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選んできた世界線と選んでこなかった世界線

夢を見た。

「これまで知り合ってきたものの特別深い関係性にならなかった人が親密になっていたら」
みたいな世界線設定の夢を見た。
小学校や中学校で面識はあったり、一時的に仲良くなったりしたが、いつしか関わりがなくなった人たちが夢に出てきた。

こんな人もいたなと懐かしい気持ちになった。
だが、それと同時に今関わり合いがないということはどこかで接点が薄れていく選択をしたのだろうと思った。

もし、関わりを接点を持ち続けていたらどうなっていただろう。
そんなことをふと思った。


私は「あの時に戻りたい」だとか思うことはなく、今の自分があることに後悔はしてない。紆余曲折ありながらも歩んできた道もちゃんと糧にしてきた自負がある。
だけど、当時から自分の選択が正しい選択だと自信を持っていたわけではなく、きっと生きてく中で“正しかった選択”にしてこれたのだと思う。
この前読んだ朝井リョウさんの『武道館』にもそんなことが描いてあった。
絶対的な何かはなくとも今選択しなかったらいつか後悔するかもしれないみたいな漠然とした強迫観念のようなものから背中を押されてその時の最適解を選んできたように思う。


しかし面白いのは選んでこなかった世界線にいると思っていた人との関わりが再び交わることもある。
きっと今後関わることはないだろうと思っていた人となんの縁か再び繋がったりもする。
SNS世代であり、SNSで築いてきた人間関係が多い私は実感をもってそう言える。
先日もSNSを通して見つけた同じ市の別の中学だった人とごはんに行ってきた。中学時代に面識はあったものの、深い仲ではなかったし、そもそもそんなに話したこともなかった。
しかし、大人になる中で共通のトピックができていたようで、InstagramのDMでやりとりを重ねて予定を合わせて会うことになった。丁度1週間前のことだ。
初めてじっくり話したのにすっかり意気投合してまた会おうという話になった。しかも、働いて関わってる業界が意外に近しいことも分かった。

一度大きく離れた道でも、その後の選択次第でグッと近づいたり交わったりすることもある。そのことを先週強く実感した。
高校卒後、地元を離れた後、すっかり疎遠なった人が圧倒的に増えたし、ここ数年はそんな中でも残り続けている関係性を大事にすればいいやと思っていたが、疎遠になった人ともまたどこかで出会うかもしれない。

選んでこなかった世界線にいると思っていた人がまた自分の世界線と重なる日が来るかもしれない。
“正しかった選択”にしていく中でそんな出会いがあるといいな。

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