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千日回峰行0067

ふと思うと“生きたい”と思う事は特になかった
なんでなのかなと考えたらもう既に“生きている”からだ“死にたくない”はあっても“生きたい”とはならなかった数多にある成功事例を見ると共通点がある“生きたい”と“生きる”に執着が凄い
自分には特段執着がないようで譲ってしまうことが多い、そんなに生きたいならばどうぞと。
そうなってくると“死にたい”がやってくる
ただたんに“死にたい”わけではない
苦しまずに死にたいのだ死ぬことがあたかも不幸のように語られるそれは何故なのか“みな生きたい”と思っているからだ、正直な話死にたいと思っても死ねない現状が一番辛いのではないだろうか。死ねる元気があるうちに死ぬのが生きるってことなんじゃないかなと思うんだよなぁ。
目の前に死にたいって人がいたら不愉快だからそら生きたいって人に変えたくなるけどそれはそれでエゴがひどすぎる気がする、死にたい人もいていい世界を願う。


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