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スタンプラリーのような旅じゃなくていい

5泊6日の北海道旅行。
往復の飛行機、滞在期間中のホテル、友達と出かける期間のレンタカー。予め予約したのはそのくらいだろうか。あとは余市蒸溜所の見学予約。

漠然と数年ぶりに北海道に行きたかった。明確なのは5年前に会って以来の友人に会いたかった。最後にはあったのは5年前でも、いつからか互いの日々の近況などを報告し合う仲になっていた。
最後に顔を見たのも5年前(たまに写真を送り合って見たこともあるかも)。それなのにすぐに互いを認識し、会ったのは久しぶりなのに普段から連絡を取り合っているからか、久しぶりな気がしなかった。
つい数週間前に会ったかのような溶け込みぶりには驚いた。それくらい居心地の良さがあった。
漠然とこの辺りのエリアへ行こうくらいしか決めておらず、とりあえず車で向かって名所やらを見て回った。事前に明確な計画を立ててないが故にその地の名物だとかそういうものを巡る旅ではなかった。
だけど、それでよかった。寧ろそれでいいとさえ思えた。なぜなら行き当たりばったりの中で交わされる会話が楽しかったからだ。

きっと帰ったら、「北海道行ってきたんだったら海鮮は食べた?」「味噌ラーメンは食べた?」などと聞かれるだろう。
そういう観光地名物のイメージ。特に北海道は食に関するイメージが強いだろう。
所謂名物みたいなものはそんなに口にしてない。
だけど、それでもいいんじゃないかと思えてきた。
テレビやSNSなどのメディアで見た綺麗な景色を見に行くだけのような、まるでスタンプラリーのような旅じゃなくていいと今回の旅を通して気づいた。
みんなが知ることを辿るために旅に出るのではなく、みんなが知らないことを見つけられるから旅に出るのだ。
これまでの旅だって強く記憶に残っているのは予め決めたところよりも、不意に立ち寄った所だったりする。
予め決まっていた予定調和的なものよりも、予定不調和なものの方が記憶に残るし、それが旅の醍醐味なのだろう。
工程通りに、スケジュール通りに進めることも大事だけど、道迷ったり通り過ぎたり、行ってみたらやってなかったり、そんな予想外のアクシデントこそが旅を面白くしてくれる。
予想外の出来事があるから面白い。
これは旅行に限ったことではなく、日々の日常でも同じこと。
予測の範疇から出ないことばかり続く日常。だから日常は退屈に感じてしまうのかもしれない。

そして暇や退屈は人を腐らせる。
暇だから病むし、YouTube ShortやTikTokで無意味に時間を浪費してしまったりするし、暇だからやたら自慰行為をしてしまったりもする。

日常の中に予想外のことを取り入れることで人生は明るくなるんじゃないか。

先月の長期出張が終わってから燃え尽きたように、疲れきってしまったかのようにモチベーションが上がらない日々を過ごしていた。
頑張る理由やより快適に暮らす理由や健康的でいる理由を見失いつつあった。
今回のこの旅だけがモチベーションだった。


行きの飛行機の中で一冊の本を読んだ。

ミニマリストやシンプリスト関連の本を最近は読んでいなかった。
物を減らすことを通じて自分の心地いい部分を探っていく。自分に適切なモノの量を知る。
自分の身の周りを見渡して生きやすいポイントを探すことはまさに生きることなのかもしれない。そんなことを旅の始まりに思った。


今回の旅行はスタンプラリーのような旅になるかと思いきや、向かう途中や行く先先でいろんなことが起こったし、その中で考えることもあった。予想通りにいかないというのは楽しいものだ。

何より人との旅がこんなにも楽しいんだと知ることができた。
自分で運転しながら人と旅行へ行くってあまりしたことなかったし、ましてや恋人以外と旅行に行くことってなかった。本当は学生の時にでもやってるはずのことなんだけど、やらずに歳を重ねてきた2人での旅行だった。逃してしまった青春を取り戻すかのような旅。「取り戻せるだけいいよね」と言われて心底納得した。

取り戻せない青春もあるし、取り戻せるだけましなのかもしれない。

5年ぶりの北海道。つまりは友人に会うのも5年ぶり。5年の間にいつからか定期的にLINEでやりとりするようになって、互いの近況や相談を日常的にするようになった。物理的に会ってはいないけど、いろんな事情全て知っていてずっと近くにいたかのような不思議な感覚だった。互いの事情を知ってるからこそ前提確認がなくスムーズに会話に入っていく。この感覚が心地よかった。時間をかけて構築してきた関係でしか成り立たせることができない心地よさだ。

そんな関係だからこそ思いつきであっちへ行こう、こっちへ行こうとスタンプラリーコースを無視したような旅ができたんじゃないかと思う。

あと単純に私が私の予想以上に運転できたってのも要因の一つ。自動車免許を取得して2年くらいだけど、頻繁に運転していたわけではなく、今の部署に異動してきてから運転せざるを得なくなったから運転するようになった。ちなみに、私は合宿免許で免許を取得した。合宿しに行った地は雪が降る時期の山形県。初路上から雪上運転だったし、雪道の運転には最初から慣れている。スタッドレスタイヤ+4WDでなら滑ることもないし、感覚的に理解している。

3日間フルで運転していたから日中は飲酒できなくて、飲酒大好きな私からしたらこれまでなかった過ごし方だ。旅行中は昼飲みなんて当たり前だったし、夜も深酒するような過ごし方ばかりだった。だけど、今回は昼間運転をし、夜嗜む程度に飲む。マブダチと語らいながら酒を飲む。そんな時間がとにかくよかった。

道中何度も「また一緒に旅行したいね」と話をした。旅が終わってからも「またどこかへ行きたいね」と何度も言葉を交わしている。
次がいつになるのか、次があるのか…分からないけれど、友人として永く関係を続けていきたいと思う。

大切な友人だけでなく、そもそもの人との向き合い方やこの先の自分自身の歩みの進め方も含めていろんなことを考えるきっかけをくれた。
人と接し、語らうことで気づけることが沢山あるんだなと思い出させてくれた。
普段1人暮らしだし、誰かと語らうこともそんなにない。基本的に1人淡々と過ごす。自分で自分の腹に入れるものを作り、自分が聴きたい、観たい、読みたいコンテンツを自分で選び取っている。そこに他者からの意見は差し挟むことはほとんどない。人から勧められたり、コンテンツに真っすぐ向き合ってる人が好む作品だからと目を通すこともある。それも自分で選んできた。
でも、人と接しておすすめし合ったりして、その感想を語り合ったりそんな関係値を築けた友人を持てたことが素直に嬉しく思う。

旅を通して見た景色や交えた言葉、口に入れたもの、感じた空気。そういうものがまた先を生きていくエネルギーとなっていく。
20代も半ばに差し掛かってこんなキラキラしたピュアな気持ちになれるなんて思わなかった。きっと年齢なんて関係ないのかもしれないけどね。
だけど、歳を重ねると見えにくくなることは沢山ある。忘れてしまうことも沢山ある。そういう類の幾つかを感じることができたと思っている。
予定調和ではなく、予定不調和だからこそだと思う。
スタンプラリーのように予め決めたコースを周るのではなく、その時に見たものや感じたものを中心に行き先を決める旅。本当に楽しかった。
またそんな旅をしよう。

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