勇敢な女の唄

僕の通った高校のそばには大学があった。いわゆる学生街である。

その学生街の一角に定食屋があった。僕が足繁く通ったお店だ。今日はその店主だったおばちゃんのお話。

そこに定期的に通い出したのが多分高一の冬ぐらい。すぐに店主のおばちゃんとは仲良くなって、野球部に所属していてよく食べる僕はおばちゃんに喜ばれた。

学生街の定食屋だから、量も多いのにとにかくよく食べた。あの頃は胃袋がブラックホールだったんだろう、多分そうだ。

高二の春頃だったろうか? おばちゃんが店で転んで足の骨だか、腰の骨を折った。僕はなぜか少し離れた場所にある病院にお見舞いに行った。それ以降おばちゃんは机を伝って歩かなければならないようになった。

でもおばちゃんは、その一件でいたく僕を気に入ってくれた。その冬のバレンタインには僕のためにチョコレートが用意されていたらしい。僕が店に行かなかったので、受け取ることは出来ずにアルバイトの学生さんの手元に渡ってしまったようだけど。

とにかくおばちゃんは僕を可愛がってくれた。温かくて、優しい人だった。僕が大学に進学してからはご飯を食べに行ったら、「お代はいいから」だった。

そんなおばちゃんとの最後はあっけなかった。弟が定食屋近くの大学に進学したので、おばちゃんの噂は伝え聞いていた。少し認知症気味と言うか、そう言う状態になっていると聞いた。

なので実家に帰省した際、いつぶりかに顔を合わせた時にこう言われた。

「広島でしょ? 豪雨大丈夫だった?」

その年は中国地方で記録的な豪雨災害があった年だった。そのことをおばちゃんは言ったのだ。本当は僕を広島出身の学生さんと勘違いしただけだったようだけど、僕はおばちゃんが僕のことを分からなくなってしまったのだと思った。その場にはおばちゃんの近所のお友達が数名、おばちゃんに恥をかかせてはならないと僕は嘘をついた。

「大丈夫でしたよ、ありがとうございます」

あの時に「違うよ、オレだよ」と言っておけばと今でも思う。その冬の暮れ、おばちゃんは火事で亡くなった。

おばちゃんとの会話はほとんど忘れてしまったのだけど、ひとつだけどうしても忘れられないやりとりがある。それは僕が自宅浪人をして、一か月半全く勉強出来なかった時のこと。実力的に受かるイメージが出来ない、なのに勉強も手につかない、それで心が不安定だった時にお店を訪れた。

多分15時くらいだったと思う。定食を食べようと思って行ったのだけど、休憩時間で、おばちゃんはお店で一人で座っていた。

「入りな」

そう言われて店に入って、あらいざらい話した。おばちゃんは何を言うでもなく、うんうんと頷いて話を聞いてくれた。それまでずっと話をしてきて、すごく優しい人というイメージだったおばちゃんのイメージがそこで崩れることになる。

おばちゃんは目をひん剥きそうになりながら、気迫にみなぎった顔をして腹から出した声でこう言った。

「あんたは大丈夫、絶対大丈夫」

その瞬間、おばちゃんの勇気が僕に伝染した。もしかすると僕がかろうじて大学に合格出来たのはおばちゃんのおかげかも知れない。あんなに勇気の出る言葉は今までもこれからもないのではないだろうか。

あんなふうに人を勇気づけられる人は、そうはいないと思うのだ。

おばちゃんに足腰が悪くなっても定食屋を続けている理由を聞いたことがあった。おばちゃんは若い人たちと話すと、自分も気持ちが若くいられると言った。すごく楽しくて、みんなから元気をもらって、生き甲斐を感じるのだと。

僕もいつまでも気持ちを若く持っていたい。そして、いつか目の前に未来に希望を見失いそうになっている人が現れたら、そんな言葉をかけられる人間になりたい。

そのためにはまず、自分のことだろうなと思うのだ。おばちゃん、オレ頑張るね。

shiki

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