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「過剰な意味の集積 ――理解されたい芸術家たち――」

来場者30万人超え

 2015年10月31日(土)~3月6日(日)にかけて森美術館で開催されている「村上隆の五百羅漢図展」。仕事でお世話になっている方より、会期開始前から既に招待券をいただいていたのだが、結局は終了3日前になって慌てて駆け込んだ。終了直前だったとはいえ、平日(金曜日)にもかかわらず当日券購入の人々は長蛇の列。すべて観終わり、帰る頃(16:30)には「入場待ち50分」の掲示がなされていた。

 2時間ほどかけて鑑賞し終えた頃には身体全体がぐったりと疲れきっていたが、それは展覧会全体を埋め尽くすような過剰すぎる情報量によるものだろう。

▶どこまでも過剰な意味の集積

 積み重ねられる意味は作品内部だけではなく、制作過程や代表取締役の出自などの作品外部まで至る(とりわけ、展覧会のラストに位置している、あまりにも情報量の多い「年表」は、ここまでやるかと思わざるを得なかった)。もちろん、意味など理解しようとせずとも展覧会をめぐれば圧倒されるように構成されているのだけれども、その要因がどこにあるのかを考えると、やはり「意味の過剰さ」に辿り着いてしまう。

 文化産業をルサンチマン的に捉えず、西洋美術史と西洋美術業界のコンテクストにこだわり続ける村上隆氏。フラッシュさえ焚かなければ会場内の撮影が自由な上に、SNSへの投稿を推奨することで、意味の過剰さと産業化に更に拍車がかかっていく。ただ、意に沿わぬ解釈にはあからさまに不機嫌になるなど、過剰な意味を提供するが決して自由な解釈に寛容なわけではない

 加えて、自らのビジョンを実現するために注ぎ込めるリソースは何でも用いる…という意味でなんでもありなスタンス――それは美術史家の辻惟雄氏との「熱闘」で特に顕著――により、お行儀の良いアーティストではなく、独裁的な芸術家としてのイメージ(村上氏ご本人もシェアしていた「罵倒メモ」等、制作過程の資料公開からそうした印象を受ける人は少なくないだろう)を果敢に引き受ける稀有な存在であることは間違いない。改めてそう思わされたことだけをとっても、この「村上隆の五百羅漢図展」を観に行った価値は大いにあった。

▶理解されたい芸術家たち

 五百羅漢図には、制作過程の資料だけでなく解説のスペースが設けられるなど、今回のメインディッシュなだけあり、断定はしないまでも自らの意図が“正しく”理解されるように様々な情報が提供されていた。

 そこから即座に連想したのは、宮﨑駿監督《崖の上のポニョ》のWEBサイトで、映画を読み解く「キーワード」を説明していたことだ。こちらも村上氏同様、断定はしないまでも理解するためのヒントを提供しているのだが、それは、やはり現代において適切なヒント――あくまでも「製作者にとっての適切」でしかないのだが――を提供できる批評家が少ないことが理由なのだろうか。

 村上隆氏も宮﨑駿氏も、プロダクション制(会社)でもって作品制作をしており、彼らが意図する作品を制作するためには――両者で程度の差こそあれ――少なくない額の資金が必要となる。大きな金額が動く作品でなければ、思うような作品制作を続けることが出来なくなってしまうからだ。

 「お金をケチることなく自由に制作するために、大きなお金が動くような作品を制作する」――アドルノが指摘したような文化産業というものは、こうしたアンビバレントを内包している(これまで幾度となくなされてきたアドルノの文化産業論に対する批判は、本題から逸れてしまうのでさておき)。産業と芸術性の両立という、この問題に真正面から向き合うとき、作者の意図(作者にとっての“正しい”理解)を理解してもらおうということは二の次となりがちだ。“正解”たる作者の意図が前面にでてしまうと、作品鑑賞のうえで敷居を高くしてしまうことになりかねないからだ(※その理由がピンとこない方は、こちらの投稿を参照あれ)。

 映画評論家の町山智浩氏が指摘しているように、インタビューなどでは自分の意図を結構ベラベラと話しているにもかかわらず、その意図通りに理解されているとは言い難い宮﨑氏。

 作品に付けられたキャプションの外国語訳に非常にこだわるなど、「自分の意図を伝えること」を重要視しているが、先にも挙げたように意に沿わぬ解釈に対して機嫌を損ねる村上氏。

 「文化産業」に身をおく、理解されたい芸術家たち――

 村上氏が今後この問題に、どのように向き合っていくのか。あるいは向かい合わないのか?――展覧会のなかでもスペースが割かれていた「絵難房」たる美術史家 辻惟雄氏との「熱闘」をみる限り、彼はきっと自らの意図を伝えるために情報発信を続け、対話をし続けるのではないだろうか。「熱闘」が辻氏との対話であっただけでなく日本美術史との対話でもあり、それが五百羅漢図へと“Reborn”したように。


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