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ペルーの子どもたちに算数ドリルを22年:CALO


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1冊の絵本から

以前兵庫県のギャラリーで個展をした時、仕事でイラストレーターとして携わった「ちいさくても大丈夫」という日本語に加え、スペイン語表記もある絵本を会場で販売していました。それを手にとった学生さんが NGO のCALO(Club de Amigos de Latinoamérica de Osaka)大阪ラテンアメリカの会のことを教えてくれました。彼女の話しでは、CALOはペルーの子どもたちに算数ドリルや絵本をスペイン語に翻訳し、プレゼントしている団体だそう。興味を抱き、家に帰ると早速CALOのHPを開きました。以来8年ほどCALOの活動を拝見しています。


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今回はそのCALOのことを「子育て新聞」を通じてお伝えしたく、代表の梶田雅子さんにお話をお伺いしました。
写真:左から2番目が梶田さん。絵本にスペイン語の翻訳文を貼る作業、2016年8月27日、みのお市民活動センターにて和やかに行われていました。


おばあちゃんは大学生

梶田さんの家の近くに大阪外国語大学(当時)があり、箕面市が留学生のホストファミリーを募集していた。梶田さんは、その募集に答え、様々な国の留学生をホストファミリーとして迎え、留学生たちとの交流がはじまる。一時期、南米からの留学生が増えた。彼らに日本語で話すかわりに「スペイン語を教えて」とお願いしたところ、快く誠実に教えてくれた。それがきっかけで50歳の時、梶田さんは大阪外国語大学スペイン語科に入学。6年間の大学生生活を送り、学生として過ごすうち、さらに南米に興味を持ち出した。


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NGO設立

スペイン語会話上達を目指し、留学生との交流できる会をもてないかと、大学のクラスメイトとホストファミリー仲間で、クリスマスパーティーを企画した。留学生はたくさん集まり、これを機に正式な会としてやっていくことになり、1994年CALOが誕生した。


きっかけは留学生

梶田さんがまだ大阪外国語大学に入学する前に話は戻る。ペルーからの留学生ぺぺさんが、たまたま家に置いてあった小学校の算数ドリルに目を留め「こんなきれいで楽しそうな教材がペルーにあったら、どんなに子どもたちが喜ぶだろう…」と言った。梶田さんはスペイン語も知らない頃だったので、「誰かに頼んで翻訳してもらって・・・」とお茶を濁していた。しかし、彼は算数ドリルのことをずっと覚えていて、会うたびに「あれはどうなりましたか?」と聞いてきた。そうこうしている内に梶田さんは大阪外国語大学に入学、CALOが設立され、CALOの中で「何かボランティア的なことをやりたい」との意見があがった。その時、梶田さんは算数ドリルの話を思い出した。そして、みんなに話すと大賛成で算数ドリルを翻訳することに。それがどんなに大変な仕事かをイメージしないまま・・・。


試行錯誤の翻訳算数ドリル

算数ドリルを出している出版社にスペイン語に翻訳し、小学校で配るという許可をもらい、翻訳算数ドリルは小学校1〜6年生まで、全学年分を作ることに決めた。まずは試作品として小学校1年生のものを90冊作ることに。ペルーの方々(元小学校教師や日本語が堪能なスペイン語講師)の助けをかり、ペルーの算数のカリキュラムも調べ、それにのっとってドリルの問題を取捨選択していった。(現在は、「日本のドリルの著作権の自由使用の許可」に則り、取捨選択せず、日本のドリルをそのまま訳している)


4000ページを色鉛筆で塗る

安く作るために、試作品はモノクロのコピーで印刷することにしたが、設問に「あかい はなは なんぼん あるでしょう」など色がついていないと解けない問題があった。なので、色が必要なところは、色鉛筆で塗っていった。これがとてつもなく気が遠くなる作業!何と4000ページを1枚1枚、家族や友人知人の力もかり、仕上げた。(現在は、モノクロ印刷でも設問がわかるよう、絵を工夫した)また、設問は打ち文字にしようということになり、パソコン(Macのパワーブック150)を購入。はじめてのパソコンに加え、スペイン語には英語にはない「!」「?」が上下逆になる文字やアクセント記号があり、その文字をどうやったら打ち出せるかだけで四苦八苦だった。


試作品の完成

なんとか算数ドリルの試作品はできた。ペペさんがいくつかのペルーの小学校をまわり、子どもたちに算数ドリルを届けた。反響は大きく、「早くもっとたくさん送ってください!」とペペさんから連絡が来て、新学期(日本と同じ4月)に間に合うよう、印刷することとなった。


ペルーからの要請

印刷はコスト面を考えペルーですると決めたが、それをするのには「日本のドリルの著作権の自由使用の許可」「ペルー教育省の許可」が必要、と印刷所から言ってきた。それがないと公立の小学校での配布が無理とのこと。そのために梶田さんは、日本の出版社、法務局、外務省、在日ペルー大使館と慌てて手続きを交わし、用意した書類をペルーに送った。ペルーの教育省で手続きが終わると、ようやく1年以上かかって待望の算数ドリルができあがった。


ペペさん人質になる

1995年ペルーの日本大使館を梶田さんはじめCALOのメンバーが表敬訪問した際、「草の根無償資金協力」というボランティア活動への助成金を大使から勧められた。それを使えば、スペイン語版算数ドリルの1〜6年生分が印刷できると考え、申請することにした。そして審査は無事通過。翌年12月17日、ペルーの日本大使館でペペさんがその申請成立を記念して、スピーチすることになった。ところが喜びに満ち溢れた記念日となるはずの日が一転する。その日、日本大使館には多くの人が集まっていた。和やかな時間が流れる中、突然テロリスト(トゥパク・アマル革命運動)の襲撃を受けた。ペペさんはじめ約600人が人質に。幸い数日後にペペさんは解放されたが、テロリストによる占拠は長く続き、事件が解決されたのは4ヶ月以上たった頃だった。


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3万6000冊できたけれど・・・

「草の根無償資金協力」の助成金は日本大使館襲撃事件があったため遅れたものの、無事支給された。そして、1〜6年生分の算数ドリル、3万6000冊は完成した。多くの小学校の子どもたちが手にし、歓喜と共に活用してもらえたが、輸送費、倉庫費用などの問題、またそれらの大量の算数ドリルを配布するために、現地ペルーの人たちに多大な迷惑をかけた。そのことを教訓にし、現在は3000冊前後を目安に印刷し、直接子どもたちに配布している。


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「ドリル3種」右端:元になった日本のドリル(ただし、翻訳したものではなく改訂版になっているので微妙に数字が違う)。真ん中:最初に翻訳した1年生だけのドリル(このときはまだ著作権の許可はとっていないので、内容もペルーのカリキュラムにあわせて取捨選択されていた)。左端:今も印刷し続けているスペイン語版算数ドリル。


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スペイン語と日本語のドリル


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学校選び

この22年間でCALOが算数ドリルを配布した学校は相当数になるが、現在、学校は5つになった。当初、貧しい生活困難地域の学校にと希望していたが、そういう学校に行くと、算数ドリルを前にして、校長先生はこんなことを言った。「着るものは持って来ていないの?食べる物は?」と。現地スタッフから、算数ドリルや絵本がお金に替えられる可能性があるという意見が出て、算数ドリルや絵本を効果的に使ってくれる学校を決めていったそう。


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子どもたちからの声

「この算数ドリルがあったから、自分は数学に興味を持ち、上の学校にも行きたくなった」という卒業生も出てきた。彼らは、CALOが配布したことを今でもはっきり記憶していて、『初めての自分だけの本』として今でも大切に持っている子も。首都リマの日本では東京大学に相当する大学に入学する子も出ているそう。


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大学生になったクリス君とマテオ君

「CALOのドリルは算数を好きになった動機になりました。家に持って帰れるので一人でどんどん勉強できました。今でも持っています」。クリス君は「おおきなかぶ」の劇でおじいさん役だったことは忘れられないと言って笑っていたそうです。二人とも優秀な成績で大学生になり、ペルーの子どもたちのことを思い、CALOへの活動協力を申し出ている。


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絵本は心の栄養

ペルーの小学校に何度か訪れるようになり、カラフルな絵本がないことに気がついた梶田さん。先生方に古い絵本のプレゼントを提案すると「持ってきてほしい」との答えがあり、日本で絵本を集め、翻訳した文を貼り、スーツケースに詰めるだけ詰め込みペルーへ持って行った。これもドリル同様大変評判が良く、「おおきなかぶ」の劇を上演する学校、「ぐりとぐら」をペープサートにして楽しんでいる学校、なんと「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」を全文暗唱する子までいた。また、教科書自体が足りないということもあり、「さぁ、これは何色かな?」など、絵本を教科書のように使って授業をする先生もいたそう。それらの学校では「教育委員会」から成績が向上しているとの報告があった。また、絵本のお陰で、国語力も上がっているとのこと。さらに、ある学校では両親たちもその絵本を借りに来るそう。その際身分証明書が必要とのことで、それくらいその絵本が大切に管理されているのがわかりますね。


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出前授業

CALOでは小学校へ出前授業もしている。ペルー人の方にも協力してもらい、民族衣装やペルーの生活用品(ココアを作る時にかき混ぜる棒、マテというお茶を飲む道具など)、アンデスやアマゾンの自然、マチュピチュなどの世界遺産、スラムで働く子どもの1日を紙芝居にしたものなどを見てもらい、文化や習慣、生活状況の違いなどを伝えている。ちなみに、ペルーの義務教育は6歳から17歳まで。小学校と中等学校(日本のように中学、高校に分かれていない)がある。しかし、この義務教育を全員が受けているかと言えば、貧しい地域では途中でやめて、家庭のために働く子もいるそう。梶田さんは、「20年前に比べて、ずいぶん良くなっている」と思うそうですが、「まだまだだ、とぺルーの人たちは言っている」そうです。


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ペルーの生活用品 左:肉をたたく道具 右:ご飯の型を作る道具


教室のプレゼント

CALOは、依頼されて2つの学校に合計6教室ほど寄贈した。ひとつは、一人の日系人神父が私財を投げ打って造られた学校。最初4年生くらいまでの子どもたちだけが在籍する学校だったが、今では中等生まで学べる学校になった。私学ということで国立に比べて月謝が必要だが、安い金額で通うことができる。その学校へCALOからは材料費だけ寄付し、両親たちが労働奉仕をして建てたそう。最近、「他の学校で子どもたちの両親たちが教室を建てている」と、現地スタッフから知らせが届いた。出来上がった教室に窓もドアもない。そこで資金が切れたそうで、教室には寒い風が吹き込む。それで、急遽ドアと窓枠の見積もりを出してもらったところ、700ドル。CALOも資金難だが、10万円を送った。2週間もたたないうちに、「ガラスの窓が入った!」と喜んで掃除している子どもたちの写真が送られてきた。「10万円の寄贈がこんなに手に取るように役立っている様子が分かるのは、こういうことをしている醍醐味」と、梶田さん。


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これから

スラム(生活困難地域)には日本人観光客は行かないこともあり、CALOの訪問は子どもたちにとって、とってとても刺激的なことのよう。はじめは日本の存在すら知らず「中国人だ」と言っていたが、CALOの活動を現地スタッフたちもよく理解してくれていて、そのスタッフたちを通し、ペルーの先生方や子どもたちに、20年以上たった今やっと理解されてきたそう。梶田さんは、「大きな夢は持たず、引き続きペルーの子どもたちのために一年でもしっかり支援していきたい。『支援している』と言いながら、結局わたしたちはペルーの子どもたちに励まされ、生きがいを与えられていることをいつも感じています。ですから、感謝のみです。そしてどんな方にも、想像できないような方法で力になってもらっていることに驚いています」とおっしゃっていました。


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「COMIDA(コミーダ)」って知っていますか?

もともとペルーには近所の人たちが集まって「COMIDA」コミーダといって、昼ご飯を作り、誰にでも配るという風習(おそらくインカの習わし)があったそうです。ある学校ではお昼に子どもたちが食堂でご飯を食べているのに混じって、赤ちゃん連れのお母さんや大人がいるそう。そんな素敵な風習を梶田さんから知った。CALOの活動資金の多くは、会員からの会費。近年、会員数が減ったこととペルーの物価の上昇もあり、火の車が続いている。もし家に眠っている絵本があれば、CALOへ♪(募集されている絵本リストはCALOのHPにあります)心の栄養を届ける絵本のコミーダしませんか?

子育てをしていると自分の子どものことでいっぱいいっぱいのことが多く、海外に行くことは難しいですが、絵本をCALOを通じて寄贈し、CALOの活動報告でペルーの文化や日本の子どもたちとは違う境遇の子どもたちがいるということを知り、自分の世界が広がりました。また、国を超えて人と人とが繋ることができる、ということを感じることができました♪


梶田雅子
1941年、京都府に生まれる。京都女子大学文学部卒業後、教職に就く。結婚後神奈川県に住み、一女一男をもうける。1981年大阪府に転居。1998年、大阪外国語大学二部スペイン語学科卒業。CALO代表。著書に『ペルーの子どもたちに算数ドリルを!ー平凡な主婦がNGOを立ち上げた』協同出版株式会社

>> CALO(Club de Amigos de Latinoamérica de Osaka) NGO 大阪ラテンアメリカの会 


発行・テキスト・編集・写真(絵本翻訳文貼り付け風景・本箱)・はまのゆか・写真提供・梶田雅子・2016年9月15日

<追記>
2020年3月配布分をもって、
ペルーの子ども達に算数ドリルを贈る活動は、終了されました。

なんとその活動は26年。
計102,841冊プレゼントされてきました。

スペイン語訳を絵本に貼って送る活動は継続されるそうです。

追記:2022年1月4日・はまのゆか

『子育て新聞』は、一児の母&絵本作家はまのゆかがお届けしています。下記の『サポートをする』ボタンをクリックすると、ご覧になった記事に対して、投げ銭いただけるページに飛びます。はまのゆかの詳しいプロフィールや仕事歴などの詳細は→ http://hamanoyuka.net