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《ブルックリン・バビロン》解説 執筆後記 ~「固有名詞で語ること」への問題意識~

柳樂光隆さん(音楽評論家/Jazz The New Chapter監修者)からお話をいただき、2017年3月8日(水)に「Jazz The New Chapterレーベル」から国内盤が発売されたダーシー・ジェームス・アーギュー《ブルックリン・バビロン》の日本語解説を担当させていただいた。

執筆にあたりダーシー・ジェームス・アーギュー(以下、アーギュー)が発表している3つのアルバム全ての音源をご提供いただいたが、実際に柳樂さんから提示された条件は「文字数」「〆切」「ギャラ」の3点だけ。あとで他のアルバムの解説は、ジャズ作曲家の挾間美帆さんと、「インディー・クラシック」という新しい分野の日本におけるスペシャリスト八木皓平さんが担当されるということをうかがった。

さて、この状況下で、私はどのような方向性で解説を書くべきか? その戦略を考えるところから、今回の作業を始めることにした。

――第1ステップ:考えるための材料を集める

まずは、特段何も考えず、自分が担当するアルバムを中心に、3つのアルバムを傾聴することにした。

その上で、WEB上の情報を中心に、アーギュー自身がどのような情報を発信してるのか? そして現在、アーギューについて(特に日本語圏において)どのようなことが語られているのか?……を調べはじめた。

その結果、執筆にあたって実際に大きな影響を及ぼすことになった2つの事柄に突き当たった。

①➡アーギュー自身が、WEB上にスコア(総譜)を無料で公開していること(※ただし、3rd アルバムの《リアル・エネミーズ》を除く)。
②➡アーギューの「バイオグラフィー」や「影響関係」などの日本語でも読める情報が、既にある程度以上あること。

まずは①についてだが、実際にスコアを見ながら2つのアルバムを聴き直してみると、スコア無しでは分かりづらかったり、分かりようがなかった情報が沢山読み取れることに気付かされた。言い換えれば、スコアを読める人とそうでない人が本作を聴くのでは、必然的に聴き取れる情報量に差がついてしまうということになる。だから、解説のなかで、その差を埋めるような文章を書くことには意義があると考えられた。

続いて②についてだが、リンクにも貼ったようにアーギューについて日本語で検索すると、誰にでも見つけられるような状態で詳しくバイオグラフィーを解説しているサイトがすぐに見つかった(※出典も明らかにしているように、内容もいい加減なものではない)。アーギューが1st アルバム《インファーナル・マシーンズ》を発表したのは2009年のこと。それから既に8年も経っているのだから、日本語圏でもある程度の情報が読めることはもともと想定の範疇ではあったのだが、もしライナーノーツに記すのであればそれ以上の情報を載せなければ販売する意義が問われてしまうだろう。

以上2つの論点について考えつつ、最終的な方針決定に際しては筆者個人が「ジャズを語る」ことに対して日頃抱いている問題意識を摺り合わせることにした。

――第2ステップ:筆者個人の問題意識との摺り合わせ

遅くなってしまったが、ここで筆者をご存知のない方に私、小室敬幸(こむろたかゆき)がどのような人物であるか簡単に自己紹介させていただこう。普段は、クラシック音楽を中心にした音楽ライター/インターネットラジオのパーソナリティー/音楽大学の助手などを仕事にしており、大学時代はクラシック音楽&現代音楽の作曲を学んだ。

ジャズとの本格的な関わりは大学院(修士)でのこと。音楽学を専攻し、マイルス・デイヴィスの《アガルタ》を採譜して分析するという論文を書いたのだ。この修士論文を書き進めるなかで、これまでの「ジャズを語る言説」、特にそれまでになかったような新しい試みがなされている音楽に対して、「固有名詞(と作品名)を挙げて、影響関係で語ろう」としてきたかという問題にぶちあたった。

筆者の修士論文では、そうした影響関係だけに留めず、マイルス・デイヴィスがどのように形式を変容させてきたのかという観点で《アガルタ》を語ることによって、1959年の《カインド・オブ・ブルー》から1975年の《アガルタ》までを連続的な変化として捉えようと試みた(※時間が足らずに、1974年あたりの記述が薄くなってしまったのが欠点ではあるが、それ以外では連続的な変化として説明することが出来たと自負している)。

ここで、今回のアーギューの作品の話に戻そう。アーギューの作品を影響関係やラージアンサンブルの変遷による系譜で語ろうとすると結局は、まずボブ・ブルックマイヤー、マリア・シュナイダー、ジョン・ホーレンベック……といったあたり名前が並ぶことになるのだろうが、前述した通り、WEBで検索すればそうした情報にはすぐに到達できるのだ。

ならば、字数の制限もあるのだから、敢えて意識的に固有名詞をなるべく排して語るという、自分の問題意識を反省させた試みをおこなおうという判断を下した。となればとり得る戦略は、前述した「スコアを読める人」と「そうでない人」が本作を聴く際に発生してしまう情報量の差を埋めるような内容……ということになる。

そしてこの差を埋めるためには、何が書かれているかと同じぐらい、何が書かれていないかという情報をおさえておくことも大事になる。つまり「アーギューが具体的な音符として書いているのは、どこまでか」という問題だ。そうすれば、実際の楽譜を読まずとも、ある程度までアーギューの音楽を読み解く際のヒントになるだろう。

とりわけ本作において、その問題が露骨にあらわれるのはインタリュード(間奏曲)と名付けられた部分だ。インタリュード以外については、全てスコアのかたちで、何の楽器が演奏すべきか(アドリブはどの楽器が演奏するのか)が記譜されている。ところがインタリュードについては簡略譜とでも呼ぶべき状態になっており、何の楽器で演奏すべきかについても指示がなされていない部分がほとんどだ。こうしたアーギューの作曲上のコンセプトは、音源からだけでは分かりようがなく、楽譜を見てはじめて分かることなのだ。

――第3ステップ:実際の執筆

これで、解説を執筆する方針が決まった。あとは実際に分析を行い、字数のゆるす範囲で音源からだけでは聴き逃してしまうような情報を解説していけばいい。

加えて、1st アルバム《インファーナル・マシーンズ》(作曲2003-08年)の分析もおこなうなかで、各曲に作曲年代の隔たりがあるゆえに、ひとつのアルバムのなかだけで変化が読み取れた。その変化の流れが、本作《ブルックリン・バビロン》に連なるものであったため、そのことにも触れることにした。


なお、結果的に仕上がった解説については、国内盤のCDをご購入いただいて読んで頂くほかないのだが、最終的に文章のなかに用いた固有名詞は、登場順に下記の5名となった。

・ダーシー・ジェームス・アーギュー
・Danijel Zezelj(ダニエル・シシリ? ※読み方については諸説あり)
・スティーヴ・ライヒ
・ドン・エリス
・エリオット・カーター

このうち、アーギューは作曲者本人であるのだから挙げざるを得ないし、Danijel Zezeljについては、本作が彼とのコラボレーションのなかで生まれた作品であるのだから(今回の解説ではその点について踏み込まないという断りをいれる上でも)触れないわけにはいかない。ドン・エリスについては、CDのトラック名にこそ記載されていないが、楽譜にはアーギュー自身がその名を書き込んでいることを説明するためにその名を挙げた。

ここまでは、半ば不可抗力的に削れなかった固有名詞だ。残り2名についても影響関係というより、使われている作曲手法への理解の助けとなるよう名前を挙げた。

具体的には、ライヒの名前を用いて2つの音型(ピアノの同音連打/2本のクラリネットが絡み合う音型)を説明しているのだが、前者はライヒとは反復させる手法が全く異なっており(名前こそ挙げなかったが、ポスト・ライヒ世代であるBang on a Canの共同設立者マイケル・ゴードンなどに近い反復手法といえるだろう)、後者はライヒと同じカノン的な手法による反復である。つまり、聴覚上だけでは分かりづらい違いを説明するためにライヒの名前を用いたのであり、影響を語ることが目的ではなかったため固有名詞を削らず用いることにした。

エリオット・カーターについても同様だ。リズミック・モジュレーションという用語は、やや異なる意味で用いられることもあるのだが、アーギューが行っているのがあくまで「エリオット・カーター的なリズミック・モジュレーション」であることを強調するためにも固有名詞を挙げた。しかし、勘違いしてほしくないのはアーギューが実際にカーターを意識したかどうかは分からない……というか、むしろ今回の解説ではそのことを重要視しない。せいぜい現代音楽で用いられるような、楽譜でみないと何をしているか分からないようなことをしていると指摘することが目的なのである。

――第4ステップ:推敲

ここまで書いてきたなかで、今回の解説の中心コンセプトが「楽譜」にあることは一目瞭然であろう。もっといえば、ジャズの世界(※主に「聴取」や「評論」の段階)において、軽視されがちな「楽譜」というものを、ラージアンサンブルや、ジャズ作曲家(ジャズ・コンポーザー)を通して、再評価する必要があることが自然と浮かび上がってきたのだ。

それをはっきりさせるために、一番最初の書き出しを大きく書き直すことにした。「楽譜を軽視しないこと」と「近年のラージアンサンブル分野の盛り上がり」と「ジャズ・コンポーザーと積極的に名乗る意味」が、どのように絡み合っているのかをまとめる文章をしたためた。これにより、なるべく固有名詞を排しようとしたことによる副作用として、見えづらくなっていた歴史的文脈を補うことが出来たのではないか。もし、そうなっていれば幸いである。

――

以上をもって、執筆後記を締めくくりたい。

実際のディスクと解説をご購入いただければ解説者のひとりとして大変嬉しいが、まずは視聴でも構わないので、ダーシー・ジェームス・アーギューの音楽に触れていただければ幸いである。

購入http://diskunion.net/jazz/ct/news/article/1/64210
視聴https://t.co/8H6CdfQ77g


――追伸

もちろん、1st アルバム《インファーナル・マシーンズ》(解説:挾間美帆さん)と、3rd アルバム《リアル・エネミーズ》(解説:八木皓平さん)も是非お聴きいただきたいです!

更には同じ日に発売されたJazz The New Chapter 4もあわせてチェックしていただけば「ジャズがいま面白い」と語られている理由が、よく分かるはず!

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