電車の優先席について

「座ってもいいけど、年配の方が来たときは なるべく譲りましょう」
というシステムだ。
だが、このシステムは本当に機能しているのだろうか?

年配の方がいないにも関わらず、座りたいと思っていても周囲の目を
気にしてか、罪悪感にかられるのか。座りたいけど、座れない。
と思う人もいる気がする。
逆に、余計なことは考えずに普通席だろうが、優先席だろうが。
椅子は座るための物でしょ」と言わんばかりに座る人もいるだろう。

どちらの気持ちも分かるが、個人的には後者の方に好感が持てる。
だって、展示品でもない限りは ”電車の椅子は 人が座ってこそ価値”が出る
と思うのだ。
なので、座りたい人がいた場合でも 優先席がガラガラな状態が
心地良いと思う人に考えて貰いたいのだけど。
それって、椅子がある必要性なくないか? と思ってしまう。

せっかく座る椅子を用意してくれているにも関わらず、自分の理想を
優先するがあまりに本質から逸れてしまっていると思うのだ。

何年前になるか忘れてしまったが、電車内で子供の会話を耳にしたとき
「優先席に座る人 嫌い」と言う子供がいたのを思い出した。
この子供のイメージでは、
優先席は老人が座るもの ➡ 若者が座るのは悪いこと みたいに
なってしまっているのだろう。

このような固定観念に陥ってしまう人は、少なくないと思う。
決めつけから起こる安堵感に浸りたい気持ちも分かるし。
考えるのは面倒だし、自分の正義を曲げたくないのも分かるつもりだ。
それでも、少しでもいいから視野を広げて考えてみてほしいな と思うのだ。
その方が 楽しく過ごしやすい生活を送れると思うから。

そもそもの疑問なのだが、優先席を作ったことで本当に年配の方に
席を譲る人が増えたのかも分からない。
これが もし、増えていたとしたら成功なのだろうけども。
優先席を作る前と ほぼ同数 or それ以下 だとしたらメリットがないので。
直ぐにでも優先席を止めた方が良いかもしれない。

その理由は、相手のことを考える人であればあるほど気疲れしてしまう。
僕は、健康の為に なるべく座らないようにしているつもりではいるが。
人がおらず、ガラガラな時 や 歩き疲れてクタクタな時で席が空いていれば
普通席だろうが、優先席だろうが 座ることを選択する。

だが、ここで優先席を選択してしまうと妙に落ち着かないのだ。
なんだかんだ偉そうなことを言っておきながら、僕も周囲の目が
全く気にならない訳ではないし。もし、年配の方が来たとしたら
譲らなきゃいけないなという使命感を勝手に感じてしまうのだ。
これは僕 個人の偏見かもしれないが、似たような理由で
優先席に座れない人達がいたとしたら、椅子の役割は果たせて
いないことになる。

そして、普通席を選択した場合は 心にゆとりが出来る。
特にルールが無いので自発的に動けることにより、年配の方が
いれば 「座りますか?」の一言でスムーズに事が運ぶと思う。
その人が座りたければ、座るだろうし。
座りたくなければ 断られるだけだ。 ここで気づいたのだが、
傷つきたくない、恥ずかしい、鬱陶しい、面倒くさいなどの
感情が邪魔をしているのだなと思った。

ここまで、長々と書いてしまったけど。この問題の本質は、
みんなが如何に気楽に電車に乗れるか。だと思うのだ。

勿論、いろんな意見があっていいと思うし。その意見から改善策が
生まれていくと思う。
だからこそ、これが正しいとか。それは間違っている とかの
感情に任せた水かけ論なんかをするより、どうしたら 気楽に座れるのか?
どうしたら 気楽に電車に乗れるのか? を考えた方が
解決の近道だと思ったが、水かけ論をベースにしてから本質に
近づくのも有りだと思う。

何にせよ、この問題も賛否両論あるので、永遠に考え続けてシステムを
どんどん改善していくべきだと思うのだ。
よって、一人一人の意見が とても貴重になってくる。

僕の「歌詞」を広めることに使わさせて頂きます。その過程は、ブログ『https://ameblo.jp/kotonoha-lab/』で見ることが出来ます。