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つねづね

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買ってきたり、いただいたお野菜の下処理で、茹でたり切ったりジップロックにきゅっと詰めたりお肉のパックの中身を130gずつくらいに小分けにしたり。急がずひとつづつ冷凍庫にしまっていくことがうまくいくととても幸せな気持ちになる。
これ、心が慌ててるときにやると全然進まないし、シンクはぐっちゃぐちゃになるし洗い物の山になるしで、幸せとは真逆の気持ちになるのでふしぎだなあ。とおもう。
どうせ同じことをするのなら幸せだなあと感じて作業をしたい。

常々おもうのは丁寧に生きたいなあ。と思うことで
丁寧とは。と思うときに
急がないことかなあ。と、
こういう作業をしているときに頭をよぎる。

でも、これは、時間がある日だからであって、
たとえばお勤めにでている日。お家でお仕事がたっぷりある日。久しぶりの仕事のないお休みの日。もろもろやることがある日だったら、とてもとてもこんな穏やかな気持ちでお野菜たちと向き合えない自信がある。
あと最大なのは私が自分だけのお世話をすればいいだけなことだなあ…と、世の中のおとうさんおかあさんを尊敬しております。

A地点からB地点へ行くときに
急がず歩いて汗もかかず「もう付いた。近い。」と思うのと
急いで走って(でも持久力がないので走りを歩きに変えるのだけれどそのとき普通に歩く速度よりもスピードが落ちる)汗もかいて「まだ付かない。遠い。」と同じ距離なのに思うのもふしぎ。
お野菜下処理と一緒で同じ、距離。そして数分の差なら前者の方が良いなあ。

ただ、急がなくちゃいけないときに急がない、っていうのはよろしくなく。急がないためには早めの行動か。と考えながら思い出すのは
待ち合わせをして、30分以上早く着くのに待ち合わせ場所を間違えて結局最後に合流するというじけん。
こればかりはどうしたらよいか。(結果、着いてるよ!と連絡をしてさらに心配な場合は何が見えるかを伝えたいところ。しかし、早く送るともう着いてるの!と相手を無駄に焦らすことにもなるので、気をつけねばならない。
携帯電話類を持ってない時代はよく会えたな…とつくづく思う。ほんとうに。ありがたい。)

NHKの「365日の献立日記」(良い。と教えてもらった。)
土井さんの「おかずのクッキング」(土井さんがみたくて。)
小さい頃から工作しているところを見るのが好きだったけれど(はさみで切ったり、紙を扱ったり出る音が良い)最近はお料理もいいなあ。と思って見ている。お料理こうすればいいのか。というのも知識で入ってくるのも良い。
映画の「リトル・フォレスト」もとても良かった。

丁寧に。生きるには、丁寧に作業をしている人や生きている人を見るのもいいね。良い番組や作品があることが嬉しいです。
あと、365日の献立日記を教えてくれたともたちが、中学からのお友達とずっとゆるゆるお手紙やりとりしているのだけれどその子のお手紙もとってもすてきで、私だけ見れるのはもったいないのでいつか往復書簡みたいにできたらいいね。って夢見ているので書いておく。
(リトル・フォレストはその子の書いたお手紙みたいだなあ。って思いながら観てました。)