2022/6/28 共立互尊という考え方について

   慶應義塾大学または1万円札で有名な福沢諭吉の戒名をご存知でしょうか?その名も「大観院独立自尊居士」。学問のすすめなど少し彼について調べたことがある方なら皆さん知っていると思いますが、代名詞として「独立自尊」という標語があります。


https://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/fukuzawa-iboku/556


 慶應義塾の教育方針の根幹もこの「独立自尊」に尽きると思います。自分の意志・決断を尊び自分の足で立つ(自分で稼ぐ)。欧米の植民地支配・帝国主義に触れ、彼は日本国民に対して自分達自身で考え行動することの重要性を唱えました。

 僕はこの考え方が大好きで、やはり自分自身で考え、決断し、行動することをもとに生きてきました。しかし、多くのライフイベントを経験する中で「独立できない状況」や「自尊できない状況」も経験してきました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2


 「独立自尊」は誰でもできることではない。そう考えると、慶應イズム的なものの綻びを感じるようになりました。ホームレス・自殺願望のある人々・アフガニスタンの状況など自分と接点のあったものの中でも、多様で複雑な状況の中で独立も自尊も難しい人たちに触れ、物事を解決するためにはむしろ「共立互尊」の方が重要なのではないかと感じました。

 重要なのは「立つ事」と「尊ぶ事」。150年前のような他者の権利を蝕むような帝国主義がないと仮定するのであれば、「独」も「自」も曖昧にしてしまって、共に互いに尊び立ってもいいのではないでしょうか。

https://www.kurashiki-tabi.jp/see/5453/


 自分自身の決断とは、ダイエットのために10分歩く事、悩みを打ち明けるために相談電話に連絡してみる事、気にかけてくれる親族や近所の方に自分から挨拶してみる事など、身近にたくさん存在します。それぞれのタイミングでそれぞれの決断・勇気を尊重し、なんとか「働いて食う生活」のリズムができれば、それには価値があるのではないでしょうか。

 「共立互尊」どうですかね?

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