現代音楽だから新しいんじゃない。現代音楽“なのに”新しい音楽――Ensemble FOVE"SONAR-FIELD"公演評

サントリー音楽財団から出版されている『日本の作曲』という書籍があり、これまでに「1990-1999年」と「2000-2009年」を対象にした2冊が刊行されている。それぞれ4名の音楽学者や音楽評論家によって座談会がおこなわれ、1年毎、その年に初演された日本の現代音楽(≒現代〔の西洋芸術〕音楽)で重要だと考える作品を挙げて議論していくという体裁の内容だ。

「1990-1999年」では石田一志、白石美雪、武田明倫、楢崎洋子(50音順)が評者となり、「2000-2009年」では石田と武田(2003年没)が去った代わりに、白石、楢崎に加え、片山杜秀、沼野雄司が評者となった。

評者が変わったことにも大きく起因しているとはいえ、両者で挙げられている作品の変化は著しい。「1990-1999年」では藝大などを卒業後に地方の音大・芸大で教鞭をとる作曲家による、(語弊を恐れずに言えば)古式ゆかしい現代音楽作品が数多く挙げられているのに対し、「2000-2009年」では三輪眞弘を筆頭にしたIAMAS(情報科学芸術大学院大学)関係の作品が数多く登場。さらに2009年には――沼野による戦略的なチョイスとはいえ――ジム・オルーク(作品は《The Visitor》)まで挙げられるのだから。

沼野は選んだ理由をこう語る。

『日本の作曲』という書名の後半部分、この「作曲」は、「現代音楽」という言葉にも置き換えられると思うのですが、その範疇をこんにちどのように設定しうるのかという問いですね。日本という枠組みと、作曲・現代音楽という枠組みのふたつが、ジム・オルークという存在によって問われる。
 で、これは40分で1曲のCDによる作品です。いわゆるポップ・ミュージックでもないしジャズでもないし即興でもないしクラシックでもないし、しかしあるいはどれもあてはまるかもしれない音楽。一般的なCDショップのカテゴリーでいうと、オルタナティヴとかポスト・ロックということになるのかな。ややわざとらしいかもしれないけれども、最後にこの《The Visitor》が「ビジター枠」で入るということで、いかがでしょう。「正規会員」じゃないけれど、ビジターとして、括弧付きでもいいから入れておいたら、議論が広がるのではないか。傲慢な言い方かもしれませんが、そう考えて選びました。

この辺りの話題は、続く「総括」のセクションでも議論されていくのでご興味ある方は本書をご一読されたし。そして評者たちによる締めの言葉も印象的だ。

沼野 〔中略〕「現代音楽」にかんしていうと、もう基本的なタームのコンテクストが変わってしまっている。たとえば「無調」という言葉が、なんだか恥ずかしい。「シェーンベルクの無調時代」みたいな用法を別にすれば、この言葉じたいが最近では使われなくなってきているんじゃないでしょうか。というのも、かつては無調バンザイとか、あるいはその逆で調性の復権みたいなことがいわれたりしたけれども、すでにそうした認識の軸じたいが古く、滑稽なものになってしまっている。重要なポイントは他に移ってしまっているわけです。だから僕が無調という言葉を使うとき、意識としては「無調(笑)」みたいな感じにならざるを得ない。
片山 作曲家も批評家も過去の常識をチャラにしたうえで過去の個々のものに謙虚にゼロから向き合うことがますます大切だと思います。そういう時代の流れがいよいよ確定したのがこの10年〔2000-2009〕だったと。今後は、いろんなものに向き合いながらそれをどれだけユニークな歴史意識のもとに解釈して、しかも玄人らしい職人の技をもって作品にフィードバックさせていける作曲家以外は生き残れないと思います。最新のテクノロジーを使う創作の必然性があるのか考え抜くような人でないとだめでしょう。

沼野の発言をもう少し具体的な話へと拡張していくならば、「無調(笑)」という時代の雰囲気が確実に生まれているのに、それがアップデートされないまま(全てとは言わないまでも)音大の作曲レッスンでアカデミックな再生産が行われている問題に接合されるだろう。そして、その問題を乗り越えるためにという視点で読むと、片山による発言は実に予言めいている。

この『日本の作曲』シリーズに次作が出るとすれば、対象となるのは「2010-2019」。まさにこのディケイドを締めくくる2018~2019年に、突如として日本の現代音楽シーンに登場したのがEnsemble FOVEなのである。しかも、まさに片山の予言通りのかたちで――

Ensemble FOVE presents "SONAR-FIELD"
2019年3月30~31日(土・日)

Ensemble FOVEの活動自体は2014年にさかのぼり、正式な結成も2016年のこと。2016年の10月から12月にかけて放映されたTVアニメ『ユーリ!!! on ICE』がそのきっかけとなった。そうした、いわゆる劇伴ではなく、FOVEによる完全オリジナルプロジェクトが実施されたのが2018年4月、東京でのこと。同じく2018年の11月には京都でもオリジナルプロジェクトを実施している。(※これ以上の彼らの紹介は、別記事をご参照いただこう。)

この度、2019年3月末に開催された"SONAR-FIELD"公演は、2018年4月の同名イベントをもとに、様々な変更(いわゆる改訂とは異なるものであろう)を加えた新バージョンによるもの。2018年4月の前回公演を観た観客にとっても新鮮な驚きに溢れた内容であった。

例えば、奏者と観客の配置はやや規則的なものに変更され、奏者の合間を縫って歩く面白さはやや減じたが、その代わりに円状の動線が確保されることで、奏者も演奏中に動き回ることが可能になった。更に移動しながらの演奏や、移動先での演奏と、まったく予想のつかない展開が続く。

そして撮影自体は前回も可能だったが(おそらく入場前の説明にシャッター音を気にしないで構わないという文言を強調したからだろうか?)、演奏中に「カシャ」「ピコン」という音が常時鳴り響き続ける。普通は邪魔になりそうなものだが、むしろそれさえも音響体験のひとつとして作品に内包させてしまうのだ。それは奏者が単に楽器を演奏するだけではなく、演奏の一部として、呼吸したり、足音を立てたり、下敷きをぐにゃぐにゃさせたり、ストローで水に息を吹き込んだり、そうした日常的なノイズを使用していることからも分かるように意図的なものだろう。

しかも多くの観客が、ゲネラルパウゼ(総休止)の切りの良いポイントで撮影をしたり、ビデオをとめたりするので、「カシャ」「ピコン」というような電子音がまるでパーカッションの一部のように響いてくるのだ。まさに一期一会の音響体験である。

しかしながらこうした面白さは、語弊を恐れずに言えば、表面的な面白さに過ぎない。FOVEが最もユニークかつ偉大な点は、これらを現代音楽(しかも前衛音楽と実験音楽、双方)の文脈を保ちつつも、知覚への配慮が十分になされていることだ。

主宰の坂東祐大は「FOVEの活動モットーのひとつに、新しい聴覚体験の追求があります」と語るが、これは現代音楽の文脈における「未聴感」と同じことを語っているように思われるかもしれない(※例えば、湯浅譲二などが積極的に用いている言葉だ)。しかし未聴感を追求すればするほど、知覚の問題は置いてけぼりにされることが多かった。新しさを追求しても、これまでの音響との差が一部のエリート同士でしか知覚できなくなってしまったのだ。

そう考えてみれば「未聴感の追求」とは、最先端の論文みたいなものと言い換えることが出来るかもしれない。昨今語られているように学術研究に貴賤はなく、役に立つかどうかでその価値を判断すべきではないし、未聴感の追求でも同様だ。しかし、そうした追求だけを「正義」とする価値観が、現代〔の芸術芸術〕音楽をおかしくしてしまったということもまた事実であることから目を背けてはならない。

前衛音楽の価値観を引き継ぎながらも、知覚の問題を強く意識するようになった人のなかに、スペクトル楽派というタームと共に語られるトリスタン・ミュライユがいる。ミュライユは「音楽のオブジェ(ミュージカル・オブジェ)」という言葉を使い、記憶可能な音響・音像を作品構成の軸に据えている。

この「音楽のオブジェ」に難があるとすれば、そのオブジェが意味をもつのは基本的に作品内部だけという点だ。クラシック音楽を鑑賞する能力が一定以上あれば、聴き取れる可能性があるとはいえ、それほど優しいものではない。

そういった現代音楽の一例と比較した際、FOVEの試みがもつ意義や意味がより明確に視えてくる。主宰であり、すべての楽曲を作曲している坂東祐大は「オブジェ」という言葉に、現代を生きる人びとが感覚的に理解しているものを接合するのだ。

「呼吸」
「泡」
「反響」
「周期と同期」
「伸び縮み」
「重力」
「点」

しかし、これらの具体性が決して強くないことに注意をむけてほしい。戦後の現代音楽が追求してきた「抽象性」を担保しつつも、知覚のヒントとなる「身近な感覚」を両立させている部分にこそ、FOVEの革新性ならびに体験としての面白さが詰まっている。

2018年11月の公演時に、坂東はこうも語っている。

エンターテイメント作品にしたいとは全然思っていない。どれだけ強い「はてなマーク」を聴いていただく皆さまに感じていただけるか。消化しきれないところが残る作品を書いていきたい。

「抽象性」と「現代音楽」という文脈を保ちながら、観客に何を与えられるのか?――その問題意識が根底にあることが、この言葉からも読み取れるだろう。そして、かつてミュライユがピンク・フロイドから新たな作品像を生み出したように、坂東はコーネリアス(小山田圭吾)やディアンジェロから刺激をうけて創作していることも付記しておこう。

現代音楽“なのに”新しく感じられる音楽、それがEnsemble FOVEなのだ。


だが問題がないわけではない。今さら外部から指摘するまでもないことだが、今作"SONAR-FIELD"では約5分ごとに5名ずつ観客が入場するという、かなり特殊な公演形態をとるため、2日間の昼夜公演にもかかわらず、最大230名しか体験することが出来ないのだ。1日の上演時間を伸ばすと、演奏者への負担が大きく、クオリティ担保の問題にもかかってくる。ただ、もうひとつのオリジナルプロジェクト"TRANS"では、具体的な奏者への当て書きがより顕著であり、奏者を変えるのは、より現実的ではない(将来的にはあり得るだろうが)。

とすれば、オペラやミュージカルのようなダブルキャスト制で"SONAR-FIELD"ないしは、それに類する作品を公演することで、現代音楽をホームベースにしつつも、それ以外の音楽や芸術に興味をもつ層へと広くアピール出来るようになっていくのではないか。

肌感覚に過ぎないが前回公演に比べると、今回はクラシック音楽に興味をもつ感度の高い観客層が増えたように感じられた。このまま徐々に興味をもってもらえる範囲が拡大していくことを願ってやまない。作品自体が「創作」を追求するのではなく、「体験」を追求し、軸にしているからこそ、体験する層の広がりが作品の評価により直結していくはずだからだ。

【公演情報】
Ensemble FOVE presents “SONAR-FIELD”
日時:2019年3月30日 (土) 15:30-16:15 (入場時間) / 18:30-19:30 (入場時間)
   2019年3月31日 (日) 14:00-14:45 (入場時間) / 18:00-19:00 (入場時間)
 ※完全予約制、全チケット入場時間指定 (5分刻み、公演時間約60分)
会場:SHIBAURA HOUSE
主催:Ensemble FOVE
出演:Ensemble FOVE(上野耕平 [saxophone]/浅原由香 * [oboe]/東紗衣* [clarinet]/中川日出鷹 [bassoon]/大家一将 [percussion]/伊藤亜美 [violin]/對馬佳祐* [violin]/武田桃子* [violin]/安達真理 [viola]/篠崎和紀 [contrabass]/坂東祐大 [composition])* Guest Artist
制作:前久保諒
技術:宮下和也
グラフィックデザイン: 稲葉英樹
アートディレクション: Zu Architects
料金:前売りのみ 3,500円
SHIBAURAHOUSE 2018年度フレンドシップ・プログラム 採択企画
https://www.fove.tokyo/sonar19

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小室 敬幸

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