教育

この永遠の課題となっている「教育」。

教育というと、子供の教育をするイメージが強いと思うが。
新人教育と言えば、大人の教育をするイメージに変わる。

教育とは、育てるだけではなくて 育てることによって
育てる側も共に成長していくのが、教育ではないかと思う。

多くの人の考え方に、どうしても上下関係というものが存在するが。
教育において、この上下関係は とても邪魔なモノになってくる。
なぜなら、子供が生まれた瞬間から親となるけども。
この親になった時から「親は上」、「子は下」という概念が強すぎるが
あまり、必要以上に子供をようとするのだ。

勿論、叱るべき時には叱る必要があると思うし、注意しなければ
取返しのつかない事態に陥ることもある。
だけど、親になった瞬間から 自分が子供の頃は もっと賢くやっていた
という謎のフィルターによって美化されてしまう。
その結果、4,5歳児の子供に 高校生レベル以上のモラル (マナー) を
必要以上に押付けてしまうケースが多いと思う。

例えば、子供が小さい椅子を重ねていき、バランスの悪い状態で椅子の上に
乗っかって部屋の電気を消そうとしたりする。
それを見た親は、危ないことを知っている為 すぐ様 注意をするだろう。
だが、これを放っておけるか。おけないか で子供の成長は
変わってきてしまう。

なぜか? 大人と子供の決定的な違いは、知識の量 経験の量
圧倒的に違うからだ。大人になっている皆さんだって、当然のことながら
子供だった時代があるわけだ。
そして、子供の頃には 同じように危険行為をやっていたはずだ。

勿論、僕もそうだが。小学生、中学生の頃なんかは バカみたいなこと
モラルが無いことをたくさんやってきた。
だからこそ、危ないことを危ないと判断することが出来るわけだ。

なので、大人と比較すると。どうしたって生きてる年数が違うため
子供 (4,5歳児) には 知識と経験が あまりにも少ないので、まずは
多くの経験をさせる必要があると思う。

僕が小学生の時なんかは、すり傷、打撲、捻挫、アザなどを つくり、
年中 ケガすることを繰り返していた。
そうやって、何年もバカみたいなことで怪我をしてきた お陰で、
今は その経験から 経験が知識となり、知識から想像をすることで
実際にやらなくても危険だなと思えるようになった。その結果
予め、危険を回避することだって可能になっている。

なので、大雑把にまとめてしまうと。
死ぬこと以外は かすり傷 (箕輪さんの言葉を丸パクり) なので、
子供の貴重な体験を 親の都合で 無闇に奪わない方が 子供は良い方向へ
成長すると思うのだ。
逆に、この体験をさせないと大人になっても何が危険かが分からずに
取返しがつかない事件や事故などを起こしてしまっている。
それは今日までのニュースが 全てを物語っている。

とは言え、躾のバランスは とても難しいので、大人も子供も
教える側教わる側も一緒になって毎日 試行錯誤して成長していく
必要があると思う。


■余談
子供同士 でも 大人同士 でも 対話することによって、成長していくので
これも教育の一部だなと僕は思っている。

僕の「歌詞」を広めることに使わさせて頂きます。その過程は、ブログ『https://ameblo.jp/kotonoha-lab/』で見ることが出来ます。