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【創作】兄妹~前編~

花吹雪が目の前を覆って僕は思わず歩みを止めて桜を見つめた。

駅から会社までの道のりには桜並木があって、4月も中頃を過ぎると咲いている桜よりも散った花びらの方が目についた。
特に今日はいつにも増してたくさんの花びらが舞っているように思えた。立ち止まって花吹雪を眺めているとふいに過去の記憶が脳裏に浮かんだ。


それは幼い頃、妹と一緒に桜を見ていた記憶だった。
今日と同じようにたくさんの花びらが僕らの周りをぐるぐると舞っていた。僕と妹は互いの手をつないでジッと花吹雪を見ていた。

「お前はお兄ちゃんなんだから妹を守るんだぞ」

誰かが僕にそう声をかけた。父親でも母親でもないその誰かは僕と妹の頭をくしゃくしゃと交互に撫でた。妹はキャッキャと笑っている。それが誰だったのかは思い出すことが出来なかった。無理もない、あれからもう30年近く経っている。
ただ、大量に舞う花吹雪と「妹を守れ」という言葉だけがずっと鮮明に残っていた。

それから数日後、僕は予期せぬ形で”その誰か”を思い出すことになった。


仕事中、珍しく母親から着信があった。無視しようかと迷ったが久しぶりの母親からの連絡に何となく電話に出ることにした。

「ごめん、今仕事中だから後でかけ直すよ」
「ちょっと待ちなさい。あのね、重明しげあきおじさんが亡くなったのよ」

重明おじさんは父親の弟で僕の叔父さんに当たる人だ。重明おじさんの名前を耳にして僕はすぐに思い出した。僕と妹と一緒に桜を見ていた人は重明おじさんだった。毎年桜の季節になると僕ら兄妹きょうだいを近所の桜並木まで連れていってくれていた。叔父さんは桜が大好きで「死んだ女房が桜が好きでなぁ」と言っては哀し気な目で桜を見つめていた。幼い僕は”女房”の意味がよく分からず人の名前かと思っていた。


「ねぇ武志たけし?ちゃんと聞いてるの?」

重明おじさんとの思い出に耽っていた僕は母親の声で我に返る。

「ああ、聞いてるよ」
「それでね、急で申し訳ないんだけど葬儀に顔を出して欲しいのよ。ほら親戚の手前もあるし」
「うん、分かった。何とかするよ。それで路子みちこに連絡は?」
「一応あの子にも連絡はしたんだけど、やっぱり来るのは難しいみたい。ほらお姑さんもいるじゃない」

妹の路子は4年前に結婚をして旦那と姑と暮らしている。結婚してすぐに妊娠が分かって喜んでいたが、しばらくして流産をしてしまった。
それからなかなか子供を授かる事ができなくて、旦那と姑からの風当たりが徐々に強くなってきているらしいと、泣きながら母親が話していた。

心配になった僕は妹に連絡をしたが、「大丈夫!大丈夫!」と妹は明るく振る舞っていた。でも声は少し震えているような気がした。
旦那や姑に直接言った方が良いかと思ったが、それで妹の立場がますます悪くなってはいけないと結局僕は何もしなかった。もう2年も前の話だ。
それ以来妹とは連絡を取っていなかった。今回のことで久しぶりに妹に会えると期待したがそれもどうやら叶わないようで落胆して母親との電話を切った。


電車を降りて無人の改札を出ると相変わらず寂れた町並が目に映る。変わらない故郷の景観を眺めながら実家へ向かった。10分ほど歩くと昔見たあの桜並木が視界に入る。あの頃と同じように花吹雪が舞っていて、そこには先客が一人桜を見ていた。黒い礼服に身を包んだその女性は妹の路子だった。

「路子か!お前来れたのか」
「お兄ちゃん、久しぶりね」

僕の方に振り向いた妹は驚くほど老け込んでいた。まだ30半ばだと言うのにその姿は僕よりも年上のように見えた。

「家の方は大丈夫だったのか」
「…うん、まぁいい顔はされなかったけどね。でも重明おじさんにはお世話になったから」

妹の声が急に暗くなった。おそらく旦那と姑と上手くやれてないのだろう。今でも辛く当たられているのかもしれない。妹の姿や声色がそれを物語っていた。僕はそれ以上詮索するのをやめた。きっと僕には何も出来ないだろうから。僕と路子は桜が舞う道を並んで歩いて実家へと向かった。


重明おじさんの葬儀はほとんど親類だけでしめやかに執り行われた。葬儀が終わりひと段落しているところで妹から「一緒に桜を見に行こう」と声を掛けられた。
再び桜並木へ戻ると妹は重明おじさんの話を始めた。

「お兄ちゃん、憶えてる?叔父さんが言っていたこと」
「憶えてるよ。妹を守れってヤツだろ」
「なにそれ?違う、違う」

妹は僕の言う事を笑って否定をして話を続けた。

「ほら、亡くなった奥さんが言ってた言葉のこと。憶えてない?」

記憶の片隅に何となく叔父さんが言っていたような気がするがはっきりとは憶えていなかった。そんな僕の心情を察したのか妹は叔父さんの代わりに奥さんの言葉を話した。

「『死んだ女房がいつも言っていたんだ。人生と桜は似ている。綺麗に咲くこともあれば枯れることもある。だけど必ずまた花は咲く、辛いことがあってもきっとまた良い時が来るんだよって言ってたな』そんな風に叔父さんは私たちに話してくれたよ」

そう言い終えると妹は最後にポツリと漏らした。

「私もまた、咲けるのかな」

一瞬だけ妹の表情に暗く影が差した。しかし表情はすぐに元に戻り「じゃあ戻ろうか」と明るい声で妹は言った。実家の方へ歩き出した妹を僕は呼び止めた。

「人生と桜は似ているんだろ。だったらきっとお前もまた咲けるさ」

妹は振り返ると驚いた顔で僕を見つめた。僕は構わず続けた。

「この桜だって何年も咲いたり枯れたりを繰り返して、今でもこんなに綺麗な花を咲かせているんだ。だから路子だって大丈夫。お兄ちゃんを信じろ!」

「やだ何言ってるの」そう言いながら涙目で笑う妹の表情は再会してから1番明るかった。旦那と姑の家に戻ればまた辛い日々が始まるかもしれない。でも少しでも元気になった妹を見て僕は嬉しくなった。もしかすると重明おじさんがこのために僕と妹を引き合わせてくれたのかもしれない。そんなおめでたいことまで考えていた。


「ありがとね、おにいちゃん。またね!」

元気に手を振る妹と別れてから3日後のことだった。


妹が二人を刺したと連絡があったのは。


後編へつづく。

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