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春に手向けた祈りは呪いか?祈りか?呪いか?どうでもいいのか?

今回のテーマは、「大学垢の末路」。Twitterの大学垢をもつ全ての人に捧げます。


はじめに

 どうもみなさんこんにちは。Kota.Yです。
 このNoteは前回記事の続編的内容だと思ってください。嘘です。前回記事がなぜかエイプリルフールに思いつきで作ったネタ記事だったので前々回記事の続編的内容だと思ってください。

ということで前々回記事のおさらいをかるーくします。まあこれ見ればあの記事読まなくてもこの記事いけます。

「Twitterってすごいぞ!他の人となんとなく繋がれるツールだもん!しかもそこきっかけでちゃんと仲良い人を作ることもできる!!」

以上です。半年前にしたためたすっごい文字数の記事をちょっと要約しようと思ったら1ツイートに纏まってしまった。あの記事余談だらけだったんやね。

あの記事を作ってから私の方にも変化があったりしたので、今回はそういうところを記事にしていこうと思います。

近況報告(という名の自分語りのコーナーなので読み飛ばしてもいいよ)

ではまずはじめに、この半年がこれまでと比べて大きく違ったところ、なんだと思いますか?これはあれですね、「対面授業の圧倒的増加」です。これ2.3年は分かるんじゃないかな。今年対面マジで増えたのよ。去年まではなんだかんだ半分くらいはオンラインだったりしたのですが今季は私週に4回(全休除く)きっちり登校していました。
するとどうなるか?当然なのですが、クラスなど授業を軸としたコミュニティが広がっていくわけですね。かくいう私もそうしていましたし、Twitter上で知り合った皆さんもそんな感じだったんですよねぇ、今季。これがなにを意味するか、聡明な皆さんならもうお察しでしょう。友達を作るツールとしてこTwitterの存在意義が削られてしまったんです。

ちょっと話が脇道にそれますが、私の代より先輩にあたる世代の人達で「Twitterを軸としたコミュニティである程度名を馳せた人」って数えるくらいしか知らないんですよね。これまでずーっとなんでだろって思ってたんですけど、前コロナ世代の皆様は初手からクラスを通してとかサークルを通してとかそんな感じでどんどん仲間を作れたもんだからTwitterなんてもんに縋る必要がなかったのかもしれませんね。

あとあれもでかかった。3年生進学に伴う駿河台行。駿河台ってのはねぇ、窮屈な場所ですよ。高さで補ってる代わりに面積が……とかそういう話じゃない。学生の心が窮屈な場所なんですよね。もうみればわかる。まあ当たり前なんだけどね。就職、卒業、論文、人生に大事な選択がかかっているのが駿河台ですから。それに比べて和泉の自由っぷりよ。私は春学期に自主的に週1で和泉の授業を取って和泉に出向く日を設けていたのですが、まーその空気感の自由たるや。和泉通い時代にあまりありがたみを感じていなかった空気感があまりにありがたい。この感覚はレアでしたね。
それとシンプルに今の1個下の学年と仲良くワイワイやってたのに、そこが分断されちゃったとかね。

この当たりの理由が複合的に重なった結果出力されたもの。それが若者のTwitter離れです。

若者ってか私+身内(というか私の見える範囲のみなさん)ですね。
まあこればっかりはただ単に私がハブられてるだけ説はあるし和泉の動向を完璧に把握出来てる訳では無いんだけど、すくなくとも3年組は解散!っていう空気が少なからず漂ってた。なんせゼミとか就活がいいところだしね。

果てしないだけの場所で何か見つかりましたか?

余談)この小見出し、タイトル没案なんだけどあまりにも悩みに悩んだという経緯があり、勿体無いので後半パートの小見出しにしました。

閑話休題。

前の記事と同じような感じで、ここまでが事実確認パート、ここからが考察パートとなります。考察っていうのもなんか変かもしれないが。
そして、ここから先を語るために重要な事がひとつ。みんな分かってることのような気もしますが折角なので明文化しちゃいましょう。

「Kota.Y」ってオワコンなんですよ。

いやー。あんまりなりたくはなかったけどね、オワコン。Kota.Yとしての最盛期がこれから来るような気はしません。

というわけで、ここからの話題は
・なぜKota.Yはオワコンなのか
・なぜKota.Yはオワコンなのにこんな記事を残しているのか

です。それでは順番にみていきましょう。

・なぜKota.Yはオワコンなのか?

これは実は簡単です。私がこのTwitter垢を作ったのは「大学生活を充実させるべく明治大学生の友達を作りたいから」なんだけど、このアカウントがもうその役目を果たしづらくなっているからですね。
だってそうでしょう?今更「新大3です!アカウント作りました!仲良くしてください!」いないいない。いたとしてもTwitter3日坊主しますよ。断言します。Instagram3日坊主を2桁回いってるかもしれないくらいやってる私が保証します。
後輩と仲良くしたい場合。キャンパスの違いが想定を遥かに超える壁だったことが判明しちゃったんですよねぇ。スペースとか使ってオンライン交流中心にする策もあるにはあるけどやっぱり対面交流ってデカいやん。夏休みのうちはまだしも学期始まったら絶対後輩と会いにくくなっちゃうんだよなぁ……和泉の空気感が好きだからと和泉に入り浸る老害になるほどの余裕はありませんからね。就活も頑張る必要があるし
もちろんTwitterの最強機能「なんとなく繋がる」はできるのでそれはやり続けようと思っています。でもそれをやるのでいっぱいいっぱいかなぁ。

・なぜKota.Yはオワコンなのにこんな記事を残しているのか?

なんだこの話題は、と思った人もいそうなこの見出しですが、こっちのほうがよっぽど大問題なんです。というのも、最近になって気づいたんだけど、Twitter含むSNSの大学垢なんてのは本来「3年にもなればオワコンになるのを前提で2年までに友達を作るために作るもの」、というのが私の持論なんです。だから、Kota.Yがオワコンだろうと構わなきゃいいんですよ。
だから、この記事が存在するの、変なんです。今更なにを広域に発信するの?って話になっちゃうんです。「Kota.Yがオワコンになっちゃった!助けて!」なんてお門違いも甚だしい。

この問に対する答えはまだ未完成なんですけど、ひとつのアイデアとして挙げるなら「私がKota.Yがオワコンであることを望んでいないから」ということが考えられます。
大学垢が友達作りのツールである以上、十分に友達ができた!と心の底から感じた人から1抜け!2抜け!3ニョッキ!となっていく性質を帯びてるんですよね〜、これ。例えるなら、大学垢は広い社交場であり、そこで仲良い人やグループを捕まえたらそこで固まってさらにそこで仲良くなる、交友関係が充実するから社交場には足を運ばなくなる、といった感じです。
じゃあ私は友達を作れなかったのか?これは否です。はいっていってしまったら仲良くなってくれた皆さんに失礼だし、そういう打算ぬきにも仲良くなってくれた人がいる自信はある。

じゃあなんで……というと多分私がそういう人だからです。たまに社交場に行きたくなるタイプの人間なんですよ。私。社交場で友達を作った後の世界が嫌だって程ではないにしても、社交場そのものの空気が楽しかったなぁ〜ってタイプの人間なんです。社交場独特の空気感が。

でもKota.Yはオワコンなんです。困ったもんですね。


僕みたいになんてなるなよ。ただ恥を知るぜ。なぁ。

余談)この小見出し(ry

まとめです。

1年生の春、さあ華々しい大学生活が始まるぞというタイミングで、友達を作りたい!という祈りのもと元気よく作られた「Kota.Y」というアカウントは、素晴らしいほどその仕事を果たしてくれました。この記事のこのくらいまで下まで読んでくれる皆さんなら心当たりのあるパターンも多いのでは無いでしょうか。
なんせ今は夏休み。夏休みになってもTwitterの大学垢で流れてきたNoteを読むくらいTwitterをやり込んでいる人は恐らくTwitterで友達を作った人くらいでしょうからね(特大偏見)。
本当はそれで満足するべきだったのかもしれません。大学垢なんて大学を卒業してしまえばサムいもんだ、ということは薄々察してはいたけど、正しくは「大学生も後半戦になってしまえばサムい」だったんでしょうかね。ありそう。

こうしてオワコンになってしまった「Kota.Y」は、今、ただなんとなくネットの海をさまよっています。こうして期末レポート1個分くらいのnoteを、何人が読んでくれるかも分からないまま徒然と書いている。これが仮初の居場所である社交場に居心地の良さを感じてしまった男の末路です。

こんな末路を辿ってみると、(大した戦果は挙げられなかったとはいえ)#春から明治 だった人達に向かってnoteを見せびらかし「みんなもっとTwitterにいようぜ!Twitter最高!」なんて言ってた半年前の自分は結構な大罪人だったんじゃないか、とも思います。
Twitterという社交場の負の側面に気づいていなかったとはいえ、いや、だからこそ、社交場に1人でも多く集めたかったんです。まあ、1年生の皆さんは和泉という社交場に集まってくれたみたいで、私の預かり知らぬところで順調にオワコンへの道を辿っているみたいですけどね。全部が本末転倒で草

これを読んでいる皆さんが、一刻も早くオワコンになってくれる事を祈っています。罵倒ではないんです。どうせいつかはみんなオワコンになるし、大学垢なんて特に足が早いですから、皆さんの望む形でオワコンになってください。Twitterにへばりついて、Twitterに祈りを捧げているのかTwitterに呪われているのか分かんなくなっちゃいますよ。こんな道を果てしなく行っても何も見つからないんだから、先輩の屍を糧にオワコンになっちゃってください。

ただ、もし奇跡的に、もうちょっと社交場にいたいなっていう人がいるならば。
どこかで縁があるといいなと思っています。

またTwitterで、あるいは明治大学のどこかでお会い致しましょう。


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