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ラママ。

2023年 10月 21日 土曜日 天候は晴れ。気温は、ぜんぜん寒くなかった。
僕は渋谷La.mamaのステージに立ちました。

僕が大変お世話になっている月弓ヒカリ姉さんのリリースワンマンライブのオープニングアクトとしてお招きいただきまして。

ヒカリ姉さんとは、僕が学生の頃に知り合いまして。大阪で。その時はヒカリ姉さんが遠征で来られてたんですが、とても良いライブで。僕は当時20歳そこそこで、活動を始めてからそんなに経ってなかったんですけど、ステージング、声の出し方、観客との一体感、ルックス、オーラ、全てが刺激的で、死ぬほど尖ってた僕が「めっちゃかっこいい、、、」と見とれていたのをよく覚えてます。
その時は少ししかお話できなかったんですけど、その2年後、僕が就職して、新人研修で東京に行ったときに会ってくれて。同期との飲み会が終わった深夜の新橋で。ご飯連れてってもらった。あの時はベロベロですいませんでした(笑)
そこで色んな話をしたんですよ。好きな音楽の話とか、今後のこととか。
その時に「東京でも歌ってみたいんですよ、特にラママで」っていう話をしまして。

そのことを覚えててくれたみたいで、「今回のリリースイベントのオープニングアクトとして出てくれない?ラママおさえたのよね」と電話があったんです。
もうね、ほんとに嬉しかった
「もちろん!!!」と。

しかも僕にとって渋谷La.mamaは憧れの場所でした。
というのも、僕が日本で一番敬愛しているとあるロックンロールバンドがいまして。まあ、あえて名前は伏せますけど(笑)
そのバンドがインディーズ時代に出てたライブハウスが渋谷La.mamaなんです。
ラママに立つということは、彼らがメジャーデビュー前にやってた場所で歌いたいという長年の夢でもありました。
当日までずっとドキドキしてた。

お昼の公演だったので朝の新幹線に乗って。
会場着いたらちょうどヒカリ姉さんがリハーサルしてて、皆さんに挨拶をしてから、歴史的建造物を見るようにライブハウス内をウロウロ見回した(笑)
怪しげな雰囲気もありつつ、ほんとに空気が澄んでて。
僕もリハーサルを終え、ヒカリ姉さんと楽屋でメイクした
そして、出番を迎えました。

OP SEはデヴィッド・ボウイの「レディ・スターダスト」
大音量で流れる中、僕は例の花道を渡りステージへ向かった。いつもの5倍はカッコつけて登場、あたたかい拍手をいただきました。

とにかく東京のお客様はみんなあったかくて、キラキラした眼差しがステージへと伝わってました
んでね、エモい写真をいっぱい撮りたかったから写ルンですを持ってきてたの。
MCにて
「せっかく来たからには爪痕を残して帰ります。僕、ここに来るのずっと夢だったんで、歌ってるとこ、撮ってもらってもいいですか?」

前に座ってたご夫婦の奥様に写ルンです渡しました(笑)
快く引き受けてくださった。
本当にありがとうございました。⇩

すっごくいいね(笑)
あ、そうそう、この日のためにウィングカラーのYシャツをオーダーしました。どうしても蝶ネクタイをしたかったから。

短い時間ではありましたが、最高のステージであったことは間違いないでしょう。
ED SEであるデヴィッド・ボウイの「ロックン・ロールの自殺者」が流れ、僕のショーは終了しました。
ヒカリ姉さんをはじめ会場の皆様にあたたかく迎え入れていただいた感謝の気持ちと自身が新たなステップを踏んだことによる嬉しさが胸にこみ上げました。

ヒカリ姉さんのステージも本当に素晴らしくて。
本当に良いステージングってこのこと、と思わせられるほどの一体感でした。
楽屋で食い入るように観てました。

事前にアルバムも聴かせていただいてたんですけど、一曲一曲が全く違うパワーを秘めていて自身の制作活動の糧にもなりました。
そんな彼女のアルバム、こちらからお聴きください⇩

そして最後には全員でセッションを⇩

左から、ハクトリスムさん(Gu)、僕、月弓ヒカリ姉さん、SPOOKYさん(Per)

4 Non Blondesのカバー「What's Up」を。

終演後もお客様にたくさんお声掛けいただき、CDもご購入いただきました。
皆様本当にありがとうございました。
もっと大きくなってまたここに戻ってきます。
そしてヒカリ姉さん、本当にありがとう。
これからもよろしくお願いします。
らぶ。

“控え通路”で。
終演後。ヒカリ姉さんと。


姫野光太郎・・・大阪府出身のシンガーソングライター。14歳か15歳の時にギターを弾き始め、18歳のときにはじめてライブハウスに出演。大体この頃から作曲もはじめる。まあなんやかんやありまして今に至る。


↓姫野光太郎のSNSやYouTubeなどは↓

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