石川ワタルさんのこと

競馬ライターの大先輩である石川ワタルさんが亡くなった。恥ずかしながらワタルさんが闘病していたことを知らなかった。競馬場に足を運ばなくなったので、週末に府中や中山でご一緒することもなくなり、ここ数年、ご無沙汰していたのだ。

ワタルさんは約20年前に僕が競馬ライターとして文章を書き始めたころからお世話になってきた師匠的存在。

インターネットが整備される以前から頻繁に海外に渡り、ヨーロッパやアメリカの競馬の情報を「優駿」などで伝えてくれた偉大な人だ。

情報が簡単に手に入らない時代、日本の競馬マスコミは海外競馬事情に明るいワタルさんにどれだけ頼っていたのか、はかりしれない。

初めてワタルさんに会ったのは、1995年ごろ。確か内幸町にあるJRAの図書室だったと思う。当時の俺はプー太郎同然で、日銭稼ぎに別冊宝島「競馬読本シリーズ」の手伝いを請け負い、海外競馬についていろいろと調べものをしていたのだ。

その翌年(96年)、府中の飲み屋でお話する機会があり、暮れの香港国際カップ観戦にお誘いいただいた。その旅行は亀和田武さんや、かなざわいっせいさんも同行する豪華メンバーだった。そこにどこの馬の骨ともわからない若僧が入り込んだ形だ。

自分にとっては初海外で、何もかもワタルさんにおんぶにだっこ。しかも香港に到着したそうそう、ポケットに入れておいた10万円を地下鉄のエスカレーターで強奪されるという恐ろしい目に遭った。

切符も一緒にもっていかれ、ろくに英語も話せず、地下鉄の改札を通ることもままならぬバカを最後までしっかりサポートしてくれたのもワタルさんだった。その後もワタルさんとは韓国やシンガポールなど、何度も海外競馬観戦をご一緒することになる。

新宿ゴールデン街に連れて行ってくれたのもワタルさんだ。ワタルさんのおかげで、どれだけ人脈が広がったのかはかりしれない。ワタルさんはダジャレと若い女の子が大好きで、飲み屋のカウンターの女の子をすぐに口説く。でも成功した話は聞いたことがない。

ものすごい知識人だけど、それをひけらかすようなことはせず、文章には競馬への愛があふれていた。昨年も頻発する名馬の事故を憂い、日本の競馬場の馬場改修を「競馬ブック」で訴えていた。

「なにを祐天寺、そんなことありま洗足」
お酒が大好きで底抜けに陽気で、いつもマンネリのダジャレを連発して笑顔を見せてくれたワタルさん。

もう会えないのかと思うと、本当に哀しいけど、ワタルさんが残してくれた数々の文章は色あせない。若いころの海外競馬放浪記なんて貴重な資料で最高に面白いんですよ。

ワタルさん、本当に本当にお世話になりました。


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