見出し画像

<ネタにできる古典(1)>遠くから投げられた豆を箸でキャッチする僧の話

 笑いをねらったわけではないが、読むとニヤッとしてしまう。そんな話を集めてみます。最初は『宇治拾遺物語』から。

(訳)
 これも今となっては昔の話となる。慈恵僧正は近江国浅井郡の人である。
 僧正が比叡山の戒壇建立に人夫を集められなかったため、手をつけられなかった頃のことだ。浅井の郡司は慈恵僧正と親しい間柄であるのに加えて僧正とは師僧と檀家との関係であって、法事を執り行う時にこの僧正を招待し申し上げて、もてなしの食膳用に眼前で大豆を炒って酢をかけたところ、僧正が「どうして酢なんかをかけるのだ」と問いなさったので、郡司がいうことには「暖かい時節に炒り大豆に酢をかけると、すむつかりといって、シワがよって、箸でうまくはさめるのだ。そうでなければ大豆はすべってはさめないのだ」と言う。僧正が言うことには「どんな豆であったって、どうして挟まらないなんてことがあるだろうか。投げやるとしたって、私はそいつを挟んで食ってやろう」と言うので、郡司は「まさかそんな事はできまいよ」と言い争った。僧正は「もし私が勝ったなら、他は許しませんよ。戒壇を建立なさってください」と言ったので、郡司は「そんなのは簡単だ」と言って、炒り豆を投げやると、僧正は4mほど引いて座りなさって、一度も豆を落とさず挟みなさった。見物した者は誰も彼もが驚嘆する。たった今搾りたての柚子の種を混ぜて投げやった時こそ、挟む時に滑らしなさったけれど、落とすことはなくてすぐにまた挟み止めなさった。郡司は家門の広いものであったので、大人数を寄越して、その日のうちに戒壇を建立したということだ。

(原文)
 是も今はむかし、慈恵僧正は近江国浅井郡の人なり。叡山の戒壇を、人夫かなはざりければ、えつかざりけるころ、浅井の郡司は、したしきうへに、師檀にて仏事を修する間、この僧正を請じたてまつりて、僧膳の料に、前にて大豆をいりて酢をかけけるを、「なにしに酢をばかくるぞ。」と問はれければ、郡司いはく、「あたたかなる時、酢をかけつれば、すむつかりとて、にがみて、よくはさまるるなり。しからざれば、すべりてはさまれぬなり。」といふ。僧正のいはく、「いかなりとも、なじかは、はさまぬやうやあるべき。なげやるとも、はさみくひてん。」とありければ、「いかでさる事あるべき。」とあらがひけり。僧正「勝ち申しなば、異事あるべからず。戒壇を築てたまへ。」とありければ、「やすき事。」とて、いりまめを投げやるに、一間ばかりのきて居給ひて、一度もおとさずはさまれけり。見るものあさまずといふ事なし。柚のさねのただいましぼりいだしたるをまぜて、投げやりたりけるをぞ、はさみすべらかし給ひたりけれど、おとしもたてず、やがて又はさみとどめ給ひける。郡司一家広きものなれば、人数をおこして、不日に戒壇を築てけりとぞ。

巻第四の一七「慈恵僧正戒壇築タル事」

 4m弱というと6畳の部屋の端から端までくらいでしょうか。豆を投げるには遠い距離だと思います。戒壇建立を賭けて行われたのは、その距離で座った慈恵さんに投げた炒り豆を、慈恵さんが箸でつかむという離れ技。すごいな慈恵さん。 
 ちなみに途中で柚子の種が混ぜられてます。柚子の種はペクチンというヌルヌル成分をまとっています。このペクチン、コラーゲン組織を束ねる効果があるため現代では肌美容にも利用されるんです。当然、箸で挟むのは大変なこと。しかし慈恵さんはそんな柚子の種すら、ちょっと滑らせただけでリカバリに成功し、見事落とさず挟んでみせたのですね。
 いやなんなんだその無駄なリアリティ。仏教的なありがたみは全然ないな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?