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あの素晴らしい時間をもう一度

私は本日67歳となった。いい歳だ。
ちなみにNoteを使っているメインの世代ではない。
ここは30,40代のビジネスパーソンが大半だと言われている。

私の友達・仲間
私の子供達は今は20代で、その友達や彼氏達も20代だ。たまに食事をしたり、旅行やキャンプ、スキー、ハイキング、カヤックとアウトドアスポーツも一緒にしている。
仕事は2021年に辞めているが、仕事仲間は私より少し若く仕事が出来る40半ばから50代半ばが多かった。後は私より偉い爺さんばかりだ。
従って唯一30から40歳位の人間とは遊びでも仕事でもあまり付き合いがなかった。

56歳の時、多摩地区の自転車(ロード)のクラブに入った。ここには30代が多く、なかなか波長が合わずにいた。理由はよく分からない。
出来れば、50半ば以上のおっさんか、20代の青年の方が付き合いやすい。

ここはSNSでクラブを運営してた。しかし実際にロード練習する方々はほぼ固定メンバー。飲み会もほぼ同じ。
他の会員は一体なのためにこのクラブに所属しているのかよくわからない。それでも幽霊会員が時折SNSにて匿名で炎上していた。パソコン通信時代からネットの人間関係は全く変化していない。

山でロード練習

私のクロニクル
某大手の電気会社の関連会社で20年、退職してベンチャー企業を立ち上げて21年勤めた。その会社は2021年に解散した。
既婚、子供は3人おり、皆成人している。全員大卒。末娘が10万人1人(日本)という免疫異常の病気、1型糖尿病(不治の病)となるが、立派に成人した。

仕事の傍らで、モトクロス選手として5年、トライアスロン選手として35年を過ごす。
趣味はアウトドア全般となる。今でも趣味にしている。

ベンチャー企業と言っても零細企業、常に営業から設計、施工、試験、検収、予算管理、人事まで何でもやっていた。現在無職で年金暮らしだ。
それでも、長い付き合いのある環境関係書籍のWebサイトの保守だけアルバイトでやっている。
著者はかなり偉い方で、高齢、環境問題では有名な方だ。まだ改訂版を出し続けると言うので、お手伝いしている。

その他、親が癌になりステージ4、その介護を5年ほど続ける。
仕事の打ち合わせした男が翌日殺人犯で逮捕される。
事務所に強盗がはいる。
シーカヤックで渡ったで無人島で、白骨死体を発見する。
親の土地の件で民事裁判中。
 などなど。

気づくと高齢者になっていた。
それでも、この歳になって分かったことがある。
「人生において、最高な時間は一瞬だった」

タイミング次第。努力次第、なんであれ、自分の五感全体が奇蹟的に絡み合い最高の一瞬を感じる。
そんな一瞬は滅多に来ない。でもそれさえあれば十分生きていける。

実際問題として、そしてそんな奇蹟の時間は歳を取るとほぼ無くなる。
だから、「若い頃に好きにやるべきだ」
これを今更理解する私だった。

そんな一瞬
17歳の私、深夜の青山通りをホンダCB750K1で、何十台ものバイクと共に走ている。流れる街のネオン、酔っ払いの声援(昔は頑張れとか言われた)、夏の蒸せるような夜。足の間のエンジンの鼓動と熱気。ジェット機みたいな2サイクルエンジンの音と煙、そのオイルの焼けるにおい。
世界は俺たちのものだった。

24歳の私、モトクロスレース、スタート5秒前、単気筒2サイクルエンジンの甲高い音、ばらばらの音が一つになる。
一瞬無音となりスタート。
回りのバイクと前の地面が交互に目に入り、飛びさる。最後に地面と自分のバイクの前輪だけになる。トップだ。後ろに蠢く気配、あの時の胸の高鳴り。

黒いヘルメット 赤いホンダ

35歳、アイアンマンでは毎レース感動していた。「ドーパミン」「アドレナリン」のオンパレードだ。ただ歳を重ねるごとに、その練習が無意味に感じる事が増える。
「もっと家族と過ごすべきだ」とかね。

1989年代のアイアンマン

40歳、3度目の出産に立ち会う。毎回立ち会っているが、不思議な瞬間。生命誕生。
胎盤が出てくるとかなり血なまぐさい。肉食動物を引き寄せる匂いだ。その後の子育てに思いを馳せる。
「この歳で大丈夫かな」

3人目の子供が幼稚園に入園したのをきに犬を飼った。
当時は珍しかった柴犬だ。

子犬時代

犬の散歩を毎日朝晩する。結構大変だったが、散歩はストレスの多い時期だったのでいい気分転換になった。
そんな散歩していた晩秋の夕刻、恐ろしい程に空が茜色に染まったことがあった。あまりにも美しいので、愛犬コロと高台に上がってこの自然のショーを見ることにした。ここは見晴らしの良い場所なので、同じ様な目的で数人集まっていた。

まだ若いコロ、その凜々しい体が茜色に染まっていた。
「格好いい」スマホの無い時代、写真も撮れない、記憶に残すしかない。
その時、この自然の大パノラマを撮影していてカメラマンがいた。
気づくと、その彼が俺とコロの写真を撮っていた。
「絶対にいい写真だろう」

2歳

さらに月日は経ち、震災、疫病、戦争と色々な出来事中、何とか息抜きこの歳になる。その経験とマンネリ、不条理の山積み、心も身体も疲れ切っており、感動が消えていく。
それでも私はそんな素晴らしい時間を期待して生きる。それしか生きる動機付けがない。
それ故、多少無理もしている。身体も鍛えている。ボケないため、ここに文章も書いている。

最近の記憶に残る一瞬
2021年7月23日、急性心筋梗塞でマウンテンバイクを抱えて倒れ、運良く病院に運ばれ、ICU(集中治療室)での事。
一瞬だけど心臓が止まり、死の淵から蘇って見た医者の顔のアップかなぁ(W)
映画のシーンと同じ様に、まず声が聞こえてくる。次に小さな穴が広がるように顔(医師)のアップが目に入る。


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