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『君の名は。』を音楽から読み解く~時の流れを「音」と「視覚」でどう表現したか?

※【ネタバレ有】のため、未見の方はご注意ください※

いよいよ今月7月26日にDVD・Blu-rayが発売される映画《君の名は。》――邦画の興行収入ランキングでは、宮﨑駿監督の《千と千尋の神隠し》に次いで歴代2位に位置する2016年度最大のヒット作――に、このタイミングでいま一度注目してみたい。

第1弾のこの記事で注目したいのは「タイムトリップ」をどのように音楽で表現しているかという点だ。まず音楽について読み解く前に、より直観的に分かりやすい視覚面から触れてゆこう。

――メインイメージから読み解く

まずは、こちらのメインイメージをご覧いただきたい。イメージの中央に位置する光に区切られることで、同じ空を持ちながらも、立花 瀧のいる左側は都会、宮水 三葉のいる右側は田舎の風景が広がる。そして上部には二つに割れた彗星が描かれており、この光の軌跡は時間軸の分岐(パラレルワールドの存在)も匂わせるものである。更には左側は青みがかり、右側は(危機を連想させる)赤みがかることで、2人の運命の違いも表現している。

【図1】公式パンフレット(Vol.1) 表紙

こうした彗星の軌跡によって描かれる線の交わり(※劇中でいうところの「ムスビ」)は当然、複数の紐が編まれた「組紐」のイメージとも重ねられている。そしてこの組紐は、糸森湖に赤い彗星が落ちる図案となっているため(※下記画像参照)、1000年以上前の過去と現在を繋ぐ「ムスビ」となっているわけだ。

【図2】公式パンフレット(Vol.1) 37ページで
図案を設定した資料が確認できる

そして同時に、この「組紐」は三葉と瀧の3年差を繋ぐ「ムスビ」にもなるのだが、2013年10月3日(※公式パンフレット Vol.2の41ページより引用)に三葉が上京し、まだ入れ替わりを経験する前の瀧に名前を告げて、組紐を投げ渡すわけだ。ところが、メインイメージの中では投げわされた組紐が2つ共存している(※下記画像の赤丸を参照)。つまり、このメインイメージそのものが既に異なる時間軸の存在をほのめかしているわけだ。

【図3】図1を拡大したもの

なんてことなく見えるメインイメージのなかにも、周到に「タイムトリップ」の問題が織り込まれていることが分かるだろう。

――音楽から読み解く(その1)

さて、この映画は彗星が落ちていくシークエンスから始まる。その後、主人公2人(三葉と瀧)の独白が絡み合う。台詞は次の通りだ。

朝、目が覚めると、
なぜか泣いている。

そういうことが、時々ある。
見ていたはずの夢は、いつも思い出せない。

ただ
ただ、なにかが消えてしまったという感覚だけが、
目覚めてからも、長く残る。

……ずっとなにかを、誰かを、探している。
そういう気持ちに取り憑かれたのは、
たぶんあの日から。

あの日、星が降った日。それはまるで
まるで、夢の景色のように、ただひたすらに
美しい眺めだった。

前提として、この独白は2021年の時点からなされているという設定になっている。そして最後の段落で「星が降った日(2013年10月3日)」を思い出す箇所まで来ると、RADWIMPS「夢灯籠」のイントロが聴こえてくる。

このイントロは浮遊感のあるサウンドが特徴的なのだが、この浮遊感は録音したサウンドを「逆再生」(※その名の通り、録音を逆回りに後ろから再生していく)することによって得られている(※実際に音を聴いて確認したい方はコチラ)。

つまり「逆再生」(=時間の逆行、時間のさかのぼり)をきっかけに、一気に物語内時間が8年前に引き戻されていくことで、物語のスタート地点である2013年9月2日に観衆の視点をいざなうという演出をしているわけだ。

――時計回りと反時計回りで描くもの

こうした時間軸の流れは、視覚面でも表現される。劇中で最も感動的な演出がなされるシーンのひとつ、宮水神社の御神体があるクレーターのフチで主人公2人が初めて相まみえる場面を見ていこう。下記動画の2:17~2:40をご覧いただきたい。

【動画】RADWIMPS公式チャンネルより
スパークル [original ver.]
-Your name. Music Video edition-

三葉(中身は瀧)が右回りに、瀧(中身は三葉)は左回りに走るシーンが確認できるだろう。ここでは外見ではなく、中身を基準に考えれば次の通りとなる。

・瀧 :右回り= 時計回り=時間を進む
・三葉:左回り=反時計回り=時間を戻る

要するに、3年間の時差があって出会えなかった2人が互いに歩み寄り(瀧は時間を進み、三葉は時間を戻る)、やっと初めて顔を付き合わせることが出来たということを、視覚的に演出しているのだ。

しかし実際はこれより3年前、三葉は上京して瀧と一度顔を合わせている。瀧側としては、三葉を認識する3年前だったため気付くことが出来なかったというのが物語上の設定だが、作劇上のエネルギーとしてはこの時点で瀧側が出会うことを欲していないということが重要となる。そのヒントは、オープニングで流れる《夢灯籠》の歌詞に隠されている。

そしたらねぇ 二人で どんな言葉を放とう
消えることない約束を 二人で「せーの」で 言おう
あぁ「願ったらなにがしかが叶う」
その言葉の眼をもう見れなくなったのは
一体いつからだろうか なにゆえだろうか

つまり、3年前の2人の出会いは三葉からの一方的なものだった故に繋がることが出来なかったのだ(※この『「せーの」で』という歌詞については、社会学者の鈴木健介氏が考察されているので、詳しくはそちらの記事を参照されたい)。この推察に基づいて物語を最初から読み直してみよう。

入れ替わりが起きていた1ヶ月の間に、お互いを意識するようにはなった。しかし、この時点では瀧自身の自覚としてあくまで奥寺先輩が好きなのであり、2013年10月2日のデート別れ際に奥寺先輩に指摘されて初めて三葉のことを意識するようになる。

ところがその後、入れ替わりがなくなり、接点を失くした瀧は次第に強く三葉を意識し、飛騨探訪というところまで行動を起こす。それによって初めて、両者の引き合いがなされて再度入れ替わりが生じる。その上で、更にお互いを強く希求することによって前述した初対面にまで繋がっていくのだ。

ところが、この初対面の中で組紐を三葉に返した瀧は、おそらく三葉との繋がりが弱まり、更には黄昏時(カタワレ時)の時間が終わってしまうことで束の間の出会いで終わってしまう。三葉は糸守の人々を救うことに成功するが、2人を「ムス」ぶ力は弱まり、ドンドンと記憶や感覚が薄れていく。

――音楽から読み解く(その2)

映画のラストは、「星が降った日(2013年10月3日)」から8年後の2021年に設定されている(=つまり、映画冒頭の独白の時点に移動する)。2016年に高校生だった瀧も社会人になった。それまでに三葉と瀧が実は出会うチャンスもないわけでは無かったが、お互いが同じタイミングで「せーの」でとはならないために、出会うことが出来ない

ラストシーンでの奇跡は「お互いに何か欠けてはいるが、その欠けたものが何だかは思い出せない。けれども、それが何だか分からなくたって、追いかけずにはいられない」……という同じ心境に至ることで「せーの」での状態になり、2人が初めて普通に(「ムスビ」の力を借りることなく!)出会えるのだ。

実はこのシーン、音楽が大変重要な役割を担う。流れているのはRADWIMPSの《なんでもないや》であるのだが、サウンドトラックで確認すると分かるように「なんでもないや (movie edit.)」と「なんでもないや (movie ver.)」に2分割されている。

この2つのトラックの間で、三葉と瀧は「君の名は?」と同時に問いかけるわけだが、注目すべきはこの部分の前に流れる「なんでもないや (movie edit.)」のラストに再度「逆再生」が登場する点だ。しかも今度は、逆再生とそうではない通常の再生が同時に重ねられている

つまり、ここで「再生」と「逆再生」が同時に重ねられることにより、御神体のクレーターでは視覚(時計回りと反時計回り)で描かれた2人の時間の接近が、ここでは音楽によって描かれているというわけだ。

それが偶然の産物ではない証に、後半の「なんでもないや (movie ver.)」には「逆再生」が一度も登場しない。出会えた2人は完全に同じ時を生きるため、時差が解消されているからだろう。

――まだまだあるぞ!音楽から読み解けるシーン。

『君の名は。』が、感情のこもった言葉やテキスト情報だけでなく、視覚や音で重層的に物語を描いていることがお分かりいただけただろうか。

もちろん、他の場面でも様々な手法によって音楽が単なるBGMではなく、物語の意味内容に踏み込んでいるシーンがあるのだが、それはまた別の機会に。まずは7月26日にDVD・Blu-rayが発売されるので、特典映像を含めて新たな情報が出てくることも期待される。初見の方も、再見の方も是非、この名作を自宅で思う存分お楽しみいただきたい。

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