した細胞になること)した形質細胞ががん化して骨髄腫細胞になり、骨髄腫細胞が主に骨髄で増える病気。

忙しい日々
 私は仕事の出張もあり、弟と介護で実家に泊まる日はシフト制にしたが、ほとんど家にいられなくなった。月に自宅で寝られるのは数日程度となり、子供達とも顔を合わせる日々が少なくなった。

 この時点で、娘2が一番の問題だった。
病気とダークサイドへ転落して地元の中学校へ進学したら、どうなるか想像がつく。公立校の病気への認識不足も否定できない。日本の公立はガチャだ。
 私と妻は優秀な姉、娘1の行っている中高一貫校(女子校)へ進学させることに注力した。ここの校風ならなんとか娘2が再生する。

 息子の大学受験の方だが、長男は頭のいい子なので、多少のアドバイスだけで、自分でなんとかしてもらった。そしたら塾にもいかずに自勉していた。
交換ノートには大学受験を中心に情報を提供した。これは多少効果があった。どうしても娘2へ注力しがちな所をなんとかファロー出来たと思っている。
結果として、娘2の受験も息子の受験もなんとかクリアーした。そして皆忙しくなり、交換ノートは終了した。

 まだ終わらない。
東日本大震災が2011年3月11日に起こる。息子の卒業式の日だった。人生まだ何が起こるか分からない。この後、本格的な母親の介護が始まった。

交換ノート・リターンズ
 2023年秋、娘2が希望した転職先に合格した。倍率25倍程度あったが、あの娘がよくやったと思う。そしてついに家を出るという。
そんな時期に娘2が自ら交換ノート・リターンズを始めた。
間接的に私達家族へお礼を言いたかったのだろう。
少し感動した。

 そして気づくと、私も子供にお礼を言われるくらいの歳になっていた。
全く時の経つのは早い。

息子
娘達

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