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ツタンカーメンは何をしたのか★1

● はじめに


今回の難易度


★☆☆1入門編

「ツタンカーメンの名前は知っている」くらいの方向けです。


今回のまとめ


ツタンカーメンは「父王の宗教改革で荒れてしまったエジプトを建て直そうと努めた」王様です。


● 少年王ツタンカーメン


最も有名な王


日本で最も有名なエジプトのファラオ、1922年にイングランドの考古学者ハワード・カーターが発見した黄金のマスクの主がツタンカーメンです。

ツタンカーメンの黄金マスク
引用元:Wikipedia

夭逝ようせいしたことで「悲劇の少年王」として語られることが多いツタンカーメンですが、実際、彼の王はエジプトを治める者としてどんな事をしたのでしょうか?

ちなみに、「ツタンカーメン」というのは日本語での発音で、英語の”Tutankhamun”をローマ字読みしたものです。英語の発音に寄せるならば「トゥトアンクアメン」の方が正確です。


少年王の即位

「少年王」と呼ばれるツタンカーメンは、8歳から9歳の時、二人の重臣の下で王位に就きました。
王はその幼さゆえに重臣に政治の実権を握られていたと言われています。

推定18歳で亡くなるまでの約10年という長くはない治世ですが、その業績の成果は、黄金のマスクや華美な装飾品からわかるように好感を持たれていたようです。


● 少年王は何をしたのか

父の再埋葬

王位に就いたツタンカーメンがまずはじめにしたのは、父であるアメンホテプ4世の墓を、歴代の王が眠る「王家の谷」に移すことでした。
なぜ、父王は初めから王家の谷に埋葬されなかったのでしょうか。

アメンホテプ4世は、当時の首都アマルナに埋葬されていました。
実は、この王こそ、エジプトを復興に努めなければならない状態にしてしまった張本人なのです。

古代エジプトは日本と同じ多神教の国です。
たくさんの神の中で、当時もっとも大切にされていたのが太陽神アメンでした。アメンホテプ4世の名前にも入っています。

アメンホテプ4世は、王位に就いた後、名を「アクエンアテン」と変えました。太陽円盤の神である「アテン」の名が入った名前です。
アクエンアテンは、アテンを唯一絶対の神とし、他の神の信仰を禁じました。多神教から一神教に変えようとしたのです。

この宗教改革をスムーズに行うため、アクエンアテンは首都をテーベからアマルナに移しました。テーベでは、アメン神殿で神に仕える神官たちが強い権力を握っていたからです。宗教改革は、神官たちの力を削ぐために行ったと思われます。

アマルナにあるアテンの小神殿
引用元:Wikipedia

そしてアクエンアテンの死後はそのまま首都アマルナに葬られました。しかし、エジプトでは先王の葬儀を主催した者が次の王となる慣習があったので、ツタンカーメンを主催として葬儀をやり直したのです。

なぜ葬儀をやり直さなければならなかったのか。
それは、埋葬場所を移す必要があったからです。


遷都

父アクエンアテンの時代にアマルナに移された都は、ツタンカーメンが即位した後テーベに戻されました。

アクエンアテンが行った宗教改革は、エジプトの混乱を招いていたのです。
神官たちは職を失い、放棄された神殿は荒れ、さらに領土の一部を失います。
アクエンアテンの改革は、その後の王たちにより「なかったこと」にされるほど、悪評を得ていたのです。

顔の部分を削り取られたアクエンアテンの棺
引用元:Wikipedia

そんな”悪しき改革”の本拠地であるアマルナを、そのまま首都にしておくわけにはいきません。
ツタンカーメンは”正しい”首都テーベで、父王の葬儀を行い、王としての地位を認められました。


神殿の修復と神官の復職

アクエンアテンの宗教改革により、アテン以外の神を祀る神殿は打ち捨てられ、荒廃していきます。
さらに、神を象った神像は顔を削られていました。

神殿の荒廃は神への奉仕の放棄を意味し、当時のエジプトでは、奉仕をしなければ神は国を見捨てるとされていました。

ツタンカーメンは荒れていた神殿を新築し、純金の神像を捧げます。
また、神殿で働き神への奉仕をする神官を任命し、神への供物を絶やさないようにしました。

一神教への改革で国内は混乱し、神官やその付き人をはじめ職を失った人々が多くいました。
そしてなにより、太陽神アメンなどのさまざまな神を心の拠りどころとしていたエジプトの人々は、その信仰を禁じられ、たいへんな不安を抱いていました。

父王の尻拭いと言ってしまえばそれまでですが、若き王ツタンカーメンは、民の不安を払うため尽力した王だったのです。


コラム:ツタンカーメン王のえんどう豆


「ツタンカーメンのえんどう豆」をご存知でしょうか?
ツタンカーメン王の墓から出土したえんどう豆の子孫、と言われている品種です。先述のカーター氏が栽培に成功し、広めたと伝わっています。

画像引用元:旬の食材百科

3000年以上もの眠りから覚め、現代にその遺伝子を伝えてくれているえんどう豆。とてもロマンあふれる話ですね。

しかし、その「ツタンカーメンのえんどう豆」の逸話は、真偽が定かでないと言われています。

実は、英語圏のツタンカーメンのえんどう豆(King Tut pea)は食べられません。
日本でえんどう豆と言えば豆ごはんにしたりと身近な食材です。
しかし、”King Tut pea”は毒があるスイートピーの品種なのです。

日本と英語圏で別の品種なのは花を見るとよくわかります。
「ツタンカーメンのえんどう豆」で検索すると薄ピンクと赤紫の花が、
”King Tut pea”で検索すると青い花がヒットします。


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