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長崎3日目 原爆資料館から市内を散歩すると火事が!

3日目行程 長崎市内。
本日は2日間車を運転してくれて娘1を解放してあげて、私と妻とでの長崎市内観光とした。長崎市街を路面電車や徒歩で、うろうろするも楽しいと思う。
ちなみに駅前のビジネスホテルの朝食は3日間、同じようなお弁当であった。普段はビッフェ形式だと思うけど、この流行病の対策だろう。そろそろ飽きた。

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朝一に、まだ行ったことない原爆資料館へ行くことにする。
長崎駅前から路面電車に乗ると、修学旅行の中学生が沢山いた。おそらく同じ場所へ行くのだろう。やはり同じだった。
時間もあったので、館内で上映されていたビデオ2本、1時間程度を鑑賞する。当時の長崎の町がよく分かるビデオだった。凄い状況だ。戦後、75年は草1本生えないと言われていたのも分かる。しかし、戦後75年、長崎は素晴らしい復興をしていた。
山王神社の楠(被爆クスノキ)、長崎大学病院 浦上天主堂。比較するとよく分かる。
これも希望という光のおかげだと思う。

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つくづく思うのだが、何故、浦上天主堂を原爆遺産として残せなかったのか、アメリカにっとしてはとても恥ずかしい非人道的な遺産となるはずだ。しかし、憎しみとか恨みからは何も産まれない。希望と夢、人のために生きることで、長崎はここまで復興したのだと思う。

資料館をでると11時を回っていた。そろそろ昼ご飯だ。妻のお勧めで、四海楼のちゃんぽんにする。
私は普段ちゃんぽんは食べない。山梨のほうとうとか、煮込み系の麺類は基本好きではない。
しかし、四海楼のちゃんぽんは絶品だと言う妻の意見で、ちゃんぽんにした。11時半、なんともう行列ができている。天気もいいので、広い窓から長崎湾の向こうに稲佐山が見える。
ここからの夜景は日本の夜景の第一位だが、いまだに見たことがない。
ちゃんぽんは想像よりまろやかな味で美味しかった。

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食後、松翁軒(しょうおうけん)でお土産としてカステラを買う。インスタ向けの写真を撮るため、オランダ坂、中華街、眼鏡橋辺りをうろつき、出島の辺りを歩いていると、キャンプ場のたき火の臭いがした。
「野焼き?」俺
「そんなわけないでしょう」妻
娘1からLINEが入る。
「浦上駅前で火事」
見ると浦上辺りから煙があがっている。市街では何十年ぶりかの大きな火事だったようだ。

歩き疲れた私は疲れて不機嫌に。人混みに飽きてきた。これを回避するには休みましょう。美術館内のカフェでしばらく休憩。

午後3時半、長崎駅のホテルへ歩いて戻りながら、楽しめそうなルートはないかと地図を見ながら妻と相談する。
すると、お寺と神社の続く道を発見した。崇福寺通りと言うらしい。その道を歩いて長崎駅に戻ることにした。
少々車が多いが、いい道であった。八坂神社から興福寺まで、人も少なく、ひっそりとしていた。私はだんだんと気分がよくなっていた。

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一度ホテルへ戻り、娘1と娘1の彼氏との会食ため、出島の割烹料理店へ行く。「NAGASAKI DINING DEJIMA ASA」
ここでもウチワエビの活き作りを戴く。少々飲んで、ほろ酔い気分、路面電車でホテルへ戻る。長崎駅の陸橋の下には、路面電車がゆっくりと走る。なんだかノスタルジックな夜。風は心地いい。なんと平和なのだろう。
明日は東京へ戻るけど、娘1の彼氏が車を出してくれるので、午前中はまだまだ長崎をうろうろできそうだ。

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続く。

 

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