日傘の君

 ここは海辺の町。カモメが飛んで、潮風が吹いて、磯の香りのする町。オレはこの町で暮らしている。ショッピングモールはないし、コンビニもないし、パチンコ屋もない。あらゆるものは無くしてしまった。

 数日前、便りが届いた。かつての妻からである。娘の比奈は元気に五歳になったらしい。目元が自分に似ていなくもないかな、と思う。そこは母親に似ればよかったのに。でも、可愛い。

 返事は書いた。オレはバリバリ仕事をしている。いつか比奈とママを迎えに行くから待っててねと。娘も見るだろうから、そんな内容にした。それが偽りなのかと言うと、偽りではない。

 今も妻と娘の元に帰りたいと思う。だがそれを妻は許さないだろう。オレも許して欲しくはない。許されない方が、自分で自分を責めている間の方が楽だから。

 手紙を持ってサンダルを履いてアパートの外に出た。むっとした空気の中、風が香る。海が好きだ。夏生まれだからだろうか? 昔から住む場所の一定の範囲内に海があったし、その海に足を伸ばしていた。だからきっと比奈といれば、海にも行ったのだろう。

 そこで思い立って部屋の中に戻ってボールペンを手にした。

「遊びにおいで、海に行こう」

 自分の本音を書いた。会いたい、比奈に会いたい。自分の愛しい娘に会いたい。妻がこれを見てどう思うかも考えるが、それでも会いたい。無条件にただ自分を愛してくれる娘に会いたい。

 もう一度アパートの外に出る。日がずいぶん傾いていて、それでも尚太陽がギラついている。いいぞ、それがお前の仕事だ。暑いのはお前が仕事をしている証拠だ。ぶつぶつと太陽に向けて話しかける三十過ぎの男、ヤバいな。

 コンクリートの防波堤を右手につっかけたサンダルとTシャツ短パンで郵便ポストに向かう。僅か五分の道のりだ。鼻歌を歌いたい気分になってきた。なんの曲がいいだろうか。そんなことを考えながら歩いていると後ろから視線を感じた。

 振り返ると、日傘を差した色の白い美しい女がいた。心臓が脈打つより早く、口元が動いて「ほう」と感心してしまうような見事な美しさだった。一瞬振り返ったその時間だけで、その女の全てを見たと勘違いしてしまうくらい女はその姿で何かを語っていた。

 オレは真っ直ぐ道を進むが、しばらく経つと背中に受けていた視線が去る。振り向くともう日傘の女はいなかった。

 手紙を出したその夜、比奈から電話があった。心躍るのを隠し切れないのはどうやらお互い様らしい。ところが途中から比奈が変なことを言い始めた。

「あのね、パパ」

「どうした、比奈?」

「今日、お昼寝してたらパパが夢に出てきたよ」

「そうなんだ、夢で会えて嬉しいなあ」

 そこまではなんて事のない話だったのだ。その先比奈の口から出てきた言葉に、オレは言いようのない思いを感じることになる。

「パパさ、しましまのTシャツに薄いグレーの半ズボン履いてたよ」

「あ、ああ。そうなんだ」

 今日のオレの格好だ。

「手にはお手紙持ってたよね?」

「……うん、持ってたよ」

「海の近く歩いてたよね」

「……うん、歩いてた」

「比奈ね、雨も降ってないのに傘を差してパパを見てたんだ。変なのって起きてから思ったんだけどね」

「そうか、変だね。面白い夢だな」

 言葉もなかった。あの夕方見かけた日傘の女は夢の中の世界の比奈だと言うのか? 意味が分からないまま、オレはこう問うた。

「パパと目、合った?」

「合ったよ」

 そこで強烈なめまいがして、オレは目を覚ました。自室のベッドに横たわっていて、隣にはオレの腕枕で眠る恋人の比奈がいる。オレは夢を見ていたのか? 海辺の町、日傘の女、誰かとの電話。一体あれはなんだったんだろうか。それを心底不思議に思いながら、その実それを心底どうでもいいように思い、オレは比奈の薄い唇を自分の乾いた唇でふさいだ。

fin

おはようございます、こんにちは、こんばんは。 あなたの逢坂です。 あなたのお気持ち、ありがたく頂戴いたします(#^.^#)