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【速報レビュー】こんな楽しい現代音楽のコンサートを聴き逃しちゃもったいない!

(※速報性を重視するため、読者へのフォローは“ほどほど”になっていますことを、予めご了承ください。)

 本日3月15日のお昼から、ミューザ川崎にて年間シリーズで開催されているMUZAランチタイムコンサート「無限に拡がるサクソフォン」を聴いた。大石将紀〔サクソフォンなど〕、有馬純寿〔音響〕の2名による、40分ほどのコンサート。演奏された曲目は次の通りである。

 
J.S.バッハ(1685-1750):
・「無伴奏チェロ組曲第1番」よりプレリュード
・「フーガの技法」より第1番

ヤコブTV (1951- ):
・ガーデン・オブ・ラブ*

アレクサンドロス・マルケアス(1965- ):
・5つのドジなプレリュード*

*映像つき

 ご覧のとおり、バッハ以外の2名は存命中の作曲家による作品。一般論でいえば、ランチタイムコンサートに来る客層(シニア層か専業主婦が中心)というのは、小難しい音楽を好まないにも関わらず、固定客がいるためか、プログラムによって集客が著しく落ち込むということはないようだ。今回の客層はシニア層が中心で、1階席はほぼ空席なく、2階もセンターあたりまでは埋まっていた。

 開演時間を少し過ぎてから、大石がバリトンサクソフォン(※以下は、サックスに表記を統一)を持って入場。会場には前もって、譜面台や楽器などの他にも、スピーカー群(ステージ上、LとRの二箇所)が設置されている。

 1曲目「無伴奏チェロ組曲第1番」よりプレリュード2曲目「フーガの技法」より第1番は、ともにJ.S.バッハ作曲の作品だ。後に曲間のトークで解説されたが、ご存知のようにサックスという楽器は、クラシック音楽に用いられる楽器のなかでは後発組。19世紀半ばになって、やっと開発された楽器のため、バッハの時代にサックスは存在しない。しかし、バッハの音楽のなかには楽器を指定していない作品――2曲目の「フーガの技法」もそうしたもののひとつ――があったり、バッハ自身がヴァイオリンのために作曲した音楽を他の編成に編曲していたりと、バッハの作品がそもそも特定の楽器の個性に縛られない傾向がある(シンセサイザーによる演奏が一世を風靡したことも!)ため、他の楽器による演奏もさかんに行われている。サックス業界においては、バリトンサックスの音域に近く、重音(複数の音を同時に弾くこと)も少ない、「無伴奏チェロ組曲」が既にレパートリーとして定着しているといっていいだろう。

 1曲目に大石は、この組曲のなかで日本で一番有名な「第1番のプレリュード」を、電子音響を用いず、完全にサックス1本だけのソロで、大変抑揚豊かに聴かせた。こうした演奏に大ホールはうってつけ。豊かな残響のあってこその独奏だったように思う。

 2曲目は、バッハ自身が何の楽器で演奏するかを指定していない作品「フーガの技法」から第1番。今度はアルトサックスに持ち替え、耳に通称「イヤモニ(イヤーモニターの略)」を付けた。それもそのはず、この曲は本来4つのメロディーラインによって作られた作品であり、鍵盤楽器ならともかく、基本的には同時にひとつしか音の出せないサックスが一人で演奏できないからだ。今回は、事前に大石自身の演奏で収録された残り3声部を、同期させながら演奏された。

 1番目の声部は大石自身がステージ前方中央でリアルタイムで演奏、2番目の声部は客席から見て左寄りから、3番目は中央後方から、4番目は右寄りあたりから聴こえるようになっていた。LRの2チャンネルからしか音がでていないとは思えないほど、立体的で奥行きがあり、逆に生演奏ではこれだけの音響バランスは難しいだろう。音自体は目に見えないにも関わらず、聴こえる位置がはっきりするによって「視覚化」されていたのだ。その上、生演奏が埋もれることも浮くこともない、見事に調和したバランスは、単なるPAではないエレクトロニクスの名手 有馬の面目躍如だ(いや、彼からすれば、こんなこと当たり前だし、キホンのキなのでしょうが)。録音の再生との共演を通し、バッハの音楽が「再生(リボーン reborn)」されていく様から、サックスや音響を用いてバッハを取り上げる意義が十分すぎるほど伝わってきた。

 曲間に大石によるトークを挟んで、3曲目はオランダの作曲家ヤコブTVが作曲した「ガーデン・オブ・ラブ」。この作品については、つべこべ説明するよりも、下記リンクより実際の動画を見ていただく方が早いだろう。

https://vimeo.com/33175895

18~19世紀に活躍した英国の詩人ウィリアム・ブレイクの詩「ガーデン・オブ・ラブ(愛の園)」を元に、事前に収録され編集された録音――鳥の鳴き声やサックス、チェンバロなどの楽器(先ほどのケースと異なり、この録音は作曲者側で事前に用意され、売られている)――に合わせて演奏するように作られている作品だ。今回は、この動画についているものと同じ映像に合わせて演奏されるという形態で演奏された(パイプオルガンあたりにかけられた巨大スクリーンに映しだされた)。

 ヤコブTVについて説明しだすと、それだけで長くなってしまうため、簡潔に彼のことを説明するならば、ジョン・アダムズとともにライヒの次の世代を担う「ポストミニマル」の作曲家ということになる。アダムズがライヒよりも保守的でクラシカルな方向を志向しているとすれば、ヤコブTVはライヒの中にある新しい技術の活用や生活文化への接合という部分を中心に独自発展させているといえるだろう。

 今回演奏された「ガーデン・オブ・ラブ」を聴いて、「面白いけど、なんだかよく分からなかった」とすれば、それは既存のクラシック音楽などと同じように聴いてしまうからだろう。「ガーデン・オブ・ラブ」は、いわばウィリアム・ブレイクの詩に対する、ヤコブTVなりの注釈であり解釈なのだ。今回演奏前に動画で、詩の朗読とその対訳が流れたことでその印象を一層強くした。まさにこれも、18世紀に書かれたウィリアム・ブレイクの詩を新しく「再生 Reborn」する試みだといえるだろう。また映像自体も、音楽の中にあるリズムに完全に合わせられており、はっきりと誰にでも分かる形で「音楽の視覚化」を行っていた。

 さて、最後の曲目はアレクサンドロス・マルケアスによる「5つのドジなプレリュード」。マルケアスは、大石がパリ留学時代に師事した即興演奏の師匠だとのこと。大石自身の委嘱により、文字通り「大石のためだけに」作曲された作品だ。どういうことかといえば、先ほどのヤコブTVと異なり、こちらは映像の使用が必須の作品となっており、その映像素材は、8年前の大石自身だからだ。

 詳細は省くが、映像内に映る、まだあどけなさ残る青年大石と、現前でリアルタイムに演奏している映像から8年後の大石を同時に観れば、否が応でも古いものと新しいものの関係性について考えを巡らせざるを得ない。ここまで来たとき、この短い40分のプログラムがいかによく練られたものであるかを痛感し、膝打ちまくり、唸らされたのは言うまでもない。大石自身もプログラムノートのなかで述べていたように、この作品自体が今後20年、30年と演奏されるごとに新しく「再生 Reborn」される作品なのだ。

 作品は映像と実演の大石がそれぞれ、客席から見て、左から右にサックスの方向を変えながら、音を吹くところから始まる。いや、これがこの楽曲のすべてなのだ。この左右の動きが、音を視覚化すると共に、それを5つのプレリュードにわたって変奏されてゆく。左から右という移動は、時間の流れを図で表すときの過去から未来への軌跡でもある。もちろん楽譜も左から右へと読まれていく。最後には、スライドホイッスルに持ち替え、テーマとなっている左右の移動が、演奏する上下の移動に置き換えられるのだ。

 まとめれば、「様々な手法による音の可視化」と、「過去を未来へと再生 Reborn」という2つのテーマに貫かれた、40分のランチタイムコンサートとは思えぬ、大変内容の濃い、充実の演奏会だった。

公演詳細:
http://www.kawasaki-sym-hall.jp/calendar/detail.php?id=1540


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