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「『怪と鬱』日記 2021年7月14日(水) あるファンからのメール──インターミッション Ⅲ

俺は悪くない。
俺は何も悪いことをしていない。
仲間のことを思って、なんでもやってきた。それなのに、世話してやった奴らが俺を嘲笑っている。あいつらは、クソだ。
とにかく俺は何一つ悪いことをしていないのに、この仕打ちだ。

ずっと男らしく生きてきた。
誰に舐められる筋合いもない。一点の曇りもない人生を送ってきた。

子供の頃、地区のど自慢大会によく出ていた。母はいつも俺を応援してくれて、優しい微笑みを浮かべながら大会のエントリーシートを書いてくれた。
結果は最高で三位だったが、人前で歌うあの喜びを味わえるなら順位などどうでもよかった。とにかく、俺はステージってものにすっかり魅了された。
中学、高校とバントを続けたが、誰もが俺と感覚が合わなかった。端的に言って、「プロ意識」が薄い奴らにしか出会えなかった。
俺はステージってものを知っていたから、段違いにプロ意識を持っていた。ほとんどの奴らと、目線がまるで違った。
俺は「わかっている」側に立っていた。

高校卒業後は、バントをやりながらライブハウスでのアルバイトを始め、そのまま店長になった。結局、メンバーに恵まれず、音楽で成果を残すことはできなかった。
誰も俺の才能を生かし切れる者が現れなかったのは悲劇だったし、同期のつまらない連中(プロ意識に欠ける本当にクソみたいなバンド)が、どんどん世に出ていく様を見詰めるのは精神的にかなりきつかった。
今、俺は自分のノウハウ、プロ意識とは何か、この業界の在り方なんかを後進のバンドに教えている。長くこの業界にいる、この俺にしか見えないものがある。
俺はいつだって、みんなから尊敬されるべき存在なんだ。

それなのに、今ではどうだ。
まったく真逆じゃないか。

誰もが俺をバカにしている。
まだ俺を心底慕っている奴もいるにはいるが、俺から見てどうしようもないバカばかりが、俺に尊敬の眼差しを向けてやがる。
信じられない。なんで、俺がバカにされなきゃいけないんだ。
たったアレだけのことで、バカにされる筋合いはないだろう。

昔から、俺がバンドの女をちょいちょい食っていたことはみんな知ってたはずだ。
それでも、ライブハウスにみんな来てただろう。みんな、俺と仲良くしてただろう。
それなのに。
クソが。

あのキチガイの化け物を抱いたばっかりに、俺はとんでもないことになっちまった。
もう、一生取り返しがつかないことになっちまったんだ。
戻りたい。
あのクソ袋に手を出す前に戻れるなら、なんでもする。
もう堪えられないんだ、誰もが俺を見てニヤけやがる。
腹の底で笑ってやがる。

聞くところによると、現在俺の渾名は「A子ヤリ」になっているらしい。
助けてくれ!
なんで、俺はこうなることを予期できなかったんだ!
あいつはずっとキチガイだった。俺はキチガイを横に置いて、何とかなると思っていた。
今まで抱いた女と同じように、事が終われば全てやり過ごせると思っていた。

これはもう、やり過ごすどころじゃない。
十字架の烙印を背中に押され、そこがいつまでも痛み、膿が出てくる。

俺のプロ意識は本物だ。
俺は業界のご意見番だ。
俺は誰の音楽が良くて、誰の音楽が悪いかを選別できる審美眼を持っている。

俺の叱咤激励があったおかげで、あいつらは売れたんだ。

それなのに。

今、俺は「A子ヤリ」だ。

俺が世話をした奴らが、俺を嘲笑う。
許せない。
俺は間違ったことはしていない。

どんどん人が離れていく。

バカばかりが残っていく。

いつまで。
いつまで、これが続く。

怖い。

怖いんです。

このライブハウスもいつかは潰れます。

そうしたら、きっと私は肉体労働くらいしかできないんです。

まったく潰しがきかないんです。

それなのに、肉体労働をする根性もありません。

あの日、のど自慢でもらった拍手の音がどんなだったか、もう忘れました。

私はスターに憧れていました。

なんでもいいから、スターになりたかったんです。

それなのに結局、私は「A子ヤリ」になってしまいました。

もう二度と「A子ヤリ」の前に戻れないのです。

なんで。

なんで、こんなことに。

俺は、悪くないのに。

もう、虚勢を張ることに疲れた。

身の丈にあった自分を見つけたい。

もう「A子ヤリ」で結構です。

そう言われたら、一生懸命戯けます。

だから、みんな帰ってきてください。

全部忘れてください。

スターになることはできませんでした。

でも、せめてあなたの友達ではいさせてください。

その嘲笑を止めて、私に「友達」だと勘違いさせてください。

お願いします。

誰も信じられなくなりました。

お母さん。

また、エントリーシートを書いてよ。

「人生」という大会に、またエントリーしたいよ。

(つづく)

インターミッション Ⅲ エンディングテーマ 美空ひばり“川の流れのように”


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