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空虚な自尊心

35歳。

僕は世間的に見ればおそらく、随分と遅咲きな歌手活動を始める。いや、別にまだ咲いてすらいないから、「遅芽吹き」な活動とでも言おう。その話は前回のnoteで散々書いたので、今日はその続きを書こうと思う。

前回はこちら。

僕の自信の源だったもの

僕は子供の頃から、得意なことをひたすらやって、苦手なことは「無理」オーラを全開に出し、周りに無理やり「あいつに言っても仕方ない」と諦めさせてきたタイプの人間だった。

高校入試は帰国子女というブランドをひっさげて推薦入試、大学入試はハナからセンター試験(今は大学入学共通テストっていうんだっけ?)は諦めて、志望校に求められていてかつ得意だと思っていた英語、数学、日本史だけを集中して勉強した。

それはこと、音楽活動においても同じ。

僕は人前で表現してみたかったタイプの人間だったけど、高校時代に「歌は向いてない」と感じて歌を諦め、「作曲ならできそう」とインストメインで作っていく決意をした。

「選択と集中」とはよく言ったもので、「やりたいこと = 得意なこと、褒めてもらえたこと」だった僕は、周りがどれだけ満遍なくやれと言っても、マジでできない人間だった。当然ながら会社員にも向かず、僕に社会とは?を叩き込んでくれた博報堂を5年で辞め、今の生き方に至った。


そんな僕にとって、2021年夏から今に至る1年弱は、
僕自身の「勝ちパターン」に生まれて初めて疑問を持ち、
その「必勝」に頼らなかった1年だった。


「やりたいこと = 得意じゃないこと」な1年だった。


僕はとにかく要領が悪い

勉強でも、サラリーマン時代の仕事でも、勿論音楽でも、僕は「つかんだ」と思えるまで、ものすごーーーーーーーーーーーく時間がかかる。

ありとあらゆる集団レッスンの体験講座に行くと、一人だけ異常にデキなくて、いつも物凄く惨めな想いばかりをする。そんな自分が今も嫌いだ。

人間関係においても割と同じことが言えて、自分が苦手だと思う相手に、僕は露骨に「僕はあなたが苦手です」というオーラで接する節がある。

仕事のためにいくばくかは苦手じゃないって言い聞かせた時期もあったけど、でもやっぱり苦手な人は苦手なので、仲良くはならない。心地よさと天秤にかけた時、「あー、やっぱ無理」って思ってしまう。


歌はまさに、苦手分野の塊

プライベートでカラオケに行く程度なら、これまでも楽しく歌ってきた。でも、音楽のプロとしての耳、演奏技術、作曲におけるテクニックが向上していったのに、歌うことだけはどれだけ仮歌で歌っても上手くなる気がしていなかった。

そもそも、僕の仮歌を聴いたことがある人が、どれだけいるかって話。

僕は本当に身内の身内にしか、基本的に仮歌すら自分で歌うことはしなかった。自分が作った曲には、その都度自信を持っていた。そんな曲の第一印象を、僕自身の声が「汚してしまう」とまで思っていた。今でも、当時の仮歌に対しては、実際に魅力を消してしまう歌だったなと思える。


そんな自分が、これだと自信を持って歌うためには、
テクニック以上に自分が世の中に対してどう関わるか、
という大きなテーマに、答えを出さなければいけなかった。


僕が恥ずかしいと思っていたこと

思い返せば、大体のことは、人に「キモっ」って思われることへの恐怖だったように思う。多分それは、小学校の頃太っていて言われた「キモい」、高校生の時に日本の学校に馴染めずに言われた「キモい」に起因している。

そんな恐怖を払拭して生きようと、僕は「キモい」とは何かを、これでも割と考えながら生きようとしてきた。思えば僕が自分のコンプレックスと感じた自らの声も、どこか変に生々しく「キモい」と自分で思ったから嫌いだったように感じる。なんというか生理的な、体のデカさの割に表現したいことが女性的というか、繊細で柔和なものを好むからかもしれない。


歌い始めた頃の、自分の声に対する不満もまさにそんな感じだった。繊細で、流麗さを大切にしてきた自分のトラックには、僕のオッサンくさい地声(正確にいうと胸声)は、確かに自分で聴いてもかなりキモかった。

根本的に、自分の恥ずかしい一面は幼少期から変わってない。

自分が自分を大きく見せようとしたり、人より強くありたいという気持ちを持てば持つほど、僕は「力を入れる」ことしか知らなかった。力が入った状態でキレのある動きをしようとしたり、高い声を張り上げようとするから、生々しく雄々しくなる。

僕自身はもっと優しく、言葉を選ばず言えば「妖艶さ」のある表現が好き。自分がイメージしている絵図と周りから見た自分が大きくズレていたのは、まさにその差分に自分で気がついていなかったからだ。


どうして力を入れなくちゃいけなかったのか

端的に言えば、競争心理が僕を支配していたからだ。


テストで100点を取りたい。
成績は上位がいい、できれば一位がいい。
どうせ受験するなら高学歴の肩書きが欲しい。
どうせ就職するなら、人に言って「おお・・」と言われるところがいい。


元々こんな人間だったかと言われると、よく覚えていないけど。
中学の頃、「帰国子女」というブランドを手に入れてからは
僕は間違いなく「エリートでありたい」思考だった。


でも今、自分的には概ね「別に、まぁ。」って感じの価値しか産んでない肩書きを手にするために、僕は本当に、本当に肩肘を張り続けてきた。周りには感謝しているんだけどね。自分の問題。

勿論そんな環境で頑張ったことで、手に入れられたものもある。
「人より良くあること」で、僕は音楽のプロになった当初から
チャンスと仕事と、不相応のギャランティに恵まれた。

そう思えるほど、僕にとっての正義は「結果を出せる自分」であり、自分が「豊かに生きられる運と縁に恵まれている」と、当然のように思っていた。

そんな自分が、本当に、この一年脅かされた。結果的に、なんとかギリギリ踏ん張れてはいるのだけど、これまで通りの生き方で自分の未来が保証されてはいないことを、嫌ってほどに感じとった。


力を入れれば、圧で結果を手繰り寄せられるような時代は、
もうとっくに終わっているんだ。
少なくとも、僕にとってその時代は完全に終わった。


白黒の強さを、ビビッドな奇抜さを、手放す

まるで爬虫類みたいだなと思うのだけど、僕は自分の心模様の逆をいくように、白黒やカラフルな服を着て「擬態」しようとしていた。

google検索で出てくるKOTARO SAITO

崩れそうな自分をビシッと引き締めるような黒、落ち込んだ気持ちを大きく鮮やかに見せようと選ぶビビッドカラー。僕にとって、コントラストが強い色味は「自分を守る鎧」だったように思う。

去年の夏、歌うと決めて以降、僕はそんな自分から変わろうと、くすんだ色味、コントラストが弱めの色を多く着るようになった。

そうして生まれたのが、leiftだ。

leiftアー写

自分の顔や髪を覆い隠していた帽子も、やめた。プライベートでも「雰囲気変わりました?」って行く先々で最近言われる。それだけ、僕は外出するのに気合も入れていたし、自分を作り込もうとしていたんだなと実感する。

黒を着て反るほどに背筋を伸ばしてた自分も、ビビッドな服を着て自分以上に陽キャを目指した自分も、今は気分と違う。力が抜けているのに、必要な時、自分や誰かを守れる力強さを秘めた自分がいい。


シンプルを極めたトラック

僕はこれまで、曲を作る時も、どんなに静かな曲でも細密に細密に「音をブレンドして、詰める」という作業を大切にしてきた。


「単音だとどうしても、音が魅力的に聴こえるための"空気感"が出ない」
「重厚な音作りのためには、音を詰めてパワフルに聴かせなくちゃ」

2010年代中期のEDMを聴いていた頃の僕は、当時のサウンドをお手本にそう思っていた。leiftを形作っていくにあたり、それらを、やめた。

とにかくスッキリしたトラックを目指した。


歌が鳴っていたら、後ろにメロディは、いらん!

昔の僕は、ボーカリストをfeat.した楽曲でさえ、歌の後ろで自分のシーケンサーやピアノのアルペジオを鳴らしまくっていた。重層感を大切にしていて、まるで牛肉と豚肉と白味魚を一緒に煮込んだような、とにかくパワーのある旨味を音楽に求めていた。

初めて歌詞を書き、自らの声で歌い録音した時、それらは今の僕の音楽には必要ないと、心からはっきりと直感した。アルペジオやリフになんぞ、頼ってたまるか。そんな気持ちが、初めて芽生えた。

一番聴いて欲しいのは、メロディであり歌詞だ。

そう思えた時、今まで僕が作ってきたのは「歌付きのトラック」であって、「歌そのもの」を作ってきたわけでは、なかったのかもしれないと思えた。だから今ならきっと、僕が「作曲家 KOTARO SAITO」として他の誰かに歌を作ったとしても、歌詞に、歌の旋律に、編曲を派手にせずとも伝わる楽曲が書けると確信している。


歌うと決めて、曲を書いて気がついたこと

最近水泳にハマっている。僕は前提として、泳ぐのはかなり苦手だ。でも、今、いくたびに1,000メートル泳いで帰ってくるのが楽しい。

水泳も、なぜ苦手だったか、なぜ今楽しいかを振り返ると、とても理由がはっきりした。歌やトラックメイキング同様に「力の入れ具合が長年わからず、最近になってようやく、わかってきた」からだ。


off・ON・on

2021年の後期、2022年の初頭は
「精神をoff」できる状態の自分を構築しようと試みていた。

この頃は、いかに力の抜けた自分で、社会に対して意思表示するかばかり考えていた。今は、少し気分が違う。


「off」の自分にも、飽きた。


以前より、パワフルな自分になりたいと思えてきた。水泳の影響で、体を鍛えることにも興味が湧いた。兼ねてから気になっていたメンズメイクにも、leiftを始める上で手を出し始め、ヘアケアにも力を入れ始めた。

極め付けに、自分が培ってきたものを他者へ明け渡すべく、
オンラインサロンまで始めた。

はっきり言って、今の自分は、1年もの間全くと言っていいほど動きがなく有り余っていたエネルギーを解放すべく、パワーがみなぎっている。


でも、それは「以前の力強さ」を
「取り戻す」こととは、全くワケが違う。


必要な瞬間だけ、全力を投入して、あとは基本、リラックス。
そんな自分がleiftであり、きっとこれから先、
インストを追求するKOTARO SAITOも、同じくそうだ。

力で押すような歌い方は、結局僕が嫌いだった「他人が見えていない歌」でしかなかった。客観的に自分を捉えながら作ったトラックの上で、そんな非制御的な表現を僕は好まない。


届ける相手を想いながら歌う歌は、自然と届くように歌うから。
それは、僕が放つパワーのパーセンテージとは別の話なんだ。


曲で言いたいことは、歌詞で言う。

だからか。自然と僕はここnoteでは、
楽曲のライナーノーツ的な投稿はしなくなった。

でも、僕がここで書いていることは、少なからず僕の新曲に通じるbehind the sceneであり、同時に僕が自分の辿ってきた時間の中で、同じように「行き詰まり」「挫折」に悩み苦しくなっている人に、伝えたいことでもある。


やっとの思いでリリースした新曲『bleαch』は、まさに僕が「off」でいたいと思っていた頃に新たな自分を模索して書き、歌ったものだ。

「off」の自分を書き、「off」の自分で歌った『bleαch』は、完成してからの僕自身がどんどんスイッチが入っていったことにより、結果的に

「off」とも「ON」とも違う、「on」

の自分を体現する曲になったんじゃないかと思う。


初めての「自分の歌」をリリースしてみて

自分の曲を配信サイトで聴いた時、まるで違う印象に思えた。
leiftはついに、一人歩きし出した。
もう、僕の内面の塊であって、
僕から独立した一人の人間にも思う。

今、僕が心から望むのは、誰それ構わず多くの人にleiftの歌が届くことでも、僕に興味ある人だけに届くことでもない。僕と同じ本質の、苦しみを抱く人は少なくないはず。だからこそ、

leiftの存在で、歌で、歌詞で救われ得ると思える人に、
しっかり届き、僕の苦しんだ経験が誰かの苦しみを和らげ
その誰かがまた、他の人の苦しみを和らげ続けていくこと。

を、望んでいる。


夜は、いつか明けていく。だったら・・・

僕はleiftとしての初めての曲『bleαch』リリースの9日前から、インスタグラムに予告投稿をしてきた。

詳しくはインスタで(画像にリンクあり)


leiftとして歌を練習し、自分の声と新たなサウンドを模索していた当時、僕は決まって東京の真夜中を、長く散歩していた。

leiftにとって夜は自分の棲家であり、同時に悩みもがいた景色の塊。これらの楽曲に励まされながら、「絶対仕上げてやる」と唇を噛み続けた時間。

インスタグラムにアップした動画は、
そんな僕の心情を『bleαch』のインストに合わせて、
一晩で撮って周ったものだ。

「夜は明けるんだ」って。


僕は明けた時の自分を、
以前の自分より好きでいたいと思った。

綺麗事っぽけど、明けるかどうかも定かでない夜を、
ずっともがいてきたんだ。
目指した気持ちは、
これくらいシンプルで真っ直ぐ表現した方が、嘘がない。


僕のように思い悩み、渦中にいる人へ

年齢、キャリア、周囲の環境、人間関係・・・。

悩みの質はいろいろあると思う。
そんな全てに僕なんかが意見できる筋合いはないのも、
勿論よく分かってる。「余計なお世話」だって。

その中で、一つだけ、僕が少しお先に
悩みの先に行けた人間として言いたいことがある。

失礼でなければ、一言だけ、聞いて欲しい。


自分を守る自尊心がもし、空虚だと思えるなら、
そんな自分は、やめていいかもしれない。

もし、思い当たる節があれば、検討してみて欲しい。



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