短編『ぼくは空気が読めない』

ぼくは空気が読めない。
信じられないかもしれないけれど、みんなが当然のように読める空気をぼくは読むことができない。俗にいうKYというやつだ。正式には『先天性雰囲気知覚欠損』という。ぼくが空気を読めないのはこの病気のせいだ。

ぼくは空気が読めない。
知っての通り、コミュニケーションが重要な現代において空気を読む能力は大切だ。この国では義務教育で受ける授業の他に暗黙の了解として空気を読む授業を受けることが最近決まったらしい。ぼくは生まれつき空気が読めないので暗黙の了解としてその授業を受ける必要はない……らしい。ぼくは空気が読めないので暗黙の了解はわからない。

ぼくは空気が読めない。
つまり、生まれつき目が見えない人のように、生まれつき耳が聞こえない人のように、ぼくは生まれつき空気を読む能力がない。この病気はとても珍しいらしい。ぼくが先天性雰囲気知覚欠損であることを話すと「そんな病気はない!バカにするな!」と怒る人もいる。授業を受けていない世代の大人は病気のことを知らないのだ。ぼくは空気が読めないのでよく人を怒らせてしまう。

ぼくは空気が読めない。
だから、ぼくは親友のけんと君に空気に文字が浮かんで見えるのかと聞いてしまったことがある。けんと君はそれはあくまで例え話であり、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚につぐ第六感のようなもので雰囲気を感じるのだと教えてくれた。ぼくは空気が読めないのでその感覚はわからない。

ぼくは空気が読めない。
言い換えると、人の発する雰囲気を感じることが出来ない。人の発する雰囲気に関する研究が始まって数十年経つけどその科学的分析に関してはまだ全然進んでいないらしい。ただ科学者がみな未知の物質が存在するということ、それを雰囲気と呼ぶことを暗黙の了解として知っている。研究によると、本屋さんに行くとトイレに行きたくなる現象も本を読む人が出す雰囲気によるものらしい。ぼくは空気が読めないので本屋さんに行ってもトイレに行きたくなることはない。

ぼくは空気が読めない。
だけど、ぼくは幸せだ。ぼくには友達がいる、けんと君という親友もいる。そして、僕には宇宙飛行士になるという夢がある。宇宙には空気がないからいつも空気を読んで生きてきた人は違和感を感じてしまうかもしれないけど、僕はいつも空気を読んでいないからその違和感はないと思ったからだ。この夢をけんと君に話すと「宇宙には空気がないので雰囲気を伝えるものがない。確かに活躍できるかもな」と笑いながら応援してくれた。ぼくは空気が読めないけど幸せだ。

ぼくは空気が読めない。
だから、ぼくは空気を読む授業を受けることもできない。でも、授業の内容は、けんと君がこっそり教えてくれるから知っている。先天性雰囲気知覚欠損のことも、雰囲気に関する研究の話も、授業があること自体もけんと君がこっそり教えてくれた。ほんとは空気の読めない人には暗黙の了解として授業の内容はもちろん授業があることも教えないことになっているらしい。みんな空気が読めるから暗黙の了解が使えて羨ましい。ぼくは空気が読めないから、けんと君が教えてくれなかったらきっとなんにも気づかなかったと思う。

ぼくは空気が読めない。
悲しいことがある。ぼくは空気が読めないから、空気を読む授業をみんなと一緒に受けられない。昔はみんなで一緒に遊んでたのに、中学に入った頃からだんだんみんな遊んでくれなくなった。みんなは「お前は空気が読めないから」としか教えてくれなかったけど、けんと君がこっそり授業について教えてくれたからそれが理由なんだってわかった。最近では、学校で時々けんと君以外の人も一緒に授業のことを教えてくれるようになった。ぼくのことを「おもしろい」と言ってくれる友達もできた。だけど、どんなに笑顔で友達と過ごしても、放課後にある空気を読む授業にぼくは参加できない。ぼくは空気が読めないから放課後一人で過ごす。

ぼくは空気が読めない。

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