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Newtownと、「原体験」の話

愛知県春日井市という名古屋の北にある街。
愛知県出身だというとだいたい「名古屋?」と聞かれるし、なんなら「名古屋って県じゃないの?」みたいな話もたまにされる。

そんなネームバリューを持った名古屋のお隣にあるので、そこで働く人たちがたくさん住めるベッドタウンが必要になり、開発されたのがわがまち"高蔵寺ニュータウン"。

このニュータウンに生まれたことは、わたしの中でかなり重大なことだったと、最近気づいた。

住んでいたときは、便利な街だなーくらいにしか思っていなかった。受験勉強は近所のショッピングセンターのフードコートだったし、衣食住に関するすべてがだいたいそこ1箇所で解決した。


大学で神戸に来て、最初とても不便をした。服(肌着類)と食べ物が一緒に買える場所がない。スーパーによって価格帯が違う。
わがまちニュータウンはなんて便利だったんだ!と誇りに思ったりさえした。
そんな大学1年目。

その後、いろいろな土地に長めに滞在することが多くなった。東北、熊本、宮崎、帯広など。

1週間以上その土地にいると、なんとなくその土地で暮らす人たちがどう生活しているかを体験できる。

コンビニに行くため1時間歩く北海道(地元の人は基本車だが、インターンだったので徒歩だった)。
いまだ神戸では見たことがない、ローカルな焼酎を飲み続ける日南市油津市民。

不便だ。高蔵寺の10倍は不便。大変だなあと思う。ショッピングセンターもないのか、と。
しかし各地での暮らしに出会うにつれて、わたしの誇りは掃除されていった。

"便利なことは、楽しさではない"
そんなことを思うようになった。もちろん不便が過度だと大変だし、技術があるなら使えばいいと思う。
でもそうじゃない、便利なら人は消費者でしかないと思った。不便な中で育まれる"便利に豊かに暮らそうとする人々の営み"こそが、まちを元気にしているのではないか。そうしてみると、自分の地元に問いたいことがある。

"高蔵寺に、アイデンティティはあるのか"

たしかにニュータウンそれ自体は面白い取り組みだったと思うし、批判するだけではよくない。実際にちびっ子いなばくんは便利だと思っていたし、高齢者の方が団地から離れないのもポジティブな理由だと聞く。

しかしながら、しかしながら。
あれはどこでもよかったのだと気づいてしまった。例えばお隣の瀬戸市でも、名古屋の中のちょっと土地が余っている場所でも、名古屋までアクセスしやすくて、まとまった土地があれば、なんでもよいのだ。
そこには長く続く文化もうっとおしくなるようなコミュニティもない。あるのは小学生しか使わない公園と、団地と、駐車場。
飲食店は、チェーンチェーンチェーン。

あの場所は、どうして人々に愛されようか。

人が住みたいと思う場所をつくりたい、そんなことを思うようになった。

住みたい場所の話はまた違うタイミングで書きたい自分のテーマみたいなものだなあと最近感じている。

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これがわたしの原体験。

話変わって、原体験という言葉がなんだか若者の間では流行っているらしい。原体験がビジネスやその後の生き方を作っていくみたいな。引用としては家入さんとかがよく出てくる。

一方で、学生と話していると原体験がない!と嘆いている人たちと出会う。そんなに強い原体験をしていないと言う。

さて、建築学科の授業で、"原風景"という言葉を扱ったことがある。あなたの原風景は?というのをストーリーや写真で伝えるという授業だった。

だれも、わたしには原風景がない!などと嘆かなかった。そのかわり、原風景は必ずしもみんなの生まれ育った土地の映像ではなかった。旅で訪れた場所の幻想的な風景や、お祭りのときの賑やかなイメージの人もいた。スケールもそれぞれで、自分の家から街全体まで、バラエティに富んでいた。

原風景はネイティブである必要はないし、自由だった。自分はこんな建物、まちを作りたいという建築学生としての理想イメージだった。
そしてそれは、これまでの風景のイメージを比較することによって作られていたはずである。

原体験も、そんなおもしろいものとして捉えられないのだろうか。

何も幼少期に悲劇的なことが起こることに絞らなくていい気がする。ふとした場面の出来事が、産み落とされた環境が、たまたま見たテレビ番組でさえ、原体験になりうる。
併せて言えば、原体験はあれが原体験だったと気づけるまでに時間がかかるはずである。

自分は何がしたいのか。という問いかけの答えのピントを合わせるのに、原体験は使われる。

やりたいこと、気になることを探すことがまずはじめのスタートなのではないか。



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