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モッズのパパ。

どうも、浪花のモッズかぶれでお馴染みの姫野光太郎です。
先日、なんばHatchにポール・ウェラーを観に行ったのです。

来日が決まったときは本当に嬉しくて。
ブリティッシュロックから多大なる影響を受けた僕からすると胸が熱くなりましたよ。
大きくなっても“ロック少年”やっててよかったと。
行かない理由などなかった
初めて生で観るポール・ウェラーのステージはこれでもかというほど紳士的なもので、客席に向かって深々と頭を下げ、チラッと見せる笑顔も眩しくて素敵でした。
お洒落でお上品な空気感が会場を包んでました。
あっという間に時間が過ぎました。
あとね、自身のステージング面においてもすごく勉強になった。

ポール・ウェラーとの出会いはやっぱりザ・ジャムでした。僕が高校生の時かな。
70年代にロンドンで巻き起こった、いわゆるパンク・ムーヴメントの頃に出てきたトリオのバンドで、当時読んでたロック雑誌にはセックス・ピストルズクラッシュとかと一緒の部類として紹介されてたけど、僕個人的にはジャムは全くの別物として認識してました。(それは今でも)
ビートも早くてサウンドも荒々しいんですけど、ピストルズとかクラッシュとかジェネレーションXみたいな短髪で頭をツンツンさせて革ジャン羽織るって感じじゃなくて、ジャムは全員髪を下ろして細身のスーツを着てたの。
そのスマートでスタイリッシュな出立ちに姫野少年はまんまと心を奪われました。
なかでも当時のライブ映像で、フロントマンであるポール・ウェラーの激しくスピーディーにリッケンバッカーをかき鳴らす姿は衝撃的やったっす。
そして後にジャム、ポール・ウェラーは60年代初頭のムーブメント「モッズ」に大きな影響を受けていたという事実を知るわけですね。
そこから解散後のスタイル・カウンシル、ソロ作品を知っていくわけです。
(この辺はお恥ずかしながら今回の来日公演が決まってからちゃんと聴きました。でもソロの「ヘヴィー・ソウル」は好きで学生の頃よく聴いてた。)

ちなみに僕、大学の卒論は「モッズ」について論文書きましたよ。無事卒業できた(笑)
Jump the Gun Japan様、その節は本当にありがとうございました。
当時は僕も結構モッズモードで、いつも切ってもらってる美容師さんにポール・ウェラーの写真見せてた。んでね、前髪が乱れてくると自分で前髪を綺麗に揃えるの。楽しかったな。
その美容師さんは母親の友人なんですが、そういう文化にも詳しい人で、もちろんポール・ウェラーのことも知ってたから特殊な髪型についても色々教えてくれてた。
(今回の来日公演のこともちゃんとLINEで伝えました。「行ってきたよ!」って。)
んで卒論出し終えたらリーゼントにした(笑)
忙しいヤツ。

「俺を撃ってみろ!」と言わんばかりの表情。

今回、音楽仲間のユウゼンリョウマ氏と観に行きまして。んで急遽観に来れるようになったワイルドブルドッグスのバヤシ氏と終演後合流。
夜行性の3人でお揃いのTシャツを買いました。
仲良いでしょ僕ら。

Mサイズ。

あの日から、毎朝スタイル・カウンシルの「カフェ・ブリュ」を聴きながらのコーヒーとタバコが日課になってます。
モッズのパパ、最高のステージをありがとう。
それではまた、おやすみ。


姫野光太郎・・・大阪府出身のシンガーソングライター。14歳か15歳の時にギターを弾き始め、18歳のときにはじめてライブハウスに出演。大体この頃から作曲もはじめる。まあなんやかんやありまして今に至る。


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