生き物の命の重さとは?

先に結論を出してしまうのだが、本来は命に重さなんて存在せず
全ての命は、平等であるべきだと考えているし。
そもそも、比較するべきものでは無いと思うのだ。

とは思いながらも、どうしたって
僕は人を中心として、物事を捉えることが多いため。
美味しいのお肉を食べているし。
ゴキブリは嫌いなので、殺してしまう。

理想とは、真逆の行動を起こしてしまっているわけだ。

人が肉を食べるから、止むを得ず 動物を殺して食べていると
思っている人は どれくらい いるだろうか?
或いは、何とも思っていないかもしれない。
各いう僕も食べる際に、毎回こんなことを考えているわけではないが。

こうして今 考えてみると お肉が好きな僕の代わりに 農業の方が
動物の殺生をしてくれているのだな。と思ったりする。
自分では、とても真似できないし。やりたいとも思わないので
大助かりだ。とても感謝する。
でも、牛の立場からすれば 人が喜ぶために自分が犠牲になるという
とても理不尽な話だ。卑劣で最低な生き物。それが人間だ。

とは言え、牛が言葉を話せるわけでは ないので僕の勝手な解釈だから
実際に牛が どう思っているかなど 永遠に分からないけども。
人が 牛の気持ちを考えた時には、上記のような感じになると思う。

誰かがやらなければ、食べることが できないのは確かだが。
誰かがやらなければ いけないというのは少しオカシイと思うのだ。

日本などでは 人が食べるから、牛肉は売れる。牛肉が売れるから、
牛を殺める。となっていると思うのだけど。
インドのヒンドゥー教では菜食主義であり 牛肉を食べない国も存在する。
インドでは人が牛肉を食べないように決められているから
牛肉は売れない。牛肉が売れないから、牛を殺める必要がない。

よって、人が食べるか 食べないかという、人の勝手な都合ということに
なるので。
誰かがやらなければ いけないというのは、オカシイと思うわけだ。
なぜなら、誰かが強制的に指示をして殺めているわけではないからだ。
よって、牛を殺めなくても良いという選択肢もある。

と言ってしまうと、農業の方を批判しているように聞こえてしまうかも
しれないけども、決して批判しているわけでもなければ
否定しているわけでもない。 良いか悪いかの話ではなくて、
こういう考え方もあるよ。というだけの話だ。

それに、農業の方に対して とても尊敬をしている。
サラリーマンと違い、土日夏休みなどの長期休暇など 無いだろうし。
朝から晩まで、ほんとに毎日 一生懸命に育てていくわけだ。
この労働量は凄まじいと思う。
そして、食品として出荷する際には殺めてしまうわけだ。
育てていれば 愛着だってわくだろうし、並大抵の精神力では
出来ないと思うのだ。

感情を殺すのか、感情を後回しにするのか、
それとも僕の知らない感情を持っているのか。
農業に携わったことがないので、どんな精神状態で仕事をしているのか。
全く想像もつかないけど。
想像がつかないからこそ、凄いと思うのかもしれない。

大半の人(僕も含む)は、人を中心とした考え方で行動するため、
人の命は尊いもの。
動物の命は愛着があるものは尊く、そうでないものは軽視される。
昆虫や害虫においては、命という概念を無視している場合すらある。

というか、害虫という言葉自体が既に、人を中心とした言葉になる。
人にとって害だとしても、虫同士や動物にとっては害ではない場合も
あると思うからだ。

また、命の重さでいうと を殺すときは大して心が痛まないのに、
だと気が引けてしまうイメージは何故なのだろうか?
これは人によって個人差があると思うので、僕の感覚がオカシイのかも
しれないなと思うこともある。

ここまで偉そうに語ってきましたが。
命の重さとは何か? について 少し考えてみると。
何も考えずに食べるよりは、感謝幸福度が上がり、
美味しく味わって食べることが 出来るのでは ないだろうか。

なんて書いてみたけど、考えることで 感謝 と 幸福度 は上がるかも
しれないが。美味しく味わうには、何も考えない方が良いかもしれない。

僕の「歌詞」を広めることに使わさせて頂きます。その過程は、ブログ『https://ameblo.jp/kotonoha-lab/』で見ることが出来ます。