ーいいお湯は、いいものづくりから。ー 2泊3日 泉州タオル工場見聞録
それとなく買ったお饅頭の、あんこの粒感に感動した。新発売のアルバムの曲順に、好きなアーティストの作りたい世界を見た。たまたま買ったタオルが、使いたてからフワフワだった。
ものが与えてくれる小さな幸せが、今日を生きる理由になる。そんな瞬間、私にはよくあるんです。でも、もしかしたら。そこにあるのもの自体でなく、どうしてもこの形で商品を届けたいとこだわりを吹き込んだ人の息遣いを感じるからこそ、私たちは嬉しくなったり安らいだりするのかもしれません。
はじめまして!小杉湯でインターンとして働いています、りんです。現在は大学を休学して、小杉湯から徒歩数分のアパートに住みながら、小杉湯とその周りの日々について勉強させていただいたいます。
昨年末、大阪府南部 泉州地方で生産される「泉州タオル」の工場を小杉湯取材チームとして見学してきました。毎日欠かさず使うものだけど、特に品質を気にしたことはないかも。安く手軽に買うこともできる商品に、こだわりを持つってどういうこと…?お邪魔する前は正直ピンと来ていなかったのですが、3日間を通して、タオルづくりに真摯に向き合う皆様に出会いました。
大阪から高円寺まで、足を運んでくださったこと。
「泉州タオルは銭湯からはじまりました。本来の場で使っていただくことで、お客様に良さを知って頂きたいんです。」大阪タオル工業組合さんがわざわざ高円寺まで足を運んでくださったのは、もう8カ月前のことになります。挑戦の場として小杉湯を選んでくださったことが嬉しくてすぐにお返事をしたところ、「本当にやらせていただけるんですか!?」と驚いていらっしゃったと聞いています。さらにお話を伺う中で強い感銘を受け、小杉湯のレンタルフェイスタオルとしてイベント終了後も末永く使わせていただく運びとなりました。
日本二大タオルといえば?今治タオル、あと一つは... なかなか名前が出てこないのが日本のタオル発祥の地である、大阪府南部 泉州地方で生産される「泉州タオル」です。現在日本で使われるタオルは8割が外国製。残りの2割が今治や泉州で製造されているそうです。泉州タオルの特徴としてよく挙げられるのは、薄さ、軽さ、吸水性。
大阪・泉州地域は、もともと綿花栽培が盛んなことから、手ぬぐいが名産でした。タオルがまだ無い時代、湯屋や銭湯で体を洗い、拭うため手ぬぐいを使うことが日常。明治初期には日本にタオルが輸入され、それから数年の研究を経て1887年に初めてタオルの開発に成功しました。日本で初めてのタオル生産が泉州地域でスタートし、日常づかいのタオルとして定着したそうです。泉州地域は数百年にわたり、手ぬぐいからタオルへと形をかえながらも、「入浴時に布を使うという文化」を私たちに提供し続けているのだなと感じました。
桶屋さん、石鹸屋さん、牛乳屋さん、タオル屋さん。かつて銭湯が町のいたるところにあった時代、私たちはたくさんの産業に支えていただきながら、日々商いを続けていました。人々の生活様式が変わり、銭湯の数が減っていくと同時に、産業に関わる人口も減っていっています。
小杉湯の周りのものづくりについて、もっと知りたい。もっとじっくり考えたい。そんな思いを胸に、今度は小杉湯が大阪へと向かいました。
今度は小杉湯が、大阪へ。
駅まで迎えに来てくださった「温泉州タオルプロジェクト」の袋谷謙治さんは、私が思い描いていた大阪のおっちゃんとはすこし違った、はにかみ顔が優しい方でした。袋谷さんが運転する車に乗って、4つのタオル工場、サイジング工場、あとざらし工場にお邪魔します。
行く先々で感じられたのは、皆様がタオルに辿りつくまでの奮闘と葛藤、こだわり抜くという意思です。
神藤タオルの代表取締役 神藤貴志さんは、関東生まれ、関東育ち。お父さんが家業を継いでいなかったため、お祖父さんがタオル屋を営んでいることをうっすら聞いていた程度だったといいます。大学3年生になってすぐ、タオル組合の会長でもあったお祖父さんがが東京にやってきて「継がないんだったらタオル屋を畳む準備をする」と口を開き、その場で承諾したそう。「就活せんですむしな~って。ちゃらんぽらんな人間なんでね。たぶん、僕で6か7代目です」と笑う新藤さんですが、知る人もいない街で工場を継ぐなんて、私には想像も出来ません。
「もちろん長く続いていることは誇りのひとつ。でも、『泉州タオル』の看板に頼るだけでなく、それぞれの会社が自社のブランドを積極的に売り込んだりすることによって、若い世代を含めた皆が『泉州の看板を掲げていること』に対しもっと自信を持てるようにしたい」
デザイナーさんと相談を重ねた自社のブランディング、新商品開発、そして海外展開なども進めて、新しいタオルを生み出す挑戦を続けていらっしゃいました。
後ざらしって、なんやねん。
泉州タオルいちばんの特徴は「後ざらし」にあります……って、なんやねんそれ。でも、分かりづらいこだわりほど、違いを生み出すんです。
タオルを織りあげる際、繊維が切れないよう糸に糊付けが行われます。糊を洗い落とさずにそのまま出荷すると、タオルは少しパリパリしてまうんです。
一方泉州タオルでは、タオルが出来上がったあと、糊や油分、不純物を徹底的に洗い流す「後ざらし」というタオル製造には最適な製法をとっています。しかも使われる水は、和泉山脈から流れ出る地下水。自然の恵みと職人のこだわりにより、使い始めからふわふわ清潔、薄くても吸収性に優れたタオルになるんですね。
こちらの大きな水槽に入った水は、タオルを漂白、染色、洗浄に使用したもの。これらを川に流せるレベルまで綺麗にすることで、環境に負担をかけないものづくりを行っています。この下には茶色の泡がぶくぶく浮かぶタンクも。泡は「活性汚泥」と呼ばれており、微生物が水の汚濁物質を分解してくれてくれるのです。
水を守り、水をつくる。小杉湯のお風呂が地下水のおかげで気持ちがいいのと同様、豊かな自然に生かされたタオルづくりです。
泉州タオルの特徴は、環境や使い始めの心地よさに配慮した後ざらしをはじめ、薄さ、軽さなど、町の皆さんの雰囲気を反映するかのように謙虚で繊細なものが多いです。だからこそ、海外で展開する際、その良さを伝えるのに難しさを感じることもあるそう。「海外では厚ければ厚いほどいいタオルだと思われるから、こんなに薄くて柔らかいのじゃ拭けへんって言われるんです。最近は国内でも、ふかふかのタオルが流行っていますよね」それでも伝え方に工夫を重ね、まずは「薄いタオルで身体を拭く」ことを古くからの日本文化として伝えていくことで、香港やオーストラリアなどで徐々に人気を集めるようになったそうです。
みんなで作ってるから、潰されへん。
大企業がすべての工程を担う産業が多くなってきた中、泉州地域では町ぐるみでの分業が行われ、今なお「産地」が維持されていました。
紡績工場、糸の本数の調整工場、タオル工場、後ざらし工場、染色工場、問屋さん。すべて泉州の町にあって、「もうかってまっか?」なんて言い合いながら、一緒に仕事をしているそうです。
一番多い時で、町の人口の7割程が何かしらの形でタオル産業に従事。タオルを積むタオルタクシーが町中を走ったり、家のガレージで内職をするおばあちゃんのためにタオルを運んだりする風景が最近まであったといいます。最盛期では700あったタオル工場も今は70程度に減り、いかにして今の関係人口を保っていくかが重要だと伺いました。
いいタオルがなくても、いいお湯がなくても、世界は何事もなかったのように続いていくでしょう。それでも、いいタオルに、いいお湯に触れたお客様が本当に幸せそうな顔をするってことは、作り手が一番知っています。だから。わがままかもしれないけれど、「いいタオル、いいお湯、こだわりのあるいいものづくりは続いていくべきだ」って、胸を張って言いたい。小杉湯はずっと、そう考えてきたような気がします。
それに加えて、今回の泉州の旅で、もうひとつ大切なことを学んだ気がしました。
「みんなで作ってるから、潰されへん。」
サイジング工場の社長さんが街の分業についてにこやかにお話されていたとき、私はその言葉を小杉湯にもに重ねてしまいました。桶屋さん、壁画のペンキ絵師さん、シャンプー屋さん、牛乳屋さん、タオル屋さん、大工さん。たくさんの人と一緒に作っているからこそ、お風呂はひとりで沸かせるわけじゃないからこそ、続けていきたいのかもしれません。今回の旅を通して、泉州タオルの皆さまと、互いに刺激を受けながらお風呂を沸かし続ける将来が見えたような気がしました。
3日にわたり泉州エリアを案内してくださった皆様、本当にありがとうございました!お寿司をご馳走してくださったこと。社員の皆さまが大きな声で挨拶をしてくださったこと。寒い中工場を案内してくださったこと。大切に、繋がせていただきます。皆様がお風呂に入ってくださる日を、楽しみに。
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