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~クラシック音楽のリスナー以外へ贈る~ 様々なポピュラー音楽をより深く理解するための基礎教養として「クラシック音楽の正体」を教えます。

世界中に数多あるありとあらゆる音楽のなかで「Classic 古典」という名をある意味で独占しているクラシック音楽。かつての地位を失いつつある昨今ではあるが、それでもアカデミックな場における中心地位は保ったままだ。クラシック音楽が地球上に存在する全ての音楽のなかでも、ある種の特権的地位を占めているのは何故なのか? クラシック音楽に対して愛着のない皆様のために、その謎に答えていこう。

――「クラシックな音楽」と呼ばれ始めたのは何故なのか?

そもそもクラシック音楽(Classical Music)という名は俗称に過ぎず、この音楽は学術的な場では西洋芸術音楽(Western Art Music)等と呼ばれている。Classical Musicという呼称がどのような文脈で登場したのかについては、国立音楽大学教授の吉成順さんの著書『〈クラシック〉と〈ポピュラー〉―― 公開演奏会と近代音楽文化の成立 ――』(アルテスパブリッシング,2014年)を参照させていただこう。

一般の愛好家にとってはややとっつきにくそうでも、識者の評価が高く、愛好家が「自分たちももっとそれに触れてみたい」と思うような音楽が、“classical”なのである。

(吉成順 著『〈クラシック〉と〈ポピュラー〉―― 公開演奏会と近代音楽文化の成立 ――』,pp.260-261)

吉成さんによれば、musicにclassicalという形容詞をつけて呼称するようになった当初は、現在「クラシック音楽」という名称で括られている範囲すべてをカバーするものではなく、クラシック音楽のなかでも理解に少し労を要すものを“classical”という形容詞をつけて呼称し始めたのだという。つまり「クラシック音楽」という呼び名は背伸びしないと理解しづらい音楽というニュアンスが元来から含まれていたわけなのだ。

では「背伸び」するためには、具体的にどのような労力が必要とされるのか? ここでは、精神性などといったような曖昧模糊としたものは全て除外し、具体的に視覚によって見ることができ、語ることができるものに限定して話をしたいと思う。鍵となるのは「楽譜というメディア」である。

――録音技術登場以前は最強の媒体だった、楽譜というメディア

1900年前後に録音(&再生)技術が実用化されることにより(クオリティの向上には時間がかかったにせよ)、どんな音楽であろうと基本的には同じような方法で「記録」することが可能になった。逆にいえば録音技術の確立までは、「楽譜として記録する手法(記譜法)」と共に発展することで親和性の高い記録方法を確立していたクラシック音楽だけが、口伝ではなく、楽譜というメディアを活用して広範囲で演奏ならびに鑑賞をすることが出来たのだ。

ここまでは、よく聞く話でもあるので、ここからは、もう一歩踏み込んでみたい。「楽譜」を五線紙という形態に絞らず、タブ譜(タブラチュア譜の略称、奏法を記した楽譜のこと)や、音をなんらかの記号に置き換えて紙の上に記録するものと捉えたとき、楽譜に類するものはかなり広範囲の音楽にわたって存在している。ただし「クラシック音楽」と「それ以外の音楽」では、楽譜と音楽の関係性が違うことに注意を向ける必要がある。

「それ以外の音楽」で楽譜を書く場合、歌ったり演奏しながら楽譜に書くべき音を決めてから記譜する(録音したものを楽譜に書き取るのも同じこと)のだが、「クラシック音楽」の場合は、楽譜上で書くべき音を検討してゆくのだ。この少しの違いによって、評価基準となる内在する価値観に大きな差が開くことになるのだが、先に結論を予告しておけば次の通りとなる。

★クラシック音楽とは、視覚情報によって聴覚を補うことで、聴覚ならびに音楽の可能性を拡大してきた音楽である。

そしてこの視覚情報による補いこそが「背伸び」に必要なものであるのだ。これがどういう意味や意義をもつのかについては、クラシック音楽の歴史のを"超"駆け足で辿ることで説明してゆこう。(※次からは楽譜を読めるに越したことはないが、読めなくとも充分理解可能な内容なので安心してほしい。)

――クラシック音楽の種としてのグレゴリオ聖歌

まずは、次の動画をお聴きいただこう(全てではなく、冒頭の10秒ほどで構わない)。

♪グレゴリオ聖歌《Viderunt omnes》

動画内の譜面(ネウマ譜)では読める方が更に限られてしまうため、通常の五線譜に直したのが下の譜例となる(※リズムは便宜上のもの)。

わざとかなり大雑把にいえば、今から1000年ぐらい前のキリスト教の教会では、(聖書の一節を根拠にして)女性が歌うことが許されておらず、更には楽器の演奏も推奨されていなかったため、男声だけで聖なる言葉を斉唱していた。これが「グレゴリオ聖歌」である。そして前述した《Viderunt omnes》という曲は、そのうちのひとつ。

このようなグレゴリオ聖歌は、今ほど発達してはいなかった記譜法によって記録され、キリスト教のオフィシャルな音楽として、各地の教会で歌われるようになった。ここまでは、それほど特筆すべきこともない。本題となるのは、グレゴリオ聖歌以後の発展だ。

――耳で聴き取れないけれども、目で確認できる音楽

当然、人間いつまでも単旋律を歌ってはいられない。そのうちに、複数のパートがある歌を作曲し始めるのだが、その際重要なのは、複数のパートを新しく作曲するのではなく、既にある旋律(多くの場合、グレゴリオ聖歌!)に1声部ずつ付け足していくことで新しい音楽を作ろうとしたのだ。前述した《Viderunt omnes》をもとにして作られた実例をお聴きいただこう。

♪ペロタン作曲《Viderunt omnes》(1200年頃)

さて、どこに元となったグレゴリオ聖歌があるかお分かりになるだろうか? 実は、4段ある五線のうち、一番下の白玉で長く伸ばされている声部。これが先ほどの《Viderunt omnes》を引き伸ばしたものなのだ。(※自分の目で確認したい方は、こちらのPDFをご覧あれ。)

つまりは今から800年前の時点で、後にクラシック音楽と呼ばれることになる音楽の祖先は「耳で聴いて認識できなくても、楽譜を目で見て認識できれば同じものとみなす」という価値判断がなされていたということだ。そして重要なのは、この価値観が20世紀後半のブーレーズらによる総音列主義まで途切れることなく続いていくことだ。そのくらい、クラシック音楽の歴史を長きにわたって貫く価値観なのである。

更に「耳で聴いて認識できなくても、楽譜を目で見て認識できれば同じものとみなす」を要約した言い方にするならば、「音楽を図形として捉えている」ということになる。これも具体例を聴いてみよう。

【おまけ:余談だが、ここで取り上げたようなペロタンの音楽を参照して20世紀に新しく作曲されたのが、ミニマルミュージックの巨匠スティーヴ・ライヒの《プロヴァーブ》である。】

――音楽を図形として捉える:基本形

♪ジョスカン・デ・プレ作曲《アヴェ・マリア》(1485年頃)
(※音が出るのは0:12から。)

先ほどのペロタンから300年近く後の作曲家ジョスカン・デ・プレ。彼の代表作である《アヴェマリア》を、ネウマ譜や五線譜ではない方法で、音の高低や長さをヴィジュアル化(=図形化)したものだ。

この動画を見ると、色の違いによって表されている各パートが、図形として捉えられ、それをずらすことによって音楽が組み立てられていることが理解できるだろう(こうした手法は、現在カノンやフーガと呼ばれる手法へと発展してゆく)。

――音楽を図形として捉える:発展形

こうした音楽を図形として組み立てていくような手法を、歴史上で最も巧みに使いこなしたのが、J.S.バッハだ。彼は実際のところ「音楽の父」というよりも、それ以前の音楽をすべて統合してしまったような存在だったのだが、とりわけ複数のパートを緻密に組み上げる対位法(counterpoint)の技術は脅威としか言いようがないレベルに達していた。実例を聴いていただこう。

バッハが晩年に作曲したとされる《14のカノン》は、シンプルなモチーフを少しずつ発展させることで次第に複雑な技法を披露していくという作品。実はパズル問題のようになっており、バッハ自身は問題だけを提示し、正解は残していないのだ。研究者の努力によって、導かれた回答はバッハの驚くべき高度な作曲技術を明らかにした。ここでは、最後の第14番を聴いていただこう(※動画の途中から再生する必要があるため、下記リンクをクリックしてください)。

♪ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲《14のカノン》(1745年頃)
【第14番の頭から再生する】

いかがだろうか。このようにヴィジュアルで示されれば、バッハが音楽を図形のように取り扱いながら、高度な技術を駆使して作曲していることは一目瞭然であるが、当然これは全く楽譜を見たことがない状態で耳で聴いただけでは複雑な構造を想像することもできないであろう。

ここまで見てくると、先に述べた結論「★クラシック音楽とは、視覚情報によって聴覚を補うことで、聴覚ならびに音楽の可能性を拡大してきた音楽である。」ということの意味が、ご理解いただけたのではないだろうか。

つまり、聴覚だけではなく視覚情報を足すことで、なかなか耳では聴き取れない要素を音楽に付与し、それを理解した上で聴くことでより深い聴覚体験をさせる。これが、「クラシック音楽の正体」であり、他の音楽とは違う点なのである。

――パズルのような作曲技術の実用編

最後にもうひとつ、先ほどのパズルのような作曲技術の実用編として、バッハの作品より40~50年ほど後に作曲されたモーツァルト晩年の作品をお聴きいただこう。

♪ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
《交響曲第41番》(1788年)より第4楽章の抜粋

この作品でも、音楽の盛り上がりというものが、表層的な雰囲気のレベルだけでなく、これまでのものを全て組み合わせるという論理的なレベルにおいても表現されていることがご理解いただけるだろう。

終結部(コーダ)が、単に盛り上がっているのではなく、ここまで登場したモチーフが組み合わされていることに気づいたり、更にはそれが聴き取れたりすれば、この曲に対してもっと大きく心が動かされるようになっているため、真に楽しむためには「背伸び」が必要になってしまうのである。

――補遺:イマヌエル・カントによる音楽批判に対抗するために

ここまでで本投稿で語るべき主なトピックについては語り終わったが最後に、なぜ視覚情報で補ったり、論理的な要素が必要とされたりしたのかについて、簡単に触れよう(決して、これから語ることだけが要因ではないのだが、こうした要素も絡んでいるであろうことを知っておいて損はないはずだ)。

哲学の歴史に大きな足跡を残した偉人である、18世紀を代表するドイツの哲学者イマヌエル・カント。彼は著書『判断力批判』の中で、次のように述べている。

音楽は、詩よりもいっそう多様な仕方で我々の心を動かし、また一時的にせよいっそう深い感動を我々に与える。しかし音楽の旨とするところは、心の開発(文化)というよりもむしろ享受(娯楽)である。したがって、理性の判定に従えば、他のどの芸術よりも低い価値しかもたない。
[※篠田英雄訳(英訳に即して向井大策氏が一部改変)]

カントは更に、音楽について「香水をふりかけたハンカチをポケットから取り出す」のと同じとまで言い切る始末。こうした音楽という分野そのものに対する低評価を覆すためにも、20世紀後半の総音列主義(トータルセリエリスム)まで繋がるような、論理性を重要視した西洋音楽史を記述する必要が後の音楽学者たちにはあったのだろう。

そして、グレゴリオ聖歌から総音列主義までを一本の線で繋がるメインストリームとして記述した歴史を採用し続ける限りは、クラシック音楽において「音楽を図形として捉える」考え方は根幹に位置し続け、クラシック音楽の正体であり続けるのだ。

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